石の色(2)2019年07月26日 06時55分05秒

岩絵具の話のつづき。


この繊細な色合いと、ずらっと並んだ標本感に、私は言い知れぬ魅力を感じますが、鉱物趣味の観点からこのセットを眺めた場合、ひとつ不満が残ります。
それは原料の鉱物種が不明なことです。


絵具の中には、「黒曜石末」とか、「岩辰砂」とか、鉱物名をそのまま色名にしたものもあるのですが、それ以外は「柳葉裏」とか、「朽葉色」とか、優美ではあるけれど、元の鉱物名とは無縁の名前が付いています。この点は、メーカーであるナガガワ胡粉絵具さんのサイトを見ても同様で、そこにも原料鉱物の解説はありません。

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でも、ふと気づきました。
岩絵具の色は、鉱物の微粉末の色であり、それは結局「条痕色」と同じだと。

鉱物趣味の方はご存じでしょうが、条痕色とは鉱物種を判別する手掛かりの一つです。鉱物を素焼きの板(専用の条痕板や、茶碗の糸底など)にこすりつけると、鉱物によって特有の色が出ることから(出ないものもある)、その素性を知るヒントになるというもの。塊としての鉱物の色と、条痕色は一致するときもあるし、一致しないときもあって、条痕色のメカニズムは、なかなか奥が深いです。

条痕色に思い至ったのは、我ながら上出来。
ここで具体的に、鉱物と条痕色の対応を知るために、取り急ぎ以下の本をアマゾンで注文しました。

(松原聰、『図説 鉱物肉眼鑑定事典』、秀和システム、2017)

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ただし――と、急いで付け加えますが、岩絵具の奥深さは、岩絵具の色と鉱物種が1対1対応しているわけでもない点にあります。

たとえば、緑系の岩絵具の原料は、ほぼ孔雀石(マラカイト)一択ですが、ひと口に孔雀石といっても、その色味は多様ですし、人工的に加熱することによって、さらに黒みを増すこともできます。他の色も同様で、多くの場合、1つの鉱物種はいろいろな色に対応しています。

そのことは、岩絵具の歴史を知るために、本棚から下の本を引っ張り出してきて、パラパラ読んだら分かりました。さらに、鉱物質の顔料としては、岩絵具のほかに、土を原料とした「泥絵具」も重要だとか、日本で「新岩絵具」と呼ばれる、色ガラスを原料にした顔料も、西洋では15世紀には使用が始まっており(青いコバルトガラスを原料にした「スマルト(花紺青)」)、その歴史は長い…とか、岩絵具とその周辺の話題は、なかなか尽きないのでした。

(クヌート・ニコラウス(著)、黒江光彦(監修)、黒江信子・大原秀之(訳)『絵画学入門―材料+技法+保存』、美術出版社、1985 /東京芸大大学美術館『よみがえる日本画―伝統と継承・1000年の知恵』展図録、2001)

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これで、今年の夏の自由研究のテーマは決まりです。
この夏は石の色の謎を追って、涼やかに過ごせるといいのですが、あんまり入れ込むと暑くなってしまうので、その辺の力加減が難しいです。


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【余談】

ときに、「色って本当にあるのかな?」…と疑問に思ったことはありませんか。

色はたしかに物理的基礎を持っています。それは光のふるまいによって生まれる性質であり、物理学の言葉で客観的に記述することができます。

と同時に、「色そのもの」は「色彩経験」としか呼べない性質も有しており、純然たる主観世界の住人のようにも思えます。たとえば、赤いリンゴの「赤さ」は、リンゴの側ではなく、我々の心の側にあるのではないか…という気もします。

この辺の事情は、たぶん色彩心理学の分野で、詳しい概念整理が行われてきたと思いますが、結論から言えば、「色」とは主観と客観が出会うところに発するものでしょう。

禅宗のお坊さんは、手をポンと叩いて、「今の音は右の手から出たのか、左の手から出たのか」と謎をかけたりしますが、「色」もその類で、主―客接するところにポンと発するのが色なんじゃないかと思います。

「これぞ色即是空、空即是色のことわりなり」…とか言うと、ちょっと尤もらしいですね。