インド占星術の世界2019年01月29日 21時08分49秒

ところで占星術に関連して、「ああ、そうか」と思ったことがあります。

   ★

以前、こういう品を取り上げました。

(画像再掲。元記事: http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/04/22/

これは、一昨年に神田の三省堂で行われた「博物蒐集家の応接間」というイベントに、お味噌で参加した際、会場に並べたものです。これだけだと何だか分からないので、一応キャプションを付けようということになり、そこに添えたのが以下の短文。

 「1844年、インドで書かれた星占いのスクロール(巻物)。個人の依頼に基づいて、占星師が作成したもの。」

ここに書いてあることは、確かにウソではないですが、このときの自分は、インド占星術の実相をまったく知らなかったので、書きながら何だかフワフワした感じがしました。要は自信がなかったのです。

たとえば、こういう占星スクロールは、eBayを覗くと、インドの業者がたくさん売りに出しているんですが、「なんでこんなにたくさんあるんだ?」というのが、そもそもの疑問。「ひょっとして、こんな酔狂な品でも、騙されて買う物好きがたまにいるので、インドの業者が偽作してるんじゃないか?」という疑念が、次いで頭をよぎりました(※)

   ★

結局よく分からないまま、この件は放置していましたが、最近一冊の本を読んで、「ああ、そういうことだったのか…」と、腑に落ちました。


■矢野道雄(著)
 占星術師たちのインド―暦と占いの文化
 中公新書、1992

矢野氏は、以前「宿曜経」を取り上げた際にも登場しましたが、ご自身は別に占星術師ではなくて、科学史、特に天文学史や数学史の専門家です。

上の本は、氏が1991年に訪印した際の見聞をもとに、現代インドにおける占星術の在り様をレポートしたもので、遠い時代から受け継がれたインド占星術の諸技法が、今もインド社会で強固に生き続けていることが綴られています。

で、結論から言うと、「なんでこんなに、占星スクロールがあるんだ?」という疑問の答は、実際たくさん作られているからに他ならず、それは私の想像の遥か上を行くものでした。

   ★

同書から一部を引用させていただきます。
矢野氏は、このインド訪問に際して、自作のインド暦計算プログラムを持参し、現地でそのデモを度々行いました。

 「この講演を聞きに来ていたサンスクリット・カレッジの校長シュリーヴァトサ先生は占星術の熱心な信奉者であった。かれは〔…〕ぜひ自分の家へコンピュータをもってきて、自分の作ったホロスコープが正しいかどうかチェックしてほしいというのだ。
 家に着くとすぐにかれは本人、奥さん、子供たち、親戚のホロスコープをつぎつぎと出してきた。いずれも長い巻紙に見事な彩色で描かれていた。」(pp.18-19)

…という具合で、中には趣味が高じて、自ら占星スクロールを作成する人もいるぐらい、それは生活に溶け込んでいるようです。またあるときは、宿泊先のホテルの店員と親しくなり、好意でコンピュータ・ホロスコープを作ってあげたら、

 「さらに他の店員たちも次から次へと生年月日を書いた紙切れを渡して申し込んできた。たいていのインド人は生まれたときに親が占星術師に頼んでホロスコープを作ってもらうはずなので、なにも私に作ってもらわなくてもいいのにと思ったが、ある店員は南インドのケーララ出身で、実家にはホロスコープがあるのだが、いま手元にないからといった。他の店員はどういう生まれか聞かなかったが、ホロスコープを作ってもらったことがなかったらしい。」(p.20)

そして、ホロスコープが実際どんな使われ方をしているかと言えば、なかなか切実な事情もありました。

 「インドでは恋愛結婚はまだ普通ではなく、結婚相手を決めるのはたいてい親や親戚である。しかしそう簡単に相手が見つかるわけではない。そこで利用されるのが新聞広告である。〔…〕広告の内容は、本人の年齢、身長、肌の色、学歴、職業、カーストで始まり、たいていは「略歴と写真を送られたし」という一文が加えられているが、さらに「ホロスコープを送られたし」とあるものが多い。結婚相手を決めるときホロスコープはきわめて大きな役割をはたす。たいていは親しい占星術師のところへ本人と相手のホロスコープをもっていって相性をみてもらうのである。」(pp.23-24)

インドは今も――少なくとも本書が書かれた1990年代には――占星術がしっかりと息づく社会であり、多少とも余裕のある人は、子どもや孫が生まれれば、その未来の運勢を知るべく、町々にいる占星術師を訪ね、その占いの結果を長大な巻物に記してもらって、後生大事に持っている…大体そんな塩梅らしいです。

ですから、占星スクロールが大量にあるのは当然で、持ち主のいなくなったスクロールが、半ば古紙として市場に流れ、目ざとい古物屋がそれを手に入れて、外国の物好きに売る…なんていう商売も成り立つのです。

   ★

さて、以上はどちらかといえば即物的な話で、本当はインド占星術の歴史そのものに、いっそう興味を向けるべきでしょうが、その学理はなかなか難しくて、理解が追いつきません。矢野氏に教えられて、かろうじて分かったことは、インド占星術は非常に重層的な体系を持つということです。

すなわち、古代インドの「月占い」(天球上の月の位置によって吉凶を見る)の上に、ギリシャで完成し、その後イスラム世界がさらに発展させた「ホロスコープ占い」(そこでは惑星が重視されます)が接ぎ木され、さらにインド独自の工夫も積み重なって、インド亜大陸は占星術の一大沃野と化し、その影響は、遠く中国や日本にまで及びました(密教系の「宿曜道」がそれです)。そして母国インドは、依然として占星術大国だというわけです。

(矢野氏上掲書より。インドは広いので、ホロスコープの作図ひとつとっても、ユニオンジャックみたいな「ベンガル式」やら、紋所の武田菱みたいな「北インド式」やら、地方によっていろいろ流儀があるらしい。)

   ★

まことに壮大な話です。

何せ、かつてユーラシア大陸には、東西を貫通する「スターロード」があり、星を見上げて、その動きを計算し、人間社会と天界の相関に思いをめぐらす複雑な知の体系が、それを伝える学者や書物とともに、そこを自在に往還していたというのですから。(思うに、本来の占星術は、宗教よりも明瞭に科学(経験科学)寄りの存在として、堂々たる学問体系を成していたのです。)

そんな悠遠な文化に思いをはせつつ、インド占星術の体温が肌で感じられるような品を、この機会にもう一つ紹介しておきます。

(この項つづく)


-----------------------------------------------
(※)でも、偽作が全くないとも言い切れません。私が疑っているのは、彩色すると高く売れると踏んで、業者が後から色付けしたものが混じってるんじゃないかということです。まあ商才があれば、それぐらいはするでしょう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック