万華鏡を覗き、そっと目を離せば2019年07月21日 08時22分59秒

(本日2投目です)

万華鏡を手にボンヤリ考えたこと。

万華鏡を覗く人は、目の前に展開する美しい光景に心を奪われます。
でも、もし仮に万華鏡の中しか知らない人がいたら、彼はその無限に変化を続ける光と色と形のパターンこそが、世界の全てだ…と思ってしまうでしょう。そして、

 「私はこれまで実に多くの光景を目にした。それらは互いに驚くほど違った相貌を持ち、等しく私の心に深い印象を残した。私はこれまで何と多くの経験をしたことだろう…。ひょっとしたら、もはやこの世界に、自分が新たに学ぶことは無いのではないか?」

…という慢心を抱くかもしれません。

   ★

彼は大きな見落としをしているのです。
すなわち、彼が無限と感じたパターンの連なりは、3枚の合わせ鏡と、ごく少数のオブジェクト(内容物)によって生み出された「ちっぽけな無限」に過ぎないことを。

人間の認識そのものが、あるいは似たようなものでしょう。
万華鏡における3枚の合わせ鏡は、人間がそこから逃れられない認識の枠組みです。そしてオブジェクトは、人間に認識できる、ごく限られた対象です。人間は、認識の万華鏡をくるくる回して、いっぱし世界を知り尽くした気になっていますが、もちろんそんなことはないのです。

これは哲学者たちが認識論と称して、昔から侃々諤々やってきたテーマですが、議論よりも何よりも、実際にこの「認識の万華鏡」からそっと目を離したら、いったい何が、どんな光景が見えるのでしょうか?

想像するに、それは決して言葉にならない経験であり、お釈迦さまが「悟り」と呼んだものに通じるのでしょうけれど、もちろんこう書いたからといって、何一つ分からないことに変わりはありません。

   ★

まあ、こんなことを考えるのは暇人の証拠で、「下手の考え休むに似たり」でしょうが、でも、人間はとかく慢心しやすいものですから、時にはこんなふうに己の限界を省みた方がよいのです。

万華鏡は単純な玩具に過ぎないとはいえ、その示唆するところはなかなか深遠です。
人生という船旅のお守りに、ひとつ手元にあっても好い。

   ★

さて、選挙です。
悟りの道は遠けれど、このちっぽけな無限世界に、ちっぽけな影響力を及ぼすことは、ちっぽけな私にもできますから、ちょっと行ってきましょう。

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