日本の星座早見盤史に関するメモ(13)…いくつかの訂正、そして探索の旅は続く2020年06月23日 21時02分06秒

「一応おわり」と書いたそばから何ですが、自分の狭い見聞だけに凝り固まっては、やっぱりダメだと気付きました。

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以下は、大阪市立科学館で学芸員をされている嘉数次人(かずつぐと)氏の個人サイトです。これまで拙ブログが何度もお世話になり、星座早見盤のことも確かに目を通していたはずですが、やっぱり自分なりの問題意識を持ってないと、「見れども見えず」の状態になってしまうのでしょう。

■なにわの科学史のページ:星座早見盤の世界

上のリンク先から、「星座早見盤のいろいろ」というページに入ってください。
そこには同科学館が所蔵する、さまざまな星座早見盤が紹介されていますが、今のタイミングで再訪して、愕然とする事実を知りました。今回の連載で書いたことの何点かは、ただちに訂正が必要です。


(1)戦前の製品版早見は、三省堂版以外にもあった。

一連の早見盤の中に、宮森作造編『ポケット星座早見』というのが紹介されています。嘉数氏の解説をそのまま引用させていただきます。

 「1929(昭和4)年発行。厚紙布張り二つ折りの豪華なつくりである。編集は天文同好会(現在の東亜天文学会)の宮森作造。この早見盤は、1929年8月に初版発行の後、同年12月には第4刷が発行されている。当時における早見盤の需要の一端をうかがうことができよう。」

おそらく販売部数では三省堂に及ばないでしょうが、この品が当時、繰り返し版(ないし刷)を重ね、一定の面的普及を見ていたことは確実です。したがって、「三省堂版が唯一」みたいな書き方は、正しくありません。なお、ネット情報によれば、宮森作造氏(1891-1976)は、大阪の熱心なアマチュア天文家の由ですが、『日本アマチュア天文史』(恒星社)に名前が見えず、詳細は不明。


(2)三省堂版『新星座早見』は、1958年(これは前述のとおり1957年が正しいように思います)の初版発行から、1986年の『新星座早見 改訂版』発行までの間に、一度モデルチェンジを経ている。それは1972年のことである。

嘉数氏のページには、そのスリーショットが載っています。
私の今回の連載に登場した早見盤は、その1972年のモデルチェンジ後のものでした。同じく「初版の外袋」というのも紹介しましたけれど、その中身は1972年版とはデザインが幾分異なる品だったのです。何事も早とちりは禁物ですね。


(3)日本の星座早見盤界は想像以上に広く、かつ美しい。

大阪市立科学館の所蔵品を見て、宮森作造氏の『ポケット星座早見』にしろ、佐伯恒夫氏の『星座案内』にしろ、また古風な紙製『星時計』にしろ、日本にこんなにも愛らしく、雅味のある逸品がいくつも存在したとは、本当にうれしい驚きです。これぞ天文古玩道の奥深さです。

当然のごとく、所有欲をはげしくそそられるわけですが、いずれも売り物を目にしたことはないので、どれも相当な稀品でしょう。でも、探すだけの価値は十分あります。

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いや、それにしても斯道深し
この思いを噛みしめるのは、はたして何度目でしょうか。

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