ナスミスの『月』2019年07月13日 11時54分14秒



ナスミスによる月地形生成論は、『The Moon』という本にまとめられています。
彼の月模型が大々的に紹介されているのも、本書においてです。

(ナスミスが制作した月面模型のひとつ。ウサギの耳の脇に並ぶテオフィルス、キリルス、カタリナの各クレーターを中心とした領域)

初版は1874年ですが、手元にあるのは、ナスミスの死後、1903年に出た第4版です。

■James Nasmyth and James Carpenter(著)
 The Moon: Considered as a Planet, a World and a Satellite.
 John Murray (London), 1903. 315p.

ブックデザインは版によって違いますが、第4版は金色の月が目印。


   ★

月のクレーターの成因については、火山説衝突説が拮抗し、20世紀後半になって最終的に衝突説が勝ち残った…というのが一般的理解でしょう。ただし、ガリレオによる月のクレーターの発見以来、火山説が優勢だった期間の方が圧倒的に長い、ということも見逃せません(中にはウィリアム・ハーシェルのように、自ら月クレーター内部で噴火が起こるのを見た…と主張する人もいました)。何せ19世紀以前の知見に照らせば、火山説の方が学理がしっかりしており、衝突説は単なる思い付きの域を出なかったからです。

もちろんナスミスも火山説に立って、論を展開しました。



彼はクレーターの中央丘を噴火口の痕跡と考えて、強い注目を向けています。



『The Moon』には、何やらアーティスティックな写真も挿入されています。
この2枚の印象的な写真は、月の皺状山脈は月内部の収縮によって形成されたという説を、感覚的に訴えるためのものです。


そして、彼は月の山脈そのものの模型も手掛け、それを元にしたのが前回の幻灯スライドだろうと思うのですが、正確を期すと、あのスライドと全く同じ構図のナスミス模型は未発見なので、あれがナスミス作というのは、今のところ私の個人的推測です。

   ★

今や、かつて「奇説」だった衝突説が確立し、「通説」だった火山説は、すっかり過去の遺物となりました。時代の俊才が、ありったけの証拠に基づき、最も合理的に推理した所論でも、時には間違うことがあります。

…というよりも、そうした事例の方が、歴史的には多いでしょう。
ナスミスのこの本も、その雄弁な証人です。

そして、ナスミスにとっては甚だ迷惑かもしれませんが、過去に押しやられた古風な学説だからこそ、そこにある種の魅力が伴っていることも否定できず、そうした遺物に囲まれると、奇妙な安らぎを覚える偏屈な人も世間にはいるのです(私のことです)。


【参考】

■Christian Koeberl、
 Craters on the Moon from Galileo to Wegener: A Short History of the Impact Hypothesis, and Implications for the Study of Terrestrial Impact Craters.(⇒リンク


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