日本の星座早見盤史に関するメモ(6)…昭和50年頃の早見盤界 ― 2020年05月31日 10時26分47秒
渡辺教具の星座早見盤を素材として、一気に現在まで時を流れ下りましたが、話を過去に戻して、昭和50年ころの星座早見盤の顔ぶれを、同時代資料で確認しておきます。
当時の代表的な星座早見盤について、一覧表を2つ見つけました。
まずは、高城武夫(著)『天文教具』(恒星社厚生閣、昭和48年/1973)に掲載された表です。
(高城氏上掲書、p.127より)
表としては画像の方が見やすいですが、参考のため文字に起こして、同書掲載の写真を添えておきます。
【左から「品名」、「編作者(様式)」、「発行所」の順】
①新星座早見、 日本天文学会、 三省堂
②星座早見、 名古屋科学館、 名古屋星の会
③精密 恒星及惑星早見、 伊藤精二、 地人書館
④新星座早見盤、 (南北天両面式)、 恒星社
⑤星座早見、 (金属板準半球)、 渡辺教具製作所
②星座早見、 名古屋科学館、 名古屋星の会
③精密 恒星及惑星早見、 伊藤精二、 地人書館
④新星座早見盤、 (南北天両面式)、 恒星社
⑤星座早見、 (金属板準半球)、 渡辺教具製作所
(昨日の記事でいうと「第3期」に相当)
⑥星の観察、 (南北天両面式)、 大和科学教材研究所
⑦惑星運行早見、 (火星、木星、土星の位置計算器)、 島津理化器械製作所
⑧赤道星座案内、 (壁掛型、早見、木製)、 尾藤製作所
ここで注記しておくと、③の編者「伊藤精二」は、日本ハーシェル協会代表を務められた故・木村精二氏の旧姓。また、⑥の設計者は、本書の著者・高城氏自身です。
なお、⑦の「惑星運行早見」は、月の早見盤とともに、過去記事に登場したことがあります。
上の表では島津理化発行となっていますが、これはおそらく販売のみ島津が行ったもので、いずれも製造元は渡辺教具です(考案者は佐藤明達氏)。過去記事を読み返して気づきましたが、惑星早見盤の発売が1960年代前半、そして月早見盤が1950年代後半ですから、よりベーシックな教具である星座早見は、当然それに先立って販売されていたんではないかなあ…と、再度推測します。
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同様に、日本天文学会(編)『星図星表めぐり』(誠文堂新光社、昭和51年/1977)から、「市販されている星座早見」の表を挙げておきます。
(日本天文学会(編)上掲書、p.10より)
【左から「名称」、「発行所」、「直径」の順。太字は高城氏の表と重複する品】
①新星座早見(日本天文学会編)、 三省堂、 23cm
②ジュニア星座早見、 三省堂、 22cm
③新星座早見盤、 恒星社厚生閣、 15cm
④コル星座盤、 キング商会、 23cm
⑤ワタナベ星座早見盤、 渡辺教具製作所、 20cm
⑥ワタナベ式星座早見盤(教授用)、 渡辺教具製作所、 40cm
⑦星座早見(名古屋科学館)、 名古屋星の会、 30cm
⑧星の観察、 大和科学教材研究、 特殊
③新星座早見盤、 恒星社厚生閣、 15cm
④コル星座盤、 キング商会、 23cm
⑤ワタナベ星座早見盤、 渡辺教具製作所、 20cm
⑥ワタナベ式星座早見盤(教授用)、 渡辺教具製作所、 40cm
⑦星座早見(名古屋科学館)、 名古屋星の会、 30cm
⑧星の観察、 大和科学教材研究、 特殊
これら2つの表に名前の挙がっているのが、昭和の良き時代の代表的星座早見盤ということになるのでしょう。個人的郷愁から、この時期のものまでは収集してもいいかな…と思うのですが、この辺の品は、探してもなかなか見つからないです。
基本的に消えモノだし、今は単なる中古品扱いで、値段も二束三文なので、誰も売りに出そうと思わないのでしょう。でも、今後ヴィンテージやアンティークとしての付加価値が生じれば、全国の押し入れや物置から、いろいろ珍品が発掘されて、市場をにぎわす可能性もありそうです。
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一連の早見盤の中で異色なのは、公的機関である名古屋科学館(現在は「名古屋市科学館」ですが、昔は「市立名古屋科学館」と言いました)が作ったもので、これはどんなものだったのか、ちょっと気になります。
(これはご当時モノではなくて、後年の紙製早見盤。名古屋市科学館・監修、名古屋市科学館振興協会・発行)
以下、余談に流れますが、「名古屋星の会」について、同館の天文ボランティアに関するページ【LINK】に以下のような説明がありました。
「名古屋市科学館には、市民観望会などの行事で望遠鏡の操作などを通じて天文事業をサポートする教育ボランティアの組織、天文指導者クラブ(AstronomicalLeader's Club)、ALCがあります。ALCはアルクと読みます。
ALCの前身のリーダー会は、1972年発足。市立名古屋科学館(当時)のなかよし大観望会(現、市民星まつり)や、星の会(当時)の小中学生を指導するリーダーとして、当時の大学生・大学院生が組織されました。その後、天文クラブ中学生クラスの研修会のリーダーなどを通じて、組織が充実・拡充して行きました。そして1986年、旧理工館屋上天文台が整備され、定例行事としての市民観望会や昼間の星をみる会などの天文行事が始まり活動の場が広がりました。翌1987年、名古屋市公認ボランティア団体ALCとなり、社会人のメンバーも受け入れるようになって現在に至っています。」
ALCの前身のリーダー会は、1972年発足。市立名古屋科学館(当時)のなかよし大観望会(現、市民星まつり)や、星の会(当時)の小中学生を指導するリーダーとして、当時の大学生・大学院生が組織されました。その後、天文クラブ中学生クラスの研修会のリーダーなどを通じて、組織が充実・拡充して行きました。そして1986年、旧理工館屋上天文台が整備され、定例行事としての市民観望会や昼間の星をみる会などの天文行事が始まり活動の場が広がりました。翌1987年、名古屋市公認ボランティア団体ALCとなり、社会人のメンバーも受け入れるようになって現在に至っています。」
いにしえの天文ブームの頃、東京だと上野の国立科学博物館とか、渋谷の五島プラネタリウムとかを結節点に、アマチュア天文家のさまざまな活動が展開されましたが、名古屋では市立科学館がそれに相当するのでしょう。
そして、「星の会」とは、科学館を舞台に活動した小・中学生のグループで、大学生を中心とする「リーダー会」が彼らを指導していた…というのですが、往時を知る者として、これは実に羨ましい。私も天文趣味をしっかりした基礎から学び、同好の少年たちと心の火花を散らせることができていたら、その後の人生も、少し変わっていたでしょう。
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