蛍光と蛍石の話(その2)2019年08月17日 08時55分21秒

蛍石の人気は、色・形・透明感の3拍子が揃っていることに加えて、「ほたる石」という名前の可憐さも一役買っているでしょう。その名前をめぐって、さらにメモ書きを続けます。

(様々な蛍石。中央は中国湖南省の黄沙坪鉱山産。八面体は、米・ニューメキシコ州、同イリノイ州産)

そもそも、「蛍石」という名前はいつからあるのか?

この点を考えるのに、一つ重要な資料があります。それは以前、「天河石(アマゾナイト)」の由来を調べたときにも参照した、ヨハンネス・ロイニース(著)、和田維四郎(訳)の『金石学』(文会舎、明治19年<1886>)です。

和田はこの本を訳すにあたって、鉱物の名称について、意訳したり、直訳したり、音訳したり、いろいろ苦労してネーミングしています。そして、それが現在の鉱物和名の基礎となっているので、鉱物名の由来を調べるときには、真っ先に参照すべき本です。

さて、同書で蛍石はどうなっているか?

(国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831991
 から第257~258丁(コマ番号141~142)を合成)

結論からいうと、「蛍石」はそうやって明治に生まれた新名称ではありません。昔から日本で使われた「和名」だと、和田は記しています。(彼はそれとは別に「コウ灰石」(コウは「行」の中央に「黄」)という意訳を考えましたが、これは普及しませんでした。文意をたどると、コウは今の弗素のことらしく、今風にいえば「弗灰石」です。)

ということは―。
「蛍石」の称は少なくとも江戸時代にさかのぼるものであり、しかも江戸時代の人は、蛍石という鉱物を知っていたばかりでなく、その発光現象も知っていたことになります(そうでなければ、唐突にホタルを持ち出すことはないでしょう)。

   ★

「へえ」と思う一方、でも、そんなに印象的な名前を持った石なら、江戸時代の書物にもっと出てきてもよさそうなのに、江戸の大百科事典『和漢三才図絵』にも、当時の代表的な鉱物誌である『雲根志』にも、蛍石の名を見つけることができないのが、ちょっとモヤモヤする点。

そんな次第なので、江戸時代の蛍石が、すでに工業的に利用されていたのか、あるいは単なる飾り石としての扱いだったのか、そういう基本的なことも今のところ不明です。

(蛍石。メキシコ産)

(この項さらにつづく)