ハレー彗星来たる(その2)2020年02月02日 11時18分29秒

17世紀は「科学革命の時代」と持ち上げられますが、その一方で魔女狩りもあり、ペスト禍もあり、地球規模で寒冷な時期だったせいで、人々は素寒貧だったし、ヨーロッパの王様は戦争ばかりやってたし、まるで中世の再来のように暗い面がありました。

ハレー彗星は17世紀に2回来ています。すなわち1607年と1682年です。
それが人々の心にどんなさざ波を立てたのか、詳らかには知りませんが、1607年の彗星は間違いなく超自然的な凶兆だったでしょうし、1682年のときだって、程度の差こそあれ、人々を不安にしたことは間違いありません。

それが1758年になると、さすがは啓蒙主義の時代、ハレー彗星も「単なる科学ニュース」になっていた…というのが、前回書いたことでした。

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さて、その次は1835年です。
この間に、ハレー彗星のイメージはどう変わったのか?

1835年も、ハレー彗星は立派な科学ニュースでした。その点はたぶん同じです。
でも、それだけではありません。

このとき、彗星は新たに「ファッション」になったのです。
言い換えると、ここにきて彗星はにわかに「カッコいいもの」になったのです。これこそが、19世紀の新潮流でした。

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ブローチのデザインの一種に、「彗星ブローチ」というのがあります。

ジュエリー関係の人は、しばしば1835年のハレー彗星こそ、そのきっかけになったと語ります(これは主にeBay業者の言い分ですが、ハレー彗星コレクターであるスチュアート・シュナイダー氏も、自身のサイト「ハレー彗星は1835年に、彗星を記念する新しいジュエリースタイルによって歓迎された」と書いているので、おそらくそうなのでしょう。)

手元にあるアメシストのブローチも、1835年当時のイギリス製と聞きました。


イギリスではヴィクトリア女王が即位(1837)をする直前で、「ヴィクトリアン様式」のひとつ前、「ジョージアン様式」に分類される古風な品です。

この形は、一見どっちが頭(コマ)で、どっちが尾っぽか分かりませんが、いろいろ見比べてみると、どうも大きい方が頭のようです。我々は、写真に納まった“長大な尾を引く彗星”のイメージに慣れすぎていますが、たいていの彗星は、尻尾よりも頭の方が明らかに目立ちますから、素直に造形すれば、確かにこうなるわけです。

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その後も彗星ブローチは作られ続けました。


特に意識して集めているわけではありませんが、しばしば目に付くものですから、小抽斗の中には、新古取り混ぜて彗星ブローチがいろいろたまっています。そのデザインは千差万別で、人間の想像力の豊かさを感じさせますが、これは実際に彗星の形が多様ということの反映でもあります。

天空を翔び、胸元を飾るそのフォルムに注目した「彗星誌(Cometography)」を、いつか書きたいと思っているので、彗星ブローチの件はしばらく寝かせておきます。

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話を元に戻して、19世紀に入って、彗星がなぜ「カッコいい」存在になったかですが、その理由はしごく単純で、19世紀の幕開けとともに、一般のホビーとして「天文趣味」が成立し、それがファッショナブルになったからじゃないかなあ…と思います。

市民社会の成立は、多くのホビーを生み出しましたが、その中でも科学的装備をこらして、遥か天界の奥を窺う天文趣味は、何となく高尚で「カッコいい」行為となり、暗夜にきらめく星空はロマンの尽きせぬ源泉となりました(その流れは今も続いていると思います)。

中でも変化と動きに富む彗星は、まさに夜空のヒーローであり、その天空ショーがまた新たな天文趣味人を生むという好循環によって、19世紀は天文趣味が大いに興起した100年となったのです。


(次の回帰は1910年、ハレー彗星はいよいよ時代の人気者となっていきます。この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2020年02月04日 20時16分16秒

コメントでお邪魔します。

>1835年も、ハレー彗星は立派な科学ニュースでした

 この点は、我が日本でもそうだったのですが、お世話になりました↓のページの下のほうにある年表を見ていただくとちょっと興味深い点があるのではないかと思います。

http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/a-text/Uranus_in_Japan2.0.htm

足立信順が1824~1831年の間、天王星(ユラヌス)の観測と計算で、天文方のポストを目指して頑張っていたのですが、親父さんの足立信頭が1835年に足立家として初めて天文方に就任すると、息子が頑張っていた天王星を差し置いて、ハレー彗星のほうの軌道計算をしてしまうということをしています(1836年)。計算の原理は、天王星もハレー彗星も似たようなもので、公転周期も近いですが、だんぜん彗星のほうが面白そうと思ったのでしょうか。

_ 玉青 ― 2020年02月06日 08時30分51秒

あはは。ハレー彗星もいささか罪なことをしましたね。
それにしても、足立信頭が他でもないハレー彗星に着目したというのが、当時の空気を物語っていますね。これが特別な彗星だということは、日本でもつとに知られていて、それを待ち設ける気分が、天文学者たちのうちにはあったのでしょう。

ときに、例によって『近世日本天文学史』を参照したら(下巻p.712)、信頭の『新修彗星法』の附言というのを引いて、「今此編ニ依テ其一二ヲ校算スルニ天保六年乙未秋見ル者ハ正ニ宝暦九年己卯春見ル者ト同星ナルヲ知ル余年老タリ悉ク此ヲ比校考算スル能ハズ」云々とありました。

「余年老タリ」の一言に彼の思いが滲み出ているようです。これは一般的な述懐である以上に、やはり相手がハレー彗星なればこその思いじゃないでしょうか。信頭の生没は、明和6年(1769)~弘化2年(1845)ですから、彼はちょうど前回回帰の10年後に生まれ、今回の10年後に亡くなっています。まことに人間臭い周期だなあ…と改めて思います。

_ S.U ― 2020年02月07日 06時49分42秒

「余年老タリ」ですか。それでも、時流の彗星の研究を始めたのですね。年老いてから、天文方のポストを得て、足立信頭はそうとう世知に長けた遣り手の学者だったと思います。

 天文計算のみならず、「書物・翻訳奉行」的な仕事についても、高橋景保が代表で馬場家が実務実力派だとしても、大番頭は自分だというふうに振る舞っていたのだと思います。

 でも、得意技はあくまでも近代的な天文計算だったので、あまり「狸」という感じはしません。「狸」がいたとすれば、どちらかというと商人の間家か商人出身の伊能ではないかと思います。

_ 玉青 ― 2020年02月08日 18時19分32秒

>「狸」

これは老練な人物評ですねえ。
まあ、どこの世界にも狸は必要で、腹に一物ありげながら憎めないのが狸ですから、私も老練の度を高めて、できればそんな人間になりたいのですが、何せすぐ底が知れてしまうのでダメですね。(^J^)

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