空の土地公図(前編)2020年06月09日 06時31分03秒

前回の記事に出てきた「空の土地公図」の中身を、参考のために見ておきます。


その名称を『Délimitation Scientifique des Constellations(諸星座の科学的分界)』と言います。後ほど見るように、その中身は地味ですが、その科学史上の意義は、はなはだ大なるものがあります。

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そもそも、昔の星図における星座の扱いはどうだったか?
例えば1888年にドイツで出版された星図を見てみます。

(ヤコブ・メッサー著、『天体観測用星図帳(Stern-Atlas für Himmelsbeobachtungen)』表紙。貼り付けられた北天星図のうねうねした星座境界に注目)

(同書より、ふたご座付近)

昔も今も、星座の絵姿に関しては、一定の共通理解があったわけですが、その絵姿の「外側」の取り扱いがあいまいでした。言うなれば、星座の国土に付属する「領海」の範囲がはっきりしなかったのです。昔の星図で境界がうねうねしていたのは――そして、そのうねうね具合が、人によって違ったのは――その反映です。(しかも、星座の数自体一定していませんでした。メジャーな星座はいいとしても、過去の学者が提案した、様々なマイナー星座があって、その扱いが人によって違ったからです。)

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それに対して、今の星図は、星座と星座の境界がかっちり決まっています。

(今のふたご座)

天文学者の国際組織、国際天文学連合(IAU)が、1920年代に、明確な意思を持ってそのように決めたからです。その具現化が、この『諸星座の科学的分界』なのです。

事の経緯を、手っ取り早くウィキペディアの「星座」【LINK】の項から転記してみます。

 「1922年にIAUの第1回総会がローマで開催された際、〔…〕ベルギーのウジェーヌ・デルポルトとカスティールズは、北天の星座に対して赤道座標の経線と緯線に平行な円弧で境界線を設けることを提案した。」

ここに登場するデルポルト(Eugène Joseph Delporte、1882-1955)というのが、星座画定の立役者で、『諸星座の科学的分界』の著者。

 「IAUは、1925年にケンブリッジで開催されたIAU総会で「星座の科学的表記」の分科会を設立し、デルポルトに赤緯-12.5°以北の天球上の境界線を策定するよう要請した。〔…〕IAUは、北天と同じく南天の星座の境界線も定めるように要請、これを受けたデルポルトは〔…〕境界線の改訂案を策定した。この案がIAUで承認され、1930年にケンブリッジ大学出版会から「Délimitation Scientifique des Constellations」と「Atlas Céleste」という2つの出版物として刊行されたことにより、現在の88の星座の境界線も確定された。」

こういうことは、得てして国家間の思惑が対立して紛糾しがちですが、この場合トントン拍子に事が運んだのは、誰しも不便を感じていたからでしょう。

「このようにして、各星座の名称と領域が厳密に決められたことによって、あらゆる太陽系外の天体は必ずどれか1つの星座に属することとな」り、まずはメデタシメデタシ。地上の国境線と違って、空の国境線はこうして無血確定したのでした。

…と前置きして、本の中身は次回に回します。

(この項つづく)