澁澤邸のアストロラーベ(4)2019年04月30日 06時34分30秒

澁澤のアストロラーベを見て、真っ先に気が付くのは、その色合いです。
アストロラーベと聞くと、金色(真鍮色)に輝く姿が思い浮かびますが、それとはかなり異質な表情です。

(「astrolabe、museum」で画像検索するとこんな感じ )

「それは、博物館級の銘品だからピカピカしてるんでしょ?巷間伝来の素朴な品だったら、古びてても当然じゃない?」

…という意見もあると思いますが、昨日も書いたように、アストロラーベは本来的に貴重な品であり、やたらと巷間に伝来するものでもありません。そもそも戸外でのヘビーユースを想定していないし、さらに乾燥した土地柄ですから、あんな風に派手に緑青が吹くことは考えにくいのです。したがって、あれは意図的に古色を付けたのではないか…という疑念が浮かびます。

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ついで細部を見てみます。
まずアストロラーベ全体の土台となる「母盤(マーテル)」の目盛に注目します。

ここに刻まれた度目盛の出来はどうか?
アストロラーベに限らず、天文測器はこの目盛の正確さが命で、目盛が不正確だと観測の役に立ちませんから、目盛が几帳面に刻まれていることは、ホンモノであることの必要条件です。…と言って、目盛が正確ならば即ホンモノとも言いがたいですが(つまり十分条件ではない)、しかしホンモノであれば、古い時代の品でも、その目盛はきわめて正確であり、逆に今出来の甘いフェイクは、その辺が雑なことが多いです。

ホンモノの場合、マーテルの外周には5度ないし10度の大目盛と、1度の小目盛が刻まれるのが普通で、場合によっては0.5度の細目盛が付加される場合もあります。


澁澤のアストロラーベの度盛がどうなっているか、試みに20度の角度で補助線を引いてみます(頼るべき画像がこれしかないので、再度お借りします)。


拡大すると、目盛は20度の範囲に40本読み取ることができ、これが0.5度の細目盛だと分かります。非常に細かい細工で、律義な仕事ぶりですが、細目盛だけでは角度をパッと読み取れませんから、これははなはだ実用性に欠けます。

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次にマーテル上をくるくる回る、アストロラーベの「顔」とも言うべき、「網盤(レーテ)」を見てみます。

レーテはマーテルに接する大円と、それに内接する小円、そして隙間を埋める唐草模様から構成されています。アストロラーベにおいて、いちばん華麗なパーツであり、そのデザインは工匠の腕の振るいどころです。

しかし、レーテの本質は一種の星図盤であり、その唐草の一枚一枚の葉先が、特定の恒星と対応していなければなりません。そして唐草の下に透けて見える、経緯線を刻んだ「鼓盤(テュンパン)」によって、それらの星々の地上座標を確認することが、アストロラーベの本領ですから、レーテがそうした実用性を備えているかに、注目する必要があります。(そもそもレーテが唐草模様である必然性はなくて、もっと無機的/実用的なデザインを採用しているアストロラーベも少なからずあります。)

(元画像の明度とコントラストを調整しました)

そういう目で見ると、澁澤のアストロラーベは肝心の葉先が丸っこいので、恒星の位置がはっきりしません。また、本来であれば葉っぱの一枚一枚に恒星の固有名が刻まれているはずですが、どこにも文字らしきものが見えません(何か線条が刻まれていますが、はっきりしません)。

(同)

さらにレーテ内の小円は、星座の間を縫って進む太陽の軌道、すなわち黄道を示すもので、ホンモノならば、円周は必ず12の区画に分けられ、そこに十二星座の名称が刻まれているはずですが、このアストロラーベは、それもはっきりしません。

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難癖が続きましたが、以上のことは実際にホンモノと比べると、よく分かると思うので、グリニッジのアストロラーベカタログから、しばしばフェイクを産んだ「Abd al-A’immaタイプ」の画像を挙げておきます。

(カタログ番号AST0536、直径12.2cm、1850年頃。出典:van Cleempoel(編)、『Astrolabe at Greenwich』、Oxford University Press、2005)

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ついでに、澁澤が上のアストロラーベと同時に求めた、携帯用アストロラーベも見ておきます。

(前掲 『澁澤龍彦ドラコニア・ワールド』より)

この小アストロラーベは、形は普通のアストロラーベに似ていますが、レーテの形状から分かるように、星の位置を示す機能はありません。

正確なことは分かりませんが、これは天体の高度測定専用の「マリン・アストロラーベ」のように見えます。マリン・アストロラーベは、名前こそアストロラーベですが、両者の用途はまったく違うので、昨日登場したキング氏は、両者の混用を口を酸っぱくして戒めています。またマリン・アストロラーベは、西ヨーロッパ世界で発明され、大航海時代の船乗りが使った品であり、それがイスラム世界にどれぐらい逆輸入されたものか、その辺がちょっともやっとします。

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結論として、澁澤邸のアストロラーベは、正真正銘のホンモノとは言えないように思うのですが、もちろん私は専門家でも何でもないので、以上のことは話半分に聞いてください。

しかし、仮にそうだとしても、澁澤がイランを訪問した1971年当時、日本人がアストロラーベの実物を目にする機会は少なかったでしょうし、関連する資料もごく乏しかったはずなので、澁澤にその真贋の見極めを迫ることは穏当ではありません。(それに、澁澤は「イスパハンでアストロラーブを購う」という行為そのものに興を覚えていたはずで、その真贋はどうでもよかったんじゃないか…という気もします。)

何はともあれ、あの時代にそういう奇矯な買い物をした澁澤の好事家ぶりこそ、ここでは大いに嘉(よみ)すべきで、やっぱり彼は憧憬の対象たりうる、昭和の大綺人です。

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1987年に没した澁澤龍彦。
今年の8月5日が三十三回忌で、いよいよ彼も永遠の彼岸に向けて帆を上げることになります。その航海が、どうか絢爛たるものでありますように。そう、あの高丘親王のごとくに―。