何をどう正しく恐れるか2020年02月15日 10時53分43秒

新型肺炎、COVID-19との関連で、「正しく恐れよ」という言い回しを耳にすることが増えました。このフレーズは前から気になっていて、これって何か言っているようで、結局何も言ってないですよね。

その出典を探すと、ネットはたちどころに教えてくれて、これは寺田寅彦の言葉がもとになっているんだそうです。

ハザードラボ/防災用語集「正しく恐れる」とは

大元は雑誌『文学』の昭和10年11月号に掲載されたもので、岩波の『寺田寅彦随筆集』だと、第5巻に収録されている「小爆発二件」という短文がそれ。


内容は、同年(1935)8月に、浅間山で起きた二度の小噴火を見聞きした際の所感を記したもので、青空文庫から関連部分を転載させていただくと、以下の通り。

これは8月4日の朝、滞在先の軽井沢でその爆発音を耳にした直後、東京に戻ろうとした際、彼が駅で実際に経験したことです。

 「十時過ぎの汽車で帰京しようとして沓掛駅で待ち合わせていたら、今浅間からおりて来たらしい学生をつかまえて駅員が爆発当時の模様を聞き取っていた。爆発当時その学生はもう小浅間のふもとまでおりていたからなんのことはなかったそうである。その時別に四人連れの登山者が登山道を上りかけていたが、爆発しても平気でのぼって行ったそうである。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と学生がさも請け合ったように言ったのに対して、駅員は急におごそかな表情をして、静かに首を左右にふりながら「いや、そうでないです、そうでないです。――いやどうもありがとう」と言いながら何か書き留めていた手帳をかくしに収めた。

 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。」 
(太字は引用者)


おっちょこちょいの学生と、思慮深い駅員の対比が印象的ですが、一読して分かるように、寺彦の主眼は「こわがらな過ぎ」ることへの戒めにあります。「こわがり過ぎ」ることへの注意喚起は、どちらかと言えば付けたりでしょう。ですから、最近ありがちな「無暗にこわがるな」という意味合いで、「正しく恐れよ」と言い立てることは、寅彦の本意から一寸ずれたことになります。単なるムードメーキングのために、「そうビクビクするな!」と言うだけなら、むしろそれは「こわがらな過ぎる」ことの例になってしまいます

このフレーズの最大の問題は、ではどうすれば「正しく恐れる」ことになるのか、さっぱりわからないことで、それ自体情報量はゼロです。そんな空疎な言葉よりも、具体的な事実を教えてくれた方が助かるし、それでこそ「専門家」の金看板が光ろうというものです。

(なお、引用文中の伏字は原文のまま。たぶん当局の対外政策に対する批判的言辞がダメ出しをくらったのでしょう。)