占星の遠き道(前編)2019年02月02日 09時53分48秒

暦と占星の知識を伝えた「スターロード」。
まあ、これは私のいい加減な造語ですが、文化にはそうした水平(地理的)な伝搬に加え、当然垂直(歴史的)な伝搬もあります。むしろ現実のスターロードは、その両者が複雑に絡み合った、組み紐のようなものでしょう。

ところで、この文化の垂直伝搬に関して、その実例をまざまざと目にしたことがあります。

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これも矢野氏の影響と言っていいですが、以前、宿曜経に関心を示した際、さらに密教と星供(「ほしく」または「しょうく」)に関係したモノが気になり、少しキョロキョロしたことがあります。そんな折に、古書店のデータベースで2冊の写本を目にしました。

一冊は『七星九曜十二宮廿八宿等種印言』と題されたもの。

(用紙はタテ横16.5cmのほぼ正方形)

表紙を含め全14丁の和紙を糊付けした薄い冊子体のもので、後述のように、今から370年前、江戸時代前期の慶安2年(1649)に筆写されたものです。筆写したのは、表紙に見える「長怡房(ちょういぼう)祐勢」という僧侶。

(題名の前にある「三宝院簿」の意味が判然としませんが、この写本のオリジナルが、京都の真言寺院、醍醐寺三宝院に由来することを意味するのかな…と想像します。)

その中身はというと、題名のとおり、神格化された北斗七星、九曜(5大惑星+日月+羅睺と計都)、それに十二宮と二十八宿の各星座について、それぞれに対応した、種子(諸尊をシンボライズした梵字)・印相(手指で結ぶ印の形)・真言(梵語による唱句)を列記したものです。要は、密教の修法の一として、星に祈る際のコンサイスマニュアル。

羅睺と計都は、日食・月食を引き起こす原因として想定された仮想天体です。)

(日曜(太陽)はやっぱり大した存在らしく、祈りを捧げるときも、指を盛んにくねくねさせて、ノーマクアーラータンノータラヤー…と、唱え事も長いです。)

(これが十二宮になると、その他大勢的な感じになって、文句もごくあっさり。なお、左から二番目の「男女」は今でいう双児宮、星座を当てればふたご座です)

そして、私が<文化の伝搬>に思いを巡らし、「なるほど、文化とはかつてこんな風に伝えられたのか…」と深く嘆息したのは、この冊子の奥書を見たときのことです。


一見して、「知識のバトンリレー」を生で観戦する感動と迫力があります。
もちろん、私も写本文化の存在を、知識としては知っていましたが、そこに突如としてリアリティが備わった感じです。たびたび言うように、これこそ形あるモノの力でしょう。

一部読み取れない文字もありますが、平安時代に成立したとおぼしい原本を、鎌倉時代の弘長2年(1262)に、真言僧・頼瑜(らいゆ、1226-1304)が書写したのに始まり、以後、文禄3年(1595)、慶長16年(1611)、慶安2年(1649)と書写を繰り返して、現在に至っています。そしてここには、ささやかな水平伝搬もあって、京の都から房州(千葉県)へ、さらに奥州磐城へと、書写を繰り返すたびに知識が下向していく様子が見て取れます。

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「スターロード」の終着駅・日本で、さらに時間を超えて続く旅。
今ひとたび、「なるほど、文化とはかつてこんな風に伝えられたのか…」の思いが深いです。

(もう1冊の写本をめぐって、後編につづく)