コレクションの間口と奥行き ― 2019年03月07日 21時22分41秒
蒐集行為は2次元空間を構成していて、「間口」と「奥行き」があります。
そして、間口も奥行きもある「堂々たる大コレクター」もいれば、間口は狭いけれども、鰻の寝床式にずっと奥まで続いている「その道の達人」的なコレクターもいます。
数学モデルとしては、間口と奥行きの2つの次元に、特に優劣はないはずですが、どうも世間では間口よりも奥行きを評価する傾向があり、間口は広いが奥行きのないコレクターは、往々にして「ガラクタ蒐集」とか「何でも屋」と軽侮され、「底が浅い」とさげすまれるようです。
世間がそう思うのは、たぶん蒐集とは一種の自己完成の手段であり、それは「蒐集道」とも呼ぶべき険阻で尊貴なものなんだ…という暗黙の前提があるからでしょう。何でもホイホイ集めるガラクタ蒐集はストイックさに欠けるし、てんでダメだよね…というわけです。
★
こんな風に書くのは天に唾する行為で、客観的に見れば、私のやっていることは、文字通りガラクタ蒐集であり、底が浅いことは明白です。私には特に自己卑下の癖(へき)もなければ、卑下すると見せかけて自慢したいわけでもないのですが、客観的に見ればやっぱりガラクタ蒐集です。
しかし、あえて自己弁護させてもらうと、博物趣味とは定義からして「間口が広い」ものであり、「間口の狭い博物趣味」は形容矛盾です。そして、いにしえのヴンダーカンマーは、ずばりガラクタ蒐集に他ならず、そこに奥行きを求めるのは、完全に筋違いです。
私の場合、天文アンティークに限っていえば、もっと対象を絞って攻める行き方もあったとは思います(実際、アンティーク望遠鏡コレクターとか、古星図コレクターとか、星座早見コレクターとか、分野を限ったコレクターは多いです)。ただ、同時に博物趣味ないし理科室趣味に惹かれるものがあったため、モノがごちゃつくのは必然であり、避けがたい運命でした。要は、私の天文古玩趣味は、博物趣味的相貌を帯びているということです。
ここでさらに強気で言わせてもらうと、博物趣味というのは、間口と奥行きが逆転する世界であって、間口こそが奥行きなんだ、間口の広さにこそ求道性がほとばしるんだ…と強弁したい気もしますが、これはさすがに牽強付会のそしりを免れないでしょう。(でも、半分ぐらい本気です。)
最近のコメント