澁澤邸のアストロラーベ(2) ― 2019年04月28日 10時48分28秒
澁澤龍彦は、「イスパハンの昼と夜」という文章の中で、アストロラーベ購入の顛末を、こう記しています
----------------------------------------------------------------
1971年9月某日、私は慌しい中近東旅行の途次、イラン中部の古都イスパハンに立ち寄る機会を得た。(中略)
夜になって、私は、何という通りか忘れたが、骨董品屋がずらりと軒を並べている、かなり繁華な通りをぶらぶら歩いてみた。面白いものが見つかったら買ってもいい、という気持である。そしてショー・ウィンドーをのぞいたり、店の中へ入って冷やかしたりしているうちに、かねてアラビア天文学関係の書物の挿絵で見知っていた、金属製の各種のアストロラーブらしきものが、どの店にも飾ってあるのに気がついた。テヘランでは一向に見かけなかった品物である。直径30センチばかりの大きなものもあれば、7センチばかりの小型の携帯用とおぼしきものもある。私の好奇心が、にわかに頭をもちあげた。〔…〕
夜になって、私は、何という通りか忘れたが、骨董品屋がずらりと軒を並べている、かなり繁華な通りをぶらぶら歩いてみた。面白いものが見つかったら買ってもいい、という気持である。そしてショー・ウィンドーをのぞいたり、店の中へ入って冷やかしたりしているうちに、かねてアラビア天文学関係の書物の挿絵で見知っていた、金属製の各種のアストロラーブらしきものが、どの店にも飾ってあるのに気がついた。テヘランでは一向に見かけなかった品物である。直径30センチばかりの大きなものもあれば、7センチばかりの小型の携帯用とおぼしきものもある。私の好奇心が、にわかに頭をもちあげた。〔…〕
私がアストロラーブを買った店では、親父と息子が二人がかりで、何とかして少しでも多く買わせようと、いろんな品物を次から次へと持ち出してくるのだった。〔…〕
私は、この息子がショー・ケースから次々に出して見せる琥珀のネックレスだとか、翡翠の指環だとか、銀の腕輪だとかには一顧もあたえず、店のいちばん奥にひっそりとぶら下がっている、緑青の色でやや青く染まった、直径30センチばかりの蒼古たるアストロラーブに、ひたすら目を注いでいた。
やがて、それに気づいた息子が、「ははあ、アストロラーブがお気に入りですか?」と言って、いそいそと件の品物を釘から外して、私の前に重そうに持ってきた。それは手に取ってみると全く重い、ずっしりと重い真鍮のアストロラーブであった!
私はこれを手に入れたが、値段については記すのをやめよう。読者それぞれ、もしその気があれば、想像をたくましくしていただきたい。とにかく、向こうの言い値の3分の2ぐらいの線で、私たちのささやかな商談は成立した、とだけ申し上げておこう。
私は、この息子がショー・ケースから次々に出して見せる琥珀のネックレスだとか、翡翠の指環だとか、銀の腕輪だとかには一顧もあたえず、店のいちばん奥にひっそりとぶら下がっている、緑青の色でやや青く染まった、直径30センチばかりの蒼古たるアストロラーブに、ひたすら目を注いでいた。
やがて、それに気づいた息子が、「ははあ、アストロラーブがお気に入りですか?」と言って、いそいそと件の品物を釘から外して、私の前に重そうに持ってきた。それは手に取ってみると全く重い、ずっしりと重い真鍮のアストロラーブであった!
私はこれを手に入れたが、値段については記すのをやめよう。読者それぞれ、もしその気があれば、想像をたくましくしていただきたい。とにかく、向こうの言い値の3分の2ぐらいの線で、私たちのささやかな商談は成立した、とだけ申し上げておこう。
(引用は澁澤龍子(編)、沢渡朔(写真)『澁澤龍彦ドラコニア・ワールド』(集英社、2010)より。初出は「潮」1972年1月号。単行本『ヨーロッパの乳房』所収。なお、引用にあたり、漢数字はアラビア数字に改めました。)
----------------------------------------------------------------
(上掲『澁澤龍彦ドラコニア・ワールド』より)
「イスパハン」はテヘランから南に350キロほど内陸に入った、イラン中部の町です。グーグルマップだと「イスファハーン」、ウィキペディアだと「エスファハーン」と表示されます(以下、エスファハーンと呼びます)。
ついでにウィキペディアから切り貼りすると、エスファハーンは遠く紀元前に溯る古い町で、近世にサファヴィー朝の首都となった、文字通りの古都です。ただし、18世紀にサファヴィー朝が滅亡した後は急速に衰え、19世紀に漸次復興したものの、もはや昔日の面影はなく、今は観光メインの一地方都市という位置づけのようです。
面白いのは、「町の住人は出費に厳しい「倹約家」「吝嗇家」として良くも悪くも有名であり、他の地域の人間からは敬遠されることがある。イランでは「エスファハーンはいいところだ。エスファハーン人さえいなければ」という住民を揶揄する言葉も知られている。」という記述。まあ、どことは言いませんが、日本にもありそうな町です。
★
さて、そんな「しわい」町で、澁澤は骨董屋とやりあった末に、アストロラーベを手に入れました。
この文章を一読して、真っ先に気になるのが、「金属製の各種のアストロラーブらしきものが、どの店にも飾ってあるのに気がついた。テヘランでは一向に見かけなかった品物である。」という一文です。なんぼ古都でも、貴重なアストロラーベが、骨董屋の店先に軒並みごろごろしているというのは、いかにもアヤシイ感じがします。
(長くなるので、ここで記事を割ります。この項つづく)
最近のコメント