「表現の不自由展・その後」のその後2019年08月04日 17時49分19秒

これがまさに「主戦場」というやつでしょうか。

まあ、いちばん悪いのはテロを予告した人間ですが、それに次いで悪い(と私が思う)のは、河村名古屋市長です。この点はコメント欄でもご意見をいただき、我が意を得た思いです。河村さんが個人として何を思っても、それこそ自由ですが、市長が公人として芸術展の内容に介入するなんて論外です。一体何を考えているのか?

…と、ここで私の考えが止まります。

もし事態の色合いを変えて、これがヘイトだったり、ナチズムや軍国主義を礼賛する内容の展示に対して、市長が中止を求めて抗議したのだったら、私はそれに異議を唱えたでしょうか?

昨日の私の言い分からすれば、抗議しなければ首尾一貫しないことになります。
私はその仮想市長氏の反ヘイト、反ナチズム、反軍国主義の意見には強く賛同しても、市長という立場で、表現の自由を脅かすような行動をとることについては、断固抗議しないといけません。ええ、その場になったら、これはぜひそうしたいと思います。

河村さんにしたって、展示内容に異を唱えつつも、「しかし、暴力で展示をやめさせるなんて、断じてあっちゃならん」と言ったなら、河村さんの考えには、こちらも意見を述べつつ、その姿勢には大いに賛同できたはずですが、今回は全くダメダメな一幕でした。

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(愛知県芸術文化センター)

今日は遅ればせながら、トリエンナーレを見に行ってきました。
せめて展示会場の跡地だけでも見たいと思いましたが、会場の入口はボードでふさがれて、残念ながら全く見ることができませんでした。

(このボードの向こう、左手に曲がった先が問題の会場・A23)


展示が中止になった経緯を説明するものが何もなかったので、知らない人が見たら本当に何のこっちゃという感じです。

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その後、他の展示を見て回り、いろいろ考えさせられました。
作品の多くは何らかの政治的メッセージ――難民問題だったり、環境問題だったり、情報監視の問題だったり――を含むもので、現代芸術はおしなべてそうですから、「芸術は政治にかかわるべきではない」なんていうのは、今のアートシーンからは相当遠い言葉と感じられました。

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それと「表現の不自由展」の会場跡に、いかにも右翼という身なりの人がいたので、「たぶん立場や意見はだいぶ違うと思いますけど…」と前置きした上で声をかけたら、その人(以下、右氏)は、なかなか気持ちのいい人で、年恰好が同じぐらいだった気安さもあり、いろいろ率直に話を聞けたのは良かったです。(右氏は少女像よりも、昭和天皇の写真を燃やす映像作品を主に問題にしていました。)

「ガソリンをまくという電話もあったみたいですが、ああいうのはどうなんですかね?」と水を向けると、「うん、ああいうのはいかんよね。」と右氏。

「左の人も一枚岩ではないでしょうけど、右の人もいろいろですか?」「まあ、そうだねえ」と、終始穏やかに話をしてくれた、民族主義を標榜する右氏とは、他にも意見の一致するところがあったし、もちろん一致しないところもあったのですが、顔を見ての対話はやっぱり大事だと思いました。(これがツイッターの文字だけの応酬だったら、たぶんグチャグチャになっているでしょう。)