赤い絵2020年02月27日 07時09分16秒

コロナウイルスの「コロナ」は「王冠」の意。
膜表面にトゲトゲした突起があるからだそうです。

ここから天文趣味的には、日食の際、神秘の輝きを見せる太陽のコロナや、コロナ・ボレアリス(かんむり座)とコロナ・アウストラリス(みなみのかんむり座)という、南北ふたつの星の冠に話を持っていくこともできます。

でも、何といっても非常時ですから、今日も引き続き毛色の変わった品を載せます。


これは明治半ばの刷り物です(35.5×23.5cm)。
出版されたのは明治27年(1894)。折からの日清戦争で、ナショナリズムが極度に高揚した時代の空気がよく出ています。


「支那の兵隊はよっぽど憎い奴。兵糧が足りないちゅうて牙山〔戦場となった朝鮮の町〕を食い荒らす」


「ちゃんちゃんぼうず〔中国人の蔑称〕はよっぽど弱い者。牙山が守れんちゅうて散り散いりばーらばら」

やたらめったら清の軍隊をこき下ろす一方、我が皇国兵士はまことに忠勇無双、敵兵を手もなく打ち据えています。


「日本の意気地はよっぽど強いもの。朝鮮国を助けるちゅうてちゃんちゃんをメッチャメチャ」 〔当時はまだ嫌韓思想がなくて、「朝鮮をいじめる清国はケシカラン」というのが出兵の建前でした〕

今の目から見ると、あっけらかんとし過ぎて、なんだか突っ込むことすら難しい気がします。太平洋戦争の頃の日本人は「鬼畜米英」を絶叫していましたが、その半世紀前も、同胞のメンタリティーは、あまり変わらなかったみたいですね。

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この絵の特徴は、赤絵具の一色刷りであること。
これは、江戸時代からある「疱瘡絵」の一種で、疱瘡(天然痘)よけのまじないとして、こういう赤い絵を家の中に貼る習慣が、明治になっても続いていたこと示しています。

文明開化の世が来ても天然痘の流行は終らず、ものの本には「2年前から流行の天然痘がなお終息せず、この年〔明治27年〕の患者1万2,400人。死者3,300人」と、出ています。(下川耿史・家庭総合研究会・編『明治・大正家庭史年表』p.232。さらに同書明治26年の項には、患者5,211人・死者685人、同25年の項には、患者3万3,779人、死者8,409人とあります。)

江戸時代の疱瘡絵は、病気をにらみ返す豪傑の絵が多かったですが、明治の御代になると、それが忠勇無双の兵隊さんに置き換わったのでしょう。

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それにしても―。
国の無策が続き、居丈高に嫌中・嫌韓をあおる人が跋扈し続けるようだと、流行り病に襲われても、またぞろこんなものを部屋に貼るぐらいしか抵抗の術がない世の中になってしまいそうです。実に恐るべきことです。


【付記】

上に引いた天然痘の数を見て、「うわ、恐ろしいな」と思いますが、その前後には「赤痢大流行、患者15万5,000余人、死者3万8,049人」とか、「東大は男子学生5,144人中255人が結核。また休学生100人中76人が結核」とかいう記述もあって(いずれも明治27年)、言葉を失います。これも明治裏面史でしょう。

当時の人からしたら、100余年後の新型コロナ騒動の方が浮世離れして感じられるかもですが、まあ、こういうのは比べてもしょうがないですね。