ハチドリの輝きの向こうに ― 2019年04月17日 06時47分14秒
今回、antique Salon さんで購入したのは、ハチドリの剥製です。
(防虫のため、購入した後で壜に入れました)
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ハチドリの剥製には、ずいぶん以前から惹かれていました。
それは私の中で、ハチドリがデロールと結びついているからです。
パリの博物商・デロールの存在を知ったことは、私にとってひとつの<事件>であり、私の博物趣味のありようは、それによって大きく規定されています。
以前も書きましたが、デロールのことを知ったきっかけは、福音館の絵本でした。

(今森光彦 文・写真、『好奇心の部屋デロール』、2003)
本の中のデロールは、まさに好奇心を刺激する宝物殿に見えましたが、中でもひどく気になったのがハチドリの剥製です。
この美しくエキゾチックな珍鳥が――しかも剥製という姿で横たわっている様子が――博物趣味のシンボルのように感じられたからです。
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実際、今回手にしたハチドリは、19世紀に作られた仮剥製ですから、文字通り博物趣味の黄金時代のオーラを身にまとった存在です。
種類はおいおい調べるとして、この小ささはどうでしょう。
嘴の先から尾羽の先まで全部ひっくるめても、私の小指の大きさしかありません。そもそも、鳥が小さな管壜にすっぽり入るというのが不可解です。これが本当に恐竜の子孫なのか?
この斑模様は、ひょっとしたらまだ若鳥なのかもしれませんが、成鳥とて、大きさはそう変わらないでしょう。小鳥というと、スズメぐらいの大きさのものを想像しますが、これは下手をすると、スズメがついばむぐらいの大きさしかありません。
試みに他の標本と比べてみると、上のような感じで、これが「蜂鳥」と呼ばれるのも頷けます。
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可憐な鳥を剥製にすることに、違和感を覚える人もいると思います。
しかし、生体の限界をはるかに超えて、100年以上にわたって、その美麗な姿を賞し、持ち伝えてきた古人の心根は、無惨とばかり言い切れないものがあります。
パリで焼けたのはノートルダムばかりではありません。
デロールもまた、2008年の火事で焼け落ちました。それが見事復興したのも、生物の多様な姿に対する、人々の驚異の念があればこそです。
かつての博物趣味は、人間の放埓な好奇心のままに生物を乱獲し、環境を破壊する愚を犯しました。その反省が、博物学の生態学への転身を促しましたが、そこにあったのも、やっぱり生物の多様な姿への驚異の念です。もしそれがなければ、ヒトは他の生物種にとって、いっそう悪魔じみた存在になっていたはずで、ハチドリの剥製が宿す意味は、よくよく考えなければなりません。
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