日本の星座早見盤史に関するメモ(4)…戦後の市場拡大2020年05月30日 13時56分21秒

ちょっと間が空きましたが、この話題を続けます。

星座早見盤の需要が戦後増大したのは、理科の授業で天文の比重が高まったからだ…という仮説を前回述べました。断定口調で書いた割に、あまり根拠はなくて、これは憶測に近いです。理科のカリキュラムにおける天文分野の扱いの変化については、理科教育史の専門家の方に、ぜひ詳細をご教示いただければと思います。

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ここでは「モノ」としての星座早見盤にこだわって考えてみます。

もちろん、戦前の教材カタログに掲載されているくらいですから、当時も星座早見盤を備えた学校はあったと思います。ただ、その位置づけや数量は、戦後と著しく異なっていました。


上は、堂東 傳(著)『小学校に於ける理科設備の実際』(目黒書店、昭和3/1928)という本の一ページです。これによると、星座早見は地球儀、三球儀なんかと同様、各学校に一個あれば足りるとしています。一個というのは、要するに児童生徒が自ら操作することは想定していなくて、教師によるデモンストレーション用だということです。 (なお、地球儀や三球儀は尋常科用(現在の小学校相当)ですが、星座早見は高等科用(現在の中学1~2年生相当)の位置づけです。)

もう一つ同時代の資料を挙げておきます。


こちらは、桑原理助(著)『理科教育の設備と活用』(東洋図書、昭和6/1931)という本で、星座早見は一応「標準設備」に挙がっているものの、ここでも児童用ではなく、教師用だと明記されています(文中の‘(教)’という注記は、教師用の意味です)。

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それが戦後になるとどう変わるか。

ちょっと時代が飛びますが、文部省中等教育課(監修)『改訂理科教育設備基準とその解説』(大日本図書、昭和41/1966)を開くと、中学はもちろん、小学校でも星座早見盤を備えなさい、しかも数を7個ないし13個準備しなさい…と、指示しています(7個は全校学級数が5以下の小規模校、13個はそれ以上の中~大規模校向けの目安です)。

(画像は「小学校及び養護学校の小学部の理科教育のための設備の基準に関する細目」の一部。星座早見盤の単価は220円の設定)

7個ないし13個というのは、グループ学習用に各班1個ずつあてがい、児童に自ら操作させることを意図したものでしょう。星座早見盤は、今や子供たちにとって身近で、気軽に触れることができるものとなったのです。

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戦後の星座早見隆盛の背景に、天文教育が上げ潮だったことは確かだと思います。
ついでに、もう一つ要因を挙げておくと、これは特に終戦直後に顕著だったと思いますが、平和で自由な世となって、息苦しかった戦時中に対する反動から、天文趣味が大いに歓迎されたということもあったんじゃないでしょうか。当時の人々は、すきっ腹をかかえる一方、文化的刺激に対する飢餓感も強く、たいそう本が売れたと聞きます。

星座早見盤も、戦争が終わってすぐ登場しています。それをかつて、以下の記事で取り上げました。

■リンゴの唄を聞いた早見盤

(画像再掲)

(この項つづく)

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