七夕人形 ― 2018年07月07日 12時25分03秒
豪雨の七夕。七人の人間が刑死した翌日。
心にも厚い雲がかかり、思いの道は暗く、いたずらに踏み迷うばかりです。
そういえば、天の川は生者と死者が往還する道だと、つい先日書きました。
さらに、日本における七夕の古俗は、もともと盆行事と一体化した先祖供養であり、「死者の祭り」こそが、その本義であった…というようなことを、以前書いた記憶があります。賢治が何をどこまで意識していたかは分かりませんが――無意識的だったとすればなおさら――彼の『銀河鉄道の夜』のストーリーに、そうした観念の影響が見られるのは、興味深いことです。
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明治~大正頃の松本の七夕人形。「七夕雛」とも言います。
(高さ約55cm)
信州松本では、今でもこうした男女の面相を描いたハンガー状の木具に着物を着せて、七夕に飾る風習が一部にあるそうです。(ちなみに松本の七夕は、月遅れの8月に祝うことが多い由。)
(松本の七夕雛二態。左は着物掛け形式、右は紙雛形式。『銀花』第53号(1982)、特集「節の雛」より)
七夕人形は、子供の誕生を祝って、親類縁者から贈られるもので、こうして七夕さまに大切な子供の着物を貸すことで、着物が増える、すなわち家が富んで栄えるのだ…と言い習わされてきました。
でも、それはわりと近い時代の考え方で、本来は他の人形習俗と同様、これも祓(はらえ)の具であり、形代(かたしろ)として、子供の厄を代わりに引き受けてもらうためのものだったと思います。いわば天児(あまがつ)の七夕バージョン。繰り返しますが、往時はそれだけ子供の死が日常的で、親たちは我が子の死を防ごうと必死だったのです。
(これまたそういえば、先日「スターチャイルド」のことを書きましたが、「天児」はなぜ「天児」というのかも、ふと気になります。)
先祖の霊はたしかに懐かしく、厳かなものだったでしょうが、ちょっと供養が足りないと祟るし、さらにこの時期、祀られることのない無縁の霊が悪霊化して、その辺をうろついているので、特にこういう除災の備えが必要と感じられたんじゃないでしょうか。ちょうど、お盆に合わせて「施餓鬼」を営むのと似た感覚です。
人形は人の形をしているというだけで、ちょっと不気味な感じも受けます。
人形をめぐる怪談も多いですが、それは人形(ひとがた)に込められた民族的な仄暗い記憶――人身御供の故事や、呪(まじな)いの数々――が呼び覚まされるからかなあ…と思いますが、この辺は個人的な経験も作用するでしょう。
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とはいえ、松本にはこんな優しい七夕人形もかつてあったそうです。
(地元の三村隆重・和子氏によって復元された足長人形。『銀花』上掲号より)
天の川の水かさが増して、二つの星が難儀したときは、この足長の人形が川渡し人足になって、川を越えるのを手伝ってくれるのだとか。今夜あたりは、どうあっても彼の出番でしょう。
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