星座絵の系譜(5)…鯨と蟹は星図の素性を語る(上)2020年07月24日 10時15分18秒

1729年に出たフラムスティードの『天球図譜』。

(画像再掲。1766年、フォルタン版・フラムスティード『天球図譜』)

その星座絵の素性を、かに座とくじら座を手掛かりに探っていきます。
昨日も触れたように、ビッグフォーの残る2人では、この両星座がどうなっているか。まずはヘヴェリウスから。

(1687年、ヘヴェリウス『ソビエスキの蒼穹―ウラノグラフィア』)

投影法の違いで、向きが反転していますが、くじら座の方は「海獣型」で、フラムスティードとの類似が認められます。しかし、かに座の方は「ザリガニ型」で、タイプが異なります。もちろん、星座絵を描く際、「丸パクリ」ではなく、複数の資料を参照しながら、「いいとこどり」をする場合もあったでしょうから、かに座のスタイルが違うからといって、ヘヴェリウスを手本にしなかったことにはなりません。

しかしこの場合、ヘヴェリウスのくじら座そのものが、彼のオリジナルではなく、オランダの有名な地図製作者、ヨアン・ブラウ(Joan Blaeu、1596-1673)のコピーであり、ブラウの天球図では、かに座も「カニ型」ですから、実はブラウこそが、フラムスティードの「仏」だった可能性があります。

(1648年、ヨアン・ブラウ天球図)

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では、ビッグフォーの最後の一人、バイエルはどうかというと、こんな絵柄です。

(1603年、バイエル『ウラノメトリア』)

うーん、これはどうでしょう。かに座は問題ないですが、くじら座の方は海獣は海獣でも、ドラゴンのような首長の姿で、フラムスティード(あるいはブラウやヘヴェリウス)のくじら座とは、異質な感じがします。ただ、フラムスティードが、バイエルを参照したのは確かですから、影響がなかったとも言い切れません。この点は、後ほどもう一度振り返ってみます。

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さて、くじら座の表現として、これまでのところは「海獣型」ばかり登場していますが、バイエル以前の16世紀の星図になると、対照的にほんとんど「怪魚型」ばかりです。例えば、座標目盛が入った、近代的な意味での「星図」は、画家のデューラーが、1515年に出版したものが最初といわれますが、その星座絵が以下です。

(1515年、デューラー天球図)

その姿は「ザリガニ型」と「怪魚型」で、このデューラーの図は、出版物という形をとったせいで、後続の星図に非常に大きな影響を与えました。以下、その系譜をたどってみます。

(1540年、アピアヌス天球図/『皇帝天文学』所収。ただし、かに座は「カニ型」)

(1541年、ヨハネス・ホンター天球図)

(1590年、トーマス・フッド天球図)

(1596年、ジョン・ブラグレイヴ天球図/『Astrolabium Uranicum Generale』所収)

そして、この怪魚のイメージは、上記ヨアン・ブラウのお父さんである、ウィレム・ブラウ(Willem Janszoon Blaeu、1571-1638)によって決定版が作られました。

(1598年、ウィレム・ブラウ制作のゴア(天球儀原図))

この恐ろしい姿をしたくじら座は、あのセラリウスの極美の天体図集『大宇宙の調和(Harmonia Macrocosmica)』にも採り入れられ、海獣型と拮抗して、後の星図にも登場し続けたのです。

(1655年、ヴィルヘルム・シッカード天球図)

(1661年、アンドレアス・セラリウス天球図/『大宇宙の調和』所収)

(1790年、ジェームズ・バーロウ天球図)

(長くなったので、ここで記事を割ります)

星座絵の系譜(6)…鯨と蟹は星図の素性を語る(下)2020年07月24日 10時25分55秒

(前回のつづき。今日は2連投です。)

しかし、16世紀のくじら座が「怪魚型」ばかりで占められていたとすると、バイエルはどこから「海獣型」を持ってきたのか?彼の異才が、オリジナルな像を作り上げたのか?…といえば、やっぱりお手本はありました。

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それは、1600年にオランダのフーゴー・グロティウス(Hugo Grotius、1583-1645)が出版した『アラテア集成(Syntagma Arateorum)』で、これは非常に古い歴史的伝統を負った本です。

題名の「アラテア」とは、紀元前3世紀のギリシャの詩人、アラトスの名に由来します。アラトスが詠んだ『天象詩(ファイノメナ)』は、ローマ時代に入ってたびたびラテン語訳され、そこに注釈が施され、愛読されました。それらの総称が「アラテア」――「アラトスに由来するもの」の意――であり、一連のアラテアをグロティウスがさらに校訂・編纂したのが『アラテア集成』です。(以上は千葉市立郷土博物館発行『グロティウスの星座図帳』所収、伊藤博明氏の「「グロティウスの星座図帳」について」を参照しました。)

注目すべきは、そこに9世紀に遡ると推定される『アラテア』の古写本(現在はライデン大学が所蔵し、「ライデン・アラテア」と呼ばれます)から採った星座絵が、銅版画で翻刻されていることです。『アラテア集成』所収の図と、ライデン・アラテアの原図を以下に挙げます。

(1600年、グロティウス『アラテア集成』より)

(9世紀の写本、「ライデン・アラテア」より)

いかにも奇怪な絵です。そこに添えられた星座名は、かに座は普通に「Cancer」ですが、くじら座のほうは、現行の「Cetus」ではなく「Pistris」となっています。ピストリスとは、本来、鯨ではなくて鮫(サメ)を指すらしいのですが、サメにも全然見えないですね。海獣というより、まさに「怪獣」です。

そして、これがバイエルに衝撃とインスピレーションを与え、3年後に「海獣型」のくじら座が生まれたのだろうと想像します。

(画像再掲。1603年、バイエル『ウラノメトリア』)

さすがに「首の長い狼」的上半身だと、怪魚型との乖離が大きすぎるので、バイエルなりにドラゴン的な造形で、バランスをとろうとしたんじゃないでしょうか。(哺乳類と魚類のキメラ像としては、すでに「やぎ座」があるので、絵的に面白くない…というのもあったかもしれません。)

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こうして俯瞰すると、海獣型のくじら座をポピュラーにしたのはバイエルの功績であり、直接それを模倣したわけではないにしろ、海獣型を採用したフラムスティードは、やっぱりその影響下にあります。そして19世紀の『ウラニアの鏡』からスタートした星座絵のルーツ探しの旅は、一気に中世前半にまで遡り、おそらく古代にまでその根は伸びているでしょう。文化の伝播とは、かくも悠遠なものです。

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最後におまけ。ヘヴェリウスやヨアン・ブラウの「くじら」の鼻先が、マレーバクみたいにとがっているのが気になったのですが、あれにも理由がありそうです。

(左:ヘヴェリウス、右:ヨアン:ブラウ)

下は紀元前1世紀、ローマ時代の著述家ヒュギヌスによる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』の刊本に載った挿図です。

(ヒュギヌス『天文詩』、1485年ベネチア版)

(同、1549年バーゼル版)

バーゼル版の方は『アラテア』と同様、「Pistrix(サメ)」となっていて、こちらは確かにサメに見えます。そして、デューラーの「怪魚型」のルーツも、おそらくはこうした刊本や、その元となった古写本でしょうし、この象の鼻のようにとがった口先が、後に海獣型に採り入れられて、あの不思議な鼻になったのだろうと推測します。

(この項おわり)