歳末と終末2019年12月31日 08時07分55秒

いよいよ大晦日。
一年の終わりに当たり、ちょっとそれらしいことを考えてみました。

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宇宙は広大で、その歴史は長い。
…それは確かにそうです。でも、宇宙が広大なのは認めるにしても、その歴史はあんまり長くないんじゃないかなあ…と、子どものころから感じていました。

改めて最新の数字で考えてみます。
宇宙の大きさを、とりあえず人間が認識可能な「可視宇宙」に限定しても、その直径は930億光年に及びます。メートルにすれば、8.8×10の26乗メートル。すなわち、宇宙の大きさに比べて、人間の大きさは10の26乗分の1の、そのまた5分の1ぐらいしかありません。(そして「本当の宇宙の大きさ」は、「可視宇宙」より遥かに大きいとも言われます。)

(差し渡し約3億光年、ガラスの中の超銀河団。過去記事参照)

でも、時間的に見ると、宇宙の年齢はわずか138億歳です。
われわれ人間だって、100歳以上生きる人が結構いるのですから、人間の寿命は、宇宙の年齢の1億分の1、すなわち10の8乗分の1あります。

人間を空間的に1億倍しても、月までの距離の半分にしかなりませんが、時間的に1億倍すれば、宇宙の年齢に匹敵する…というのが、何だか非対称な感じです。空間的スケールでは、宇宙は無限ともいえるほど巨大ですが、時間的スケールでは、宇宙は驚くほど若く、人間は驚くほど長生きです。

ですから人生の短さを嘆くには及びません。人生は十分に長いのです。

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むしろ、真に嘆くべきことがあるとすれば、それは「宇宙の華やぎの短さ」です。

雑誌『ニュートン』最新号(2020年2月号)の特集は、「宇宙の終わり」
これを読んで、子どものころ感じた、上のようなモヤモヤを思い出しました。


 「地球や星はいつか死をむかえるのだろうか?宇宙に「終わり」はあるのだろうか?太陽系から銀河、宇宙全体にいたるまで、さまざまなスケールの宇宙の未来を徹底解説」…と謳う2月号。

記事は、まず星の一生と、80億年後に訪れるであろう、我らが太陽系の終末図を描いたあと、「PART2 天体の時代の終わり」に筆を進めます。

1000億年後には、多くの銀河団が合体して「超巨大楕円銀河」が生まれ、我々の可視宇宙には、ただ1つの超巨大楕円銀河が存在するだけになる…と、ニュートン編集子は述べます。この巨大な星の集団の外には何もない、ある種孤独な世界です。

そして10兆年後、超巨大楕円銀河に含まれるすべての星が燃え尽き、世界は真の闇へと沈んでいきます。

さらに、10の20乗年が経過すると、そうした星の残骸の多くが銀河中心のブラックホールに飲み込まれ、巨大なブラックホールが、暗黒の中にいっそう暗い表情で浮かんでいるだけの、虚無的な世界が出現します。

そして10の34乗年後には陽子の多くが崩壊して、わずかに残った物質も無に帰し、10の100乗年後にはブラックホールすらも蒸発して、完全なる無が訪れる…。

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もちろん、以上のことは現時点での理論的予測(の1つ)であり、今後シナリオが書き変わることも十分ありえます。それにしても、空に輝く星々が、いずれ輝きを失うことは確実ですから、子ども時代の私が宇宙に「若さ」を感じたのは、事実、宇宙が若いからに他ならないのでした。

宇宙はこれから後、これまでよりも桁外れに長い時を生き続けるでしょう。そのことを考慮すれば、やっぱり人間は宇宙にかないません。

でも、そうした宇宙の「全人生」を考えたとき、そこに星が輝き、生命が盛んに生まれ出る豊饒な期間は、驚くほど短く、その後に続く衰亡と退嬰の時間の長さを思うと、まこと花の命は短くて、空しきことのみ多かりき…

(ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙の華やぎ。Wikipediaより)

何はともあれ、我々がここにこうして存在していることは、宇宙の若さの帰結であり、我々はみな宇宙の青春そのものだ…と考えると、大いに気分が若やぐではありませんか。

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皆さま、どうぞ良いお年を!