パリに持っていきなさい ― 2019年05月01日 09時19分06秒
その日の午後、私は同じことを考えて、今度はサザビーズにいた。すると驚いたことに、さっきと同じ人物が、例のフェイク・アストロラーベを抱えて入ってきたではないか。私は再度相談を受けた。しかし、今の彼はしょげかえっていた。「金が必要なんですよ。」と彼はこっそり打ち明けた。「何とかならんでしょうか?」 彼は感じのいい奴だったので、助けてやる気になった。「パリに持っていきなさい。」と私は言った。ジャコブ街のアラン・ブリウなら、直ちにそれが偽物だと告げることもできたろう。何せアランこそ、現代ヨーロッパの、ある科学機器贋作者を刑務所にぶち込んだ人物なのだから。だが、そんな時代は遠い昔のことだ。今や、フェイク・アストロラーベは、パリで大手を振ってまかり通っている。そしてロンドンでも。」 (前掲pp.160-161)
フェイクと本物、そして物語 ― 2019年05月02日 07時16分44秒
いずこも同じ秋の夕暮れ、とは言え ― 2019年05月03日 10時53分43秒
一体どうしたらいいのか、2018年に彼らが意見を求めたところ、2、30個の提案がありました。さて、それを受けて政治家たちはどうしたか?以前と状況は何も変わりません。誰も金を持ってないので、どうしようもないのです。
ルンドの天文時計 ― 2019年05月04日 06時43分17秒
白瀬詣で(前編) ― 2019年05月05日 14時17分51秒
白瀬詣で(後編) ― 2019年05月05日 14時27分31秒
(2連投のつづき)
白瀬中尉の墓碑。「南極探検隊長/大和雪原開拓者之墓」と刻まれています。揮毫したのは元侍従長の藤田尚徳氏。
側面に彫られた戒名は「南極院釈矗徃(なんきょくいんしゃくちくおう)」。
「矗徃」とは「まっすぐにゆく」という意味のようです。なお、隣に並ぶのは、昭和26年(1951)に亡くなった安(やす)夫人の戒名。反対側の側面には、「昭和三十三年九月四日/吉良町史跡保存会建之」の文字があります。
今の豊田市で亡くなった白瀬中尉が、この地に葬られたのは、中尉が亡くなった翌年、次女である武子氏がこの地の中学校に勤務することになり、安夫人も遺骨を携えてここに転居したからです。その後、安夫人も亡くなったため、武子氏はここに遺骨を仮埋葬して東京に転居した…ということが、傍らの説明文には書かれています。
墓碑の向って左手に立つ「白瀬南極探検隊長墓碑建立の由来」碑と、その銘文。
これを読むと、昭和32年(1957)に郷里から親戚が訪ねてくるまで、ここが白瀬中尉の墓だとは、本当に誰も知らなかったみたいで、やっぱり不遇な晩年だったと言わざるを得ません。(今のように墓域が立派に整備されたのは、「ふるさと創生事業」の余得で、あの悪名高いばらまき事業も、ちょっとは世の役に立ったみたいですね。)
参考資料として、境内にある他の案内板の文面も掲げておきます。
(白瀬矗隊長略歴)
(南極観測船「しらせ」スクリューの解説)
(オーストラリア・ウラーラ市にある記念銘板の紹介)
なお、瀬門神社は「西林寺」という小さなお寺と隣接しており、最初の埋葬地は、上の説明文にあるようにお寺側だったようですが、現在はそれが神社側に移っているように読めます。
(西林寺山門)
★
白瀬中尉は南極点に立つことはなかったし、その足跡も大陸の端っこをかすめただけかもしれません。でも、彼はたしかに英雄と呼ぶに足る人物です。
そのことは、もしアムンゼンやスコットが、白瀬中尉と同じ装備・同じ陣容で南極に挑んだら、どこまでやれたろうか…と考えるとはっきりするのではないでしょうか。
試みにその旗艦を比べても、スコット隊の「テラ・ノヴァ号」は、全長57m、総排水量764トン、エンジン出力140馬力。アムンゼン隊の「フラム号」は、同38.9m、402トン、220馬力。対する白瀬隊の「開南丸」は、同33.48m、199トン、18馬力に過ぎません(数値の細部は異説もあります)。
一事が万事で、スタートラインがはなから違うので、彼らと比較して云々するのは、中尉にとっていささか酷です。
★
5月の木漏れ日はあくまでも明るく、緑の風がさわやかに吹いていました。
その中で、中尉が心穏やかに憩っているように感じられたのは、これまた感傷の一種には違いないでしょうが、陰々滅々としているよりは何層倍もいいです。
彗星のメロディ ― 2019年05月08日 21時36分52秒
湖上の月 ― 2019年05月10日 21時53分26秒
天文の世界史 ― 2019年05月11日 07時23分14秒
『天文の世界史』
集英社(インターナショナル新書)、2017.
第2章 惑星
第3章 星座と恒星
第4章 流星、彗星、そして超新星
第5章 天の川、星雲星団、銀河
第6章 時空を超える宇宙観
終章 「天文学」と「歴史」
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