空のグリッド2019年05月27日 06時41分40秒

見慣れたオリオン座の空域。
でも、そこに縦横のグリッドをかぶせると、だいぶ印象が違います。


大空には本来なんの境界もないので、こんなふうに区切るのは、何だかせせこましいですが、でも人間が対象を分析的に理解しようとするとき、そこには必ず(有形無形の)「理知の網目」がかぶせられることを、この一枚の写真はよく物語っています。確かにグリッドがあることで、個々の星の存在はいっそう際立ち、相互の位置関係も明瞭となり、相手のことがより分かる――少なくとも分かったような気になります。


これは王立天文学会(R.A.S.)が、制作・頒布した幻灯スライドの一枚です。


ラベルには「オリオン空域、10インチレンズ、露出2時間」というデータと、「Franklin-Adams」という名前が見えますが、これはイギリスのロイズ銀行に籍を置いた、富裕なアマチュア天文家、ジョン・フランクリン=アダムズ(John Franklin-Adams、1843-1912)のことです。

彼が本格的に天文学に取り組むようになったのは1890年、すなわち50歳近くなってからで、その天文知識はほぼ独学したが、何せお大尽ですから、自邸に立派な観測施設を設けて、最初は4インチ、次いで6インチ、そして10インチへと徐々に機材は大型化してゆきました。さらには、星を眺めるばかりでなく、天体写真の撮影へと彼は興味を深めていったのです。

アダムズは1902年に健康をひどく害したため―― 一時は一人で着替えもできないほどでした――南アフリカで静養することになり、でも静養といいながらも、その天文熱はいや増すばかりで、ついに彼の地で全天の写真撮影という大業を思い立ったのでした。

1904年春、英本国に戻ってからも、その作業は続き、彼と助手が撮影した膨大な写真乾板は、その後、王立天文官(アストロノマー・ロイヤル)に託され、グリニッジで精査が続けられました。

その集大成が、アダムズの没後に刊行された『フランクリン=アダムズ写真星図(Franklin-Adams Charts)』(1913-14)です。これは全天を15°四方、206の区画に分け、それぞれ1°あたり15mmの縮尺で、17等星まで表現した大部なアトラスです。

…と言って、私はその実物を見たことはないんですが、このスライドは王立天文学会の直販ですから、アダムズのオリジナルネガから直接焼き付けたものに相違なく、その写真星図の実際を窺うに足ります。

(ネガポジ反転画像)

この品は写真としても興味深いし、その背後に一人のアマチュア天文家の生き様が想像される点が、また大いに興味をそそります。


【参考】
■ジョン・フランクリン=アダムズ追悼文
 『Monthly Notices of the Royal Astronomical Society』、Vol. 73(1913)、p.210