二つの『フラムスチード天球図譜』2019年05月18日 08時54分54秒

知っている人は知っているのでしょうが、私は今回初めて知った事実。

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ジョン・フラムスティード(John Flamsteed、1646-1719)の有名な星図帳、『Atlas Coelestis』(1729)は、日本でも翻刻され、『フラムスチード天球図譜』のタイトルで、現在も流通しています(恒星社厚生閣)。古風な星座絵に惹かれる風雅な人は、今も多いようです。

ただし、恒星社版『天球図譜』のオリジナルは、フラムスティードが手掛けた原本ではありません。1776年に、フランスのジャン・フォルタン(Jean Nicolas Fortin、1750-1831)が、新たに版を起こした縮刷版、いわゆる「フォルタン版」が元になっています。フォルタン自身はこれを「第2版」と称しました。フォルタン版は、原本の約3分の1のサイズで、絵柄も微妙に違うし、星座名の表記もフランス語になっているので、違いに目を向ければ、かなり違う本です。

(2つの『天球図譜』。左がフォルタン版、右がロンドンで出た原本。(C)G.M. Caglieris、2002。出典:On-line Flamsteed‐Fortin Atlas Celeste‐1776

…というのは、日本語版『天球図譜』にも解説があるので、よく知られた事実でしょう。ただ、私が知らなかったのは、その日本語版にも、2種類の判型があったことです。

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手元の本は、2000年発行の第3版ですが、その冒頭に1968年に記された「復刻版の辞」というのが載っていて、そこにこういう記述があります。

 「フラムスチード天球図譜は彼の歿後、1729年初版がロンドンで刊行され、1776年に第2版として、1/3に縮小してパリーで刊行された。この東京版はパリー版を原著としたものであるが、図面の大きさはほぼ初版の3/7とした。」

「パリー版」というのは、もちろんフォルタン版のことで、「東京版」とは恒星社版のことです。縮めたり大きくしたり、何だか分かりにくいですが、原本を基準にして分母を揃えると、フォルタン版は1/3=7/21、恒星社版は3/7=9/21のサイズですから、結局、恒星社版は元となったフォルタン版を9/7倍(約1.3倍)に拡大したものだと分かります。

ただし―、です。
このことは、1968年に復刻された現行の版にしか当てはまりません。「復刻版の辞」が言う「東京版」というのは、あくまでもこの復刻版を指していて、それ以前の旧版には当てはまらないのです。そのことは、上の記載からは読み取りがたく、私は旧版を手にして、初めて「ああ、そうだったのか」と思ったのでした。

(左・旧版、右・復刻第3版。旧版も本来カバーがかかっていたはずですが、手元のは裸本です。)

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日本語版『天球図譜』の書誌を、ここで整理しておきます。
大学図書館蔵書検索サービスCiNiiのデータを並べると、以下のようになります。

『フラムスチード天球圖譜』
○初 版 1943.7 恒星社刊
○再 版 1950.4 恒星社厚生閣刊 (以下同)
●復刻版 1968.8
●新装版 1980.8 (以下、『フラムスチード天球図譜』の表記に変更)
●新装版 1989.2
●第3版 2000.10

○印が旧版で、表紙サイズは高さ22cm(221p)、●印が新版で、同じく27cm(231p)と、サイズも頁数も拡大しています。以後、この1968年の復刻版が、カバーデザインを変えつつ、今も販売されているのです。

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すでに一部を引用した「復刻版の辞」には、こうも書かれています。

 「わが国において初めてこのフラムスチード天球図譜の翻刻版が刊行されてより25年を経過した。当時は諸般の状勢により、小社の意図を十分には満たすことができなかったし、以来久しく絶版状態で今日まで至った。然し現今のような時代こそ、グリニッジ初期の天文台を顧みることが好ましく、この図譜の復刻を求める声が、天文以外からも多い。因って小社はその要望に応え、かつ企画を新たにして本書を刊行した。」

要は、旧版はいろいろな制約から(戦時中の物資不足と出版統制のことでしょう)、思い通りの本に仕上げられなかった、戦後の復刻版こそ、我々が本来思い描いていたものなんだ…という力強い宣言です。

しかし、虚心に見た場合、私には旧版の方が好ましく感じられます。
それは単純な古物好きというのもありますが、何よりも旧版こそ、フォルタン版のより正確な翻刻になっているからです。

(旧版と現行版)

(旧版細部拡大)

旧版のサイズは、ほぼフォルタン版のままです。
かつて多くの人が手にし、星座への憧れをはぐくんだフォルタン版は、こんなにも可愛らしいサイズだったんだ…ということを実感するには、旧版を手にするのが早道です。それに、現行版は紙がツルツルだし、色も白すぎます。あまりにも古書の表情とはかけ離れているので、この点でも旧版に軍配が上がります。

(両者の紙の表情の比較)

(旧版は、星図の裏面がブランクになっています。現行版もそれは同じですが、ブランク面が糊付けされて袋綴じになっているため、ブランク面を目にすることはありません。)

そして、戦時下に1500部刷り上げた初版を手にすると、当時の出版人や天文人の苦労(それは実に大変な苦労だったはずです)がしのばれて、ひたすら「有り難い」気持ちになるのです。

(初版奥付)

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本が単なる資料にすぎないなら、こんなことを気にする必要もないのでしょうが、古書に求めるのは情報だけではありません。

人間は自身モノであり、限られた生しか持たないがゆえに、やはりモノとしての表情と歴史性を備えた古書に自分の「似姿」を見出し、強く惹かれるのでしょう。そして、そういう存在とでなければ、人間は良き友人関係を結べないんじゃないか…という気もします。