月見れば千々にものこそ2019年01月10日 22時09分56秒

最近の買い物から。


昨日届いた1枚の絵ハガキ。1920~30年代のイギリス製です。
崖の先端に立って、ひとり月を見上げる男の子。それだけでも十分絵になりますが、その隅に書かれた文字が、この品に一層深い意味を与えていると思いました。

「Quo vadis?(クオ・ヴァディス?)」

ラテン語で「あなたはどこに行くのですか?」という意味のこのフレーズは、聖書におけるイエスと聖ペテロのエピソードとともに人口に膾炙しています。

キリスト教徒迫害の難を逃れ、ローマを後にし、道を急ぐペテロ。そのとき道の向こうから、十字架上で刑死したはずのイエスがやって来て、ペテロを驚かせます。思わず口をついて出た言葉が、「Quo vadis, Domine?(主よ、どこに行かれるのですか?)」。イエスは厳かに告げます。「お前が民を見捨てるならば、私はローマに往き、再び十字架にかかろう。」その一言にハッとしたペテロは、ただちに道を引き返し、ついに殉教者として壮烈な最期を遂げます。

「Quo vadis?(クオ・ヴァディス?)」

この絵ハガキを見た人は、当然聖書のエピソードを思い起こすでしょう。
と同時に、それ以上のものを、この絵に感じるのではないでしょうか。

この場面、月もひとりであり、男の子もひとりです。
男の子は月に、「君はどこへ行くの?」と問いかけ、月は男の子に「君はどこへ?」と問い返している。この孤独な者同士の会話には、少なからず形而上的な響きがあります。ことさらそう思うのは、ここに登場する月は「大いなる存在」あるいは「宇宙そのもの」の象徴であり、男の子は「人類の代表」のように、私が否応なく感じてしまうからでしょう。

 「宇宙はどこから来て、どこへ行くのか?」
 「人はどこから来て、どこへ行くのか?」

おそらく答えの見つからない、でも、問わずにはいられない問い。
きっと星を見上げるスターゲイザーは、誰しも心のうちで同じ問いを発しているはずです。少なくとも、そうした瞬間がたまさか訪れるでしょう。そんなことからも、星を眺めることは、すぐれて人間的な行為だなあ…と感じます。