太陽の王冠(後編)2020年05月11日 06時43分03秒

今回は、結論が見えぬまま、調べるのと書くのとを同時並行で進めているので、どうしてもくだくだしくなります。でも、ようやく出口が見えてきました。
前回を受けて、1840年代に目星をつけて、さらに深掘りしていきます。

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自分で1840年代と書いて、ピンと来た本があります。
それは、ウィリアム・ハーシェルの息子で、当代随一の碩学と言われたジョン・ハーシェル(1792-1871)が出した天文学の教科書です。

ジョン・ハーシェル(以下ハーシェル)は、1833年に『天文学要論(Treatise on Astronomy)』という本を出しています。手元には1845年に出た、その「新版(New Edition)」というのがあります。しかし、彼は天文学の発展をカバーするのに、これでは全然不十分と思ったらしく、1849年にはこれを大幅に増補し、『天文学概論(Outlines of Astronomy)』と改題した<全改訂新版>を出しました。この本は、大いに歓迎され、1873年まで12回も版を重ねています。


それらを見ると、1845年の『天文学要論(新版)』には、コロナが全く登場しませんが、1849年の『天文学概論』には、「bright ring or corona of light is seen(…).This corona was beautifully seen in the eclipse of July 7. 1842」という風に出てきます(p.235)。

(ジョン・ハーシェル『天文学概論』(1849)より)

さらに、新たな挿図として、この1842年7月の皆既日食を口絵に加えています。

(同上)

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1840年代は、やっぱり1つのターニング・ポイントだったと思います。
ここでさらに大胆に推論すると、ハーシェルをコロナづかせた(?)、この「1842年7月の皆既日食」の観測記録こそが、コロナ普及にあずかって大いに力があったのではないか…という想像も浮かびます。

天文学界への影響力、そしてハーシェル個人への影響力を考えると、その最有力候補はフランシス・ベイリー(Francis Baily、1774-1844)で、彼はハーシェルとともに王立天文学会を創設した古参メンバーです。

ベイリーの名は、日食の際、月面の凸凹(山谷)が背後の太陽の光をきれぎれに洩らし、あたかも光点の数珠のように見える現象、いわゆる「ベイリー・ビーズ」を記載した人として、天文ファンにはおなじみです。それは1836年5月15日の金環食の報告(LINK)に出てくるのですが、そこにはコロナに関する言及はありません。

ベイリーがコロナについて明確に述べているのは、彼の最晩年にあたる1842年の日食報告の中においてで、このとき彼はイタリア・ミラノの近郊、パヴィアの町に陣取って、当日を迎えました。

■Francis Baily, Esq.
 Some Remarks on the Total Eclipse of the Sun, on July 8th, 1842 
 Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, Volume 5, Issue 25, November 1842, Pages 208–220

報告の中で、ベイリーは例の1806年のデ・フェレールの業績にも言及しつつ、自らが見た日食をヴィヴィッドに叙述しています。

彼が前回(1836年)見たのは金環食で、皆既日食を見たのは初めてです。
彼はそれまで先人のコロナ記録を読んで、漠然と「太陽や月の暈のようなもの」を想像していましたが、実際目にしたのはまったく別物でした。「そのため、私は突如視界に広がった、その壮麗な光景に少なからず吃驚仰天してしまった」(I was therefore somewhat surprised and astonished at the splendid scene which now so suddenly burst upon my view.)と、彼は告白しています(p.211)。その上で、彼はコロナの色、広がり、形状等について、できるだけ正確に記載しようと言葉を尽くしています。

ここで注意すべきことは、彼はコロナを指すのに、すべて斜字体の「corona」――日本風に言えばカギかっこ付きの「コロナ」――を、文中一貫して用いていることで、ベイリーが「コロナ」という語に、一定の意味的負荷――「日食特有の光」というような――をかけて用いていることが明瞭です。

ハーシェルが、この論文を見たことは確実なので(『天文学概論』は、観測地にパヴィアを挙げています)、『天文学概論』に登場した「コロナ」の語も、おそらくベイリーに感化されて使用したものと想像します。

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以上はラフ・デッサンで、この「太陽の王冠」をめぐる歴史物語には、当然もっと多くの人が絡むはずです。しかし、あのベイリーが使い、ジョン・ハーシェルが教科書に記したとなれば、「コロナ」が学術用語として公認されたも同然ですし、この辺から一気に用例が増えたのも事実ですから、物語の絶対年代はあまり動かない気がします。

確かにクダクダしいと言えばクダクダしい―。
でも、「コロナ」という言葉が生まれたことで、人々の注意がコロナに向き、世紀の後半には多くの分光観測がなされ、太陽の層状構造論が進歩していったわけですから、言葉というのはやっぱり大事です。

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さて、閑な人間(私のことです)が、天上のコロナを見上げている間も、地上のコロナの形勢は、刻一刻と変化しています。こちらは果たしてどんな歴史をたどるのでしょう?

(この項おわり)


(注) 19世紀の日食リスト【LINK】を見ると、デ・フェレールの1806年以降、ベイリーの1842年までに限っても、22回もの皆既日食が、地球上のどこかで起こっています。それらの観測記録の中で「コロナ」の語を用いた例は多いでしょうし、またそれを引用して論じた人はさらに多いでしょう。