100年前、8月の空を彗星が飛んだ2019年08月19日 10時33分52秒

ちょっと素敵な品を見つけました。
明治時代に刷られた天文モチーフの絵葉書です。


地上の黒々としたシルエットは、こんもりと茂る木々に火の見梯子と電信柱、大きな屋根は村のお堂でしょうか。これは紛れもなく日本の風景です。そして、その上に広がる紺色の空と白い星、刷毛ではいたように飛ぶ彗星。

19世紀後半以降、ヨーロッパではギユマンの『Le Ciel』をはじめ、星景画の傑作がたくさん生まれましたが、明治の日本でも、こんなに美しい作品が描かれていたのですね。これは嬉しい発見。


キャプションを見ると、「明治40(1907)年8月20日、午前3時の東の空」だと書かれています。

薄明を迎える前のこの時刻、西の地平線では巨大な白鳥がねぐらへと急ぎ、頭上にはアンドロメダが輝き、そして東の空にはオリオンとふたご座がふわりと浮かんでいます。8月の空も、夜明け前ともなれば初冬の装いです。

絵師はK.Oonogi(大野木?)という人ですが、伝未詳。当然、外国書も参照したでしょうが、それを日本に移植して、詩情あふれる一幅の絵にしたのは、相当の絵ごころ、星ごころを持った人だと思います。(「オリオン座」を「オリオン宮」とするのは変だし、英語キャプションの「STER」もスペルミスでしょうが、この際それは些事です。)

   ★

ところで、今から112年前のちょうど今頃見られた天体ショーの主役である、この美しい彗星。


これは、米国のザキアス・ダニエルが、1907年6月9日に発見した「ダニエル彗星 C/1907 L2(Daniel)」です(日本語版ウィキペディアで「ダニエル彗星」を検索すると、彼が1909年に発見した“33P/Daniel”しか出てきませんが、ここに登場するのはその2年前に発見されたもの)。

発見後にぐんぐん光度をあげて、7月中旬には4等級となり、肉眼でも見えるようになりました。さらに8月初めには3等級となり、15度という長大な尾――これは満月を30個並べた長さです――を引いた姿が、夜明け前の東の空に眺められました。そして9月初めには、尾の長さこそ短くなりましたが、最大光度2等級に達したのです。(この件はなぜか英語版Wikipediaには記述がなくて、上記はドイツ語版を参照しました)

数多の大彗星の前では、ちょっと影が薄いですが、それでもここまでいけば大したものです。

   ★

以下、余談。

現代の星景写真は、主に雄大な大自然の中で見上げる星空を取り上げており、「人間生活と星たちの対比」という視点は薄いように思います。でも、かつての星景画を見たとき、最も胸に迫るのは、「転変する人の世と常に変わらぬ星空」という普遍的なテーマです。都会地で星を撮るのは大変だとは思いますが、ぜひ現代のデジタル撮像と画像処理技術を駆使した、現代のギユマン的作品に接してみたいです。

アルカーナ2019年08月24日 18時10分51秒

家の改修やら何やらゴタゴタしているので、ブログの方はしばらく開店休業です。
そうしている間にも、いろいろコメントをいただき、嬉しく楽しく読ませていただいています。どうもありがとうございます。

   ★

しかし、身辺に限らず、世間はどうもゴタついていますね。

私が尊敬する人たちは、人間に決して絶望することがありませんでした。
これは別に、偉人伝中のエライ人だからそうというわけではなくて、どんなに醜悪な世の中にも善き人はいるし、どんなに醜悪な人間の中にも善き部分はある…という、至極当たり前のことを常に忘れなかったからでしょう。(その逆に、どんなに善い世の中、どんなに善い人であっても、醜悪な部分は必ずあると思います。)

私も先人のあとを慕って、絶望はしません。
まあ、絶望はしませんが、でもゲンナリすることはあります。
醜悪なものを、こう立て続けに見せられては、それもやむなしです。
それに、このごろは<悪>の深みもなく、単に醜にして愚という振る舞いも多いので…とか何とか言っていると、徐々に言行不一致になってくるので、この辺で沈黙せねば。

   ★


本棚の隅にいる一人の「賢者」。
彼が本当に賢者なのか、あるいは狂者なのかは分かりません。突き詰めるとあまり差がないとも言えます。今のような時代は、こういう人の横顔を眺めて、いろいろ沈思することが大切ではないか…と思います。

その人は、医師にして化学者、錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)

写真に写っているのは、オーストリアのフィラッハ市が1941年、パラケルススの没後400年を記念して鋳造した、小さな金属製プラーク(銘鈑)です。フィラッハは、パラケルススが少年時代を過ごした町であり、郷土の偉人をたたえる目的で制作したのでしょう。

上の写真は、プラークを先に見つけて、あとからちょうどいいサイズの額に入れました。どうです、なかなか好いでしょう。

(プラークの裏面。購入時の商品写真の流用)

(仰ぎ見るパラケルスス)

   ★

本棚ではたまたまユングの本と並んでいますが、ユングにはずばり『パラケルスス論』という著作があります。

(榎木真吉・訳、『パラケルスス論』、みすず書房、1992)

原著は1942年に出ており、内容は前年の1941年、すなわち手元のプラークが制作されたのと同年に、やっぱりパラケルススの没後400年を記念して、ユングがスイスで行った2つの講演(「医師としてのパラケルスス」と「精神現象としてのパラケルスス」)を元に書き下ろしたものです。

しかし、本書を通読しても、ユングの言っていることは寸毫も分かりません。
したがって、パラケルススその人のこともさっぱりです。

 「パラケルススは、〈アーレス〉に、≪メルジーネ的≫(melosinicum)という属性を与えています。ということは、このメルジーネは疑いもなく、水の領域に、≪ニンフたちの世界≫(nymphididica natura)に、属しているわけですから、≪メルジーネ的≫という属性に伴って、それ自体が精神的な概念である〈アーレス〉には、水の性格が持ち込まれたことになります。このことが示唆しているのは、その場合、〈アーレス〉とは、下界の密度の高い領域に属するものであり、何らかの形で、身体ときわめて密接な関係にあるということです。その結果として、かかる〈アーレス〉は、〈アクアステル〉と近接させられ、概念の上では、もはや両者は、ほとんど見分けがつかなくなってしまうのです。」
(上掲書 p.132)

私が蒙昧なのは認めるにしても、全編こんな調子では、分れという方が無理でしょう。
しかし、こうして謎めいた言葉の森を経めぐることそれ自体が、濁り多き俗世の解毒剤となるのです。そして、私が安易に世界に対して閉塞感を感じたとしても、実際の世界はそんなに簡単に閉塞するほどちっぽけなものではないことを、過去の賢者は教えてくれるのです。

蝉の世、人の世2019年08月31日 08時35分50秒

俳句の季語でいう八月尽(はちがつじん)、今日で8月も終わりです。

今年の夏も猛暑続きでしたが、個人的に気になったのは、「今夏はツクツクボウシが聞かれない」という事実。いつもだと、甲子園の決勝が終わる頃から、その盛りになって、晩夏を惜しむ気持ちが募るのですが、今年は今に至るまで至極まばらです。

これは「13年ゼミ」みたいに、ツクツクボウシの発生にも周期性があって、当たり年とそうでない年があるせいかな…と、思ったのですが、下のページを拝見すると、ツクツクボウシの幼虫期間は1~2年と短く、そもそも日本に周期ゼミはいないそうなので、上の考えは当たっていません。ひょっとして、ツクツクボウシの生息数そのものが減っているのかもしれず、これは来年もよく観察せねばなりません。

■村山壮吾氏「蝉雑記帳」:3と4の偶然(「素数ゼミへの反論」)

   ★

さて、陋屋の改修が来週から本格的に始まります。

もちろん意図しての断捨離はしないんですが、この機会に多少物を減らすことを迫られています。そういう目で見ると、たとえば蒐集の初期に手に入れたモノたちは、今の目で見ると選択の基準が甘いので、彼らがまず「首切り」の候補に挙がってきます。でも、彼らこそ草創期から私の周囲を彩ってくれたモノたちであり、付き合いも長いので、そうバッサリ切ることもためらわれます。まあ、「糟糠の妻」みたいなものですね。

そんなこんなで、他人から見ればどうでもよいことに心を悩ませつつ、今年の秋を迎えます。

 法師蝉 不語禅定の 八月尽  玉青