エジプトの星を見る2019年07月03日 06時17分54秒

妙に縦長の本。


幅が11センチに対し、高さは24センチあります。
本というより、冊子と呼ぶのがふさわしい、薄手の出版物です。

■H. E. Hurst、M. R. Madwar、A. H. Samaha(編)
 『Star Atlas for the Latitude of Egypt(エジプトの緯度用星図帳)』
 R. Schindler(Cairo)、1942(第2版)、46p.

読んで字のごとく、エジプトの緯度に合わせた星図帳で、主にエジプトで暮らすイギリス人向けに編まれたものです。

当時のエジプトは一応エジプト王国として、独立国の体裁をとっていましたが、イギリスの間接統治による反植民地的存在でしたから、軍人やら商人やら、多くのイギリス人がエジプトに住み、中には砂漠の地を往くために、実際的なナビゲーションツールとして、星の知識を必要とする人もいましたし、そうでなくとも澄んだ星空に興味を覚える人が大勢いたので、こうした星図帳が編まれたわけです。


メインとなるのは、季節の歩みに応じた6枚の星図です。
たとえばこの図1は、1月の午後8時の空を描いたもの。

そして、季節は徐々に移ろい、夜空を彩る星座の顔ぶれも変わっていきます。


こちらの図4はちょうど今頃、7月の午後8時の空です。


星図の他に、パラフィン紙に刷った座標図がおまけに付いているのは上手い工夫で、これを星図に重ねると、天体の天球座標と地上座標が読み取れるようになっています。

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「エジプトの星空」と聞くと、いかにもエキゾチックな感じがします。

カイロの町は北緯30度ですから、北緯51度のロンドンの空を見慣れた人の目には、確かにずいぶん違った空に映ったでしょう。でも、北緯36度の東京と比べた場合は、北極星の高度が若干低いとか、カノープスが見やすくなるとかの差はあると思いますが、空を彩る星座たちは、似たような顔ぶれです。(ちなみにロンドンの緯度は、日本近傍だと樺太北部、カイロは種子島とほぼ同緯度になります。)

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それでも、日本の空とエジプトの空には、ひとつ大きな違いがあります。
それは濛気(もうき)の有無

具体的な数値を引っ張ってくると、「エジプトでは年間降水量が 80mm を超える地域はほとんどない。〔…〕カイロの年間降水量は 10 mm を若干上回る程度である」…ということが、環境省の著作物〔LINK〕に書かれていました。驚くほどの少雨です。

日本でも雨の少ない土地はありますが、少ないところでも700mmを超え、平均すると1700mmぐらいですから、エジプトとはまるで比較になりません。特に春から秋にかけて、日本は常に湿潤な空気に覆われ、空気中に漂う水蒸気は、星の光をうるませ、おぼろにし、さらに地上光を反射することで、空自体を明るいものにします。

一方、エジプトの空はいつもカラッとして、星の光は鋭くカッチリとしています。まあ、私もエジプトの空を見たことはないので、自信満々に言うことはできませんが、理屈で考えれば、そのはずです。

一点の濛気もない春の星座たち――日本のスターゲイザーは、それだけでもずいぶんエキゾチックに感じるんじゃないでしょうか。

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この星図帳は、星図以外に入門者向けの星空解説が詳しく載っています。


そして、前の持ち主はそれをじっくり学んだことが、あちこちに書かれたメモから伺えます。


彼がどんな思いでエジプトの星を眺めたかはわかりませんが、彼の熱意は疑うことができません。見も知らぬ過去の人が、親しい友人のように感じられるのはこういう瞬間で、何だか無性に嬉しいものです。