星座絵の系譜(2)…ボーデ、フォルタン、フラムスティード ― 2020年07月20日 07時01分16秒
星図というのはもちろん恒星のプロッティングが主で、そこに重ねる星座絵は従です。
したがって、星図の歴史を語る上では、元となった恒星の位置データの素性とか、星図化に際して何等級の星まで図示してあるかとか、さらに天球を平面化するのに、どんな投影法が用いられているか、etc.を論じるのが本筋です。しかし、ここではパッと目に付く「星座絵」に限定して話を進めます。
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ジェミーソンの星図帳について、ニック・カナスの『Star Maps』(上掲)は、以下のように述べています(太字引用者)。
「全体のデザインは、フラムスティード/フォルタンや、ボーデの『星座紹介(Vorstellung der Gestirne)』のそれと似ていたが、それに加えてジェミーソンは、ボーデが育み、自著『ウラノグラフィア』に載せた多くの星座も含めていたし(例えば、ねこ座、フリードリヒの栄誉座、軽気球座、電気機械座、印刷室座、等)、さらに「ふくろう座」のような全くの新星座も含んでいた(ジェミーソンは、それをうみへび座の尻尾の先に配置した)。」(p.207)
上の引用でいう「全体のデザイン」というのは、星図帳の構成のことを言っていると思いますが、それらを参照したということは、星座絵も当然影響を受けていると見てよいでしょう。
ここに名前が挙がっているのは、イギリスのフラムスティード(John Flamsteed、1646-1719)、フラムスティード星図の改訂版を出したフランスのフォルタン(Jean Nicolas Fortin、1750–1831)、そしてドイツのボーデ(Johann Elert Bode、1747-1826)の3人です。
中でもより直接的な影響を受けたのはボーデで、星図史の基本文献である『The Sky Explored』(1979)の著者、D. Warnerも、同書の中でジェミーソンをボーデの「模倣者(imitator)」と呼んでいます(p.39)。
ボーデは何種類か星図帳を編んでいますが、その中で『星座紹介(Vorstellung der Gestirne)』(1782)というコンパクト星図と、大著『ウラノグラフィア(Uranographia)』(1801)が、ジェミーソン星図を導いた「仏」に当ります
そして、ボーデの『星座紹介』について言えば、これは通称「フォルタン版」、すなわちフラムスティードのオリジナル、『天球図譜(Atlas Coelestis)』(1729)を、フォルタンが後に縮刷・再版した、『フラムスティード天球図譜(Atlas Céleste de Flamsteed)』(1776)のドイツ語版という位置づけなので、結局、「フラムスティード → フォルタン → ボーデ → ジェミーソン」という影響関係を想定することができます。
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さっそく、先日のジェミーソン星図のはくちょう座と、ボーデの『星座紹介』、さらにその元になったフォルタン版、フラムスティードのオリジナル版とを比べてみます。
(ジェミーソン星図と『ウラニアの鏡』のはくちょう座。サイズを変えて画像再掲)
(同じくボーデ『星座紹介』。ハイデルベルク大学所蔵本より。※比較のため原画像の明度を調整)
(同じくフォルタン版。恒星社『フラムスチード天球図譜』より)
(同じくフラムスティードのオリジナル『天球図譜』。オーストラリア国立図書館所蔵本より。※同上)
基本的に、いずれも全く同じ構図です。
星座絵については、竪琴の形が違うし、何よりもとかげ座が、フラムスティード星図と、そこから派生したフォルタン版、ボーデ版では、なぜか子狐のような形をしていますが、そこに目をつぶればよく似ています。完全コピーではなく、「写しながらも、一寸ずつ変えていく」ところが、コピー文化の文化たるゆえんでしょう。
★
これでジェミーソンから、その約100年前のフラムスティードまで、「仏」の連鎖をたどることができました。ここから先が、なかなか難物ですが、その前にボーデ畢生の大作『ウラノグラフィア』について触れておきます。
(この項つづく)
星座絵の系譜(3)…ボーデ『ウラノグラフィア』 ― 2020年07月21日 07時11分34秒
『ウラノグラフィア』(1801)は星図界の巨人です。
そのサイズは、高さは65cm、幅は45.5cm、星図自体はその見開きですから、幅90cmを超えます。普通の新聞紙が、高さ54.5cm、幅40.6cmなので、それよりもさらに巨大です。
物理サイズだけではありません。『ウラノグラフィア』は、星図界にそびえる四天王(ビッグフォー)【参照】の一角を占め、その掉尾を飾る作品です(他の3つは、バイエル『ウラノメトリア』(1603)、へヴェリウス『ソビエスキの蒼穹―ウラノグラフィア』(1687)、フラムスティード『天球図譜』(1729))。その意味でも、堂々たる巨人です。
一般読者に向けて、絵入りの星図はその後も作られ続けましたが――ジェミーソンの星図帳がまさにそうです――、プロユースの本格的な星図に星座絵が載ることは、『ウラノグラフィア』を最後になくなったので、これは一つの時代の終わりを告げる、「エポックエンディング」な作品でもありました。
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ジェミーソンの星図には、『ウラノグラフィア』も影響を及ぼしているようだ…と聞いて、それを実際に確認してみます。サンプルは例によってはくちょう座です。
どうでしょう、レイアウトも含めて、あんまり似てはいないですね。
たしかにはくちょう座の姿は似ていますが、これは翼を広げて飛ぶ白鳥を下から見上げれば、誰が描いても自ずと似通ってくるので、あまり指標にはなりません。
それよりも目に付くのは、その隣のこと座で、普通の竪琴と猛禽の姿が組み合わされて描かれています。かたわらの文字も「VULTUR ET LYRA(ハゲタカと琴)」。これは、こと座の主星ベガが、元のアラビア語で「舞い降りるハゲタカ」の意味であることに由来する図像化のようです。古くはデューラーの描いた北天星図(1515)にも、同様の表現があるとウィキペディアに教えられて、見に行ったら確かにそうでした。
(デューラーの北天星図・部分)
ボーデがなぜ19世紀に入ってから、こういう古風なイメージを持ち出したかはナゾですが、「エポックエンディング」にふさわしいといえば、ふさわしい。
【2020.7.24付記】 その後、いろいろ星図帳を見ていたら、バイエルもヘヴェリウスも「こと座」に猛禽をインポーズしていたので、これはフラムスティードの方がむしろ例外です。(付記ここまで)
いずれにしても、ジェミーソンが星座絵の下敷きにしたのは、同じボーデの作品でも、『ウラノグラフィア』ではなく、もっぱら『星座紹介』の方だったと言えそうです。
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以下は余談。『ウラノグラフィア』を手に入れる算段について。
天文アンティークに惹かれる人ならば、『ウラノグラフィア』が本棚にあったら嬉しいでしょう。もちろん私だって嬉しいです。でも、さっき検索した結果は、古書価460万円。これではどうしようもないです。さらに探すと、原寸大の複製(複製本自体が古書です)が16万円で売られているのを見つけました。
ホンモノが16万円だ…と聞けば、分割払いで買うかもしれません。でも、460万円ですからね。じゃあ、複製本を16万出して買うかといえば、よく出来た複製だとは思いますが、そこまでするかなあ…という気もします。
…と腕組みをしていたときに、一つめっけもんをしました。
(ポートフォリオのサイズは37×38cm)
白いポートフォリオに包まれた、『ウラノグラフィア』の縮小複製版。
2014年に、INAF(イタリア国立宇宙物理学研究所、Istituto Nazionale di Astrofisica)が、少部数限定で発行したものです。原本は同研究所が所管する、ローマのコペルニクス天文博物館(Museo Astronomico Copernicano)の所蔵。
(用紙サイズは31.7cm角、図版サイズは25.5×30.5cm)
中には、厚口のワーグマン紙に、セピアのインクで印刷された、ウラノグラフィアの全20図が1枚ずつバラの状態で収まっています。
同封の解説文↑を見ても、発刊の事情は特に書かれていませんが、INAF自体は1999年に編成された新組織で、その創設15周年記念ということかもしれません。
巨大な原本と比べると、大人と赤ちゃんほどの違いがあるし、解像度で考えると、画像データを自前でプリントアウトするのと、何ほどの違いもないですが、そこはINAFです。そして所蔵者自身による公式複製版ですから、そこに有難味がにじむような…。まあ、購入価格3500円ですから、少なくとも財布には有難かったです。(巨人を前にセコい話ですが、そこに至るまでの手間も考えてほしいね…と、巨人の許しを乞います。)
(この項つづく)
星座絵の系譜(4)…フラムスティードのさらにその先へ ― 2020年07月23日 20時25分11秒
星座絵は特殊なものですから、お手本なしに描くことは難しいでしょう。とすれば、フラムスティードの星座絵は、何を参考にして描かれたのか?まあ、描いたのはフラムスティード本人ではなくて絵師ですが、絵師がお手本にしたものが、きっとどこかにあるはずです。
フラムスティードの前には、「ビッグフォー」に属する2人の巨人、すなわちバイエルとヘヴェリウスがいますから、その直接・間接の影響は、真っ先に検討しなければなりません。また、星座絵のアーティスティックな表現にかけては、天球儀に一日の長がありますから、そちらへの目配せも必要です。でも、まずは先人の言に耳を傾けて、ここでもデボラ・ワーナー氏の『The Sky Explored』(1979)を参照してみます(以下、適当訳)。
「1696年までに、フラムスティードは自身の言葉によれば、『星座絵をデザインするため、画才に富む者を求めていた。何となれば、ほぼ100年になろうかという昔、ティコ〔・ブラーエ〕の時代以降、初めてそれを絵にしたバイエルは、あらゆる星表がそれを訳し、それに従ってきたところの、かのプトレマイオスの記述とは、明らかに矛盾する形で描いていたし、他のすべての星図作者はバイエルを所持しているからだ。
2,3人の計算役を我が身に授けてくれた天祐は、また才覚のある、だが病弱な若者(ウェストン氏)を私の元に送り届け、彼はこの仕事に没頭した。私の命により、彼は星座図を見事に描いた。ある優れたデザイナーの述べたところによると、ウェストン氏は何も指図を受けることなく、下図を完璧に描き上げたそうだ。』
トーマス・ウェストンによる星図は、実際に使われることはなかったが、その後の版の基礎となったことは間違いない。1703年から4年にかけて、フラムスティードは星図のうちの幾枚かを描き直そうと思い、ウェストンがそれを準備し、P.ヴァンサム(『卓越した、だが高齢の製図家』)が星座を描いた。」(p.82)
2,3人の計算役を我が身に授けてくれた天祐は、また才覚のある、だが病弱な若者(ウェストン氏)を私の元に送り届け、彼はこの仕事に没頭した。私の命により、彼は星座図を見事に描いた。ある優れたデザイナーの述べたところによると、ウェストン氏は何も指図を受けることなく、下図を完璧に描き上げたそうだ。』
トーマス・ウェストンによる星図は、実際に使われることはなかったが、その後の版の基礎となったことは間違いない。1703年から4年にかけて、フラムスティードは星図のうちの幾枚かを描き直そうと思い、ウェストンがそれを準備し、P.ヴァンサム(『卓越した、だが高齢の製図家』)が星座を描いた。」(p.82)
こうして準備が進められた星図出版ですが、ニュートンやハレーとのいさかいのせいで、実際の出版は遅れに遅れました。『天球図譜』が最終的に陽の目を見たのは1729年、フラムスティードの没後10年目のことです。この間、
「フラムスティードの星表と草稿図に基づき、アブラハム・シャープが座標を描き、恒星をプロットした。その上にジェームズ・ソーンヒル卿が(そして彼が疲れると、他の逸名画家が)星座絵を描いた。最後に、あまり腕の良くないロンドンとアムステルダムの彫師に銅版を彫らせ――というのも、セネックス〔=当時一流の地図製作者〕は、ハレーの親友だったため、その任にふさわしくないと考えられたのだ――、星図印刷の首尾が整った。」(同)
フラムスティードがバイエルを意識し、星座絵の面でも、それを凌駕する作品を狙っていたことが分かります。ただ、結局のところ、彼が何を手本にしたかは不明のままで、フラムスティード星図のそのまた「仏」探しは、実物に当って考えるしかなさそうです。
★
AがBを模倣したかどうかを判断するには、白鳥のように変異に乏しく、実物を写せば自ずと似てしまうものを比べても、あまり役に立ちません。はくちょう座をたどる旅は、いったん打ち切りです。
代わりに、「ありふれているけれども、その姿が多様で、いろいろな表現を許容するもの」とか、「空想上の存在で、実物を見て描くことが不可能なもの」を採り上げることにします。ここで指標とするのは、「かに座」と「くじら座」です(鯨は現実の生物ですが、当時はたぶんに空想的存在でした)。いずれも、図像学的にしばしば問題になる星座で、前者については「カニ型 vs.ザリガニ型」、後者については「怪魚型 vs.海獣型」の間で、長いこと表現が揺れてきました。
改めてジェミーソン『星図帳』(『ウラニアの鏡』もほぼ同じ)、ボーデ『ウラノグラフィア』、フォルタン版『天球図譜』(フラムスティードの原版もほぼ同じ)で、その姿を確認しておきます。(以下、星図の縮尺は不同です。)
(1822年、ジェミーソン『星図帳』)
(1801年、ボーデ『ウラノグラフィア』)
(1766年、フォルタン版・フラムスティード『天球図譜』)
いずれも「カニ型」と「海獣型」で、そのポーズからも、すべて同一系統に属するものと判断できます。「え、本当?ずいぶん違うんじゃないの?」と、思われるかもしれませんが、この後、いろいろなカニとクジラを見ていただくと、「なるほど、似ているね」と思っていただけるでしょう。
さて問題は、フラムスティードのさらにその先がどうなっているか?です。
(この項さらにつづく)
星座絵の系譜(5)…鯨と蟹は星図の素性を語る(上) ― 2020年07月24日 10時15分18秒
1729年に出たフラムスティードの『天球図譜』。
(画像再掲。1766年、フォルタン版・フラムスティード『天球図譜』)
その星座絵の素性を、かに座とくじら座を手掛かりに探っていきます。
昨日も触れたように、ビッグフォーの残る2人では、この両星座がどうなっているか。まずはヘヴェリウスから。
(1687年、ヘヴェリウス『ソビエスキの蒼穹―ウラノグラフィア』)
投影法の違いで、向きが反転していますが、くじら座の方は「海獣型」で、フラムスティードとの類似が認められます。しかし、かに座の方は「ザリガニ型」で、タイプが異なります。もちろん、星座絵を描く際、「丸パクリ」ではなく、複数の資料を参照しながら、「いいとこどり」をする場合もあったでしょうから、かに座のスタイルが違うからといって、ヘヴェリウスを手本にしなかったことにはなりません。
しかしこの場合、ヘヴェリウスのくじら座そのものが、彼のオリジナルではなく、オランダの有名な地図製作者、ヨアン・ブラウ(Joan Blaeu、1596-1673)のコピーであり、ブラウの天球図では、かに座も「カニ型」ですから、実はブラウこそが、フラムスティードの「仏」だった可能性があります。
(1648年、ヨアン・ブラウ天球図)
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では、ビッグフォーの最後の一人、バイエルはどうかというと、こんな絵柄です。
(1603年、バイエル『ウラノメトリア』)
うーん、これはどうでしょう。かに座は問題ないですが、くじら座の方は海獣は海獣でも、ドラゴンのような首長の姿で、フラムスティード(あるいはブラウやヘヴェリウス)のくじら座とは、異質な感じがします。ただ、フラムスティードが、バイエルを参照したのは確かですから、影響がなかったとも言い切れません。この点は、後ほどもう一度振り返ってみます。
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さて、くじら座の表現として、これまでのところは「海獣型」ばかり登場していますが、バイエル以前の16世紀の星図になると、対照的にほんとんど「怪魚型」ばかりです。例えば、座標目盛が入った、近代的な意味での「星図」は、画家のデューラーが、1515年に出版したものが最初といわれますが、その星座絵が以下です。
(1515年、デューラー天球図)
その姿は「ザリガニ型」と「怪魚型」で、このデューラーの図は、出版物という形をとったせいで、後続の星図に非常に大きな影響を与えました。以下、その系譜をたどってみます。
(1540年、アピアヌス天球図/『皇帝天文学』所収。ただし、かに座は「カニ型」)
(1541年、ヨハネス・ホンター天球図)
(1590年、トーマス・フッド天球図)
(1596年、ジョン・ブラグレイヴ天球図/『Astrolabium Uranicum Generale』所収)
そして、この怪魚のイメージは、上記ヨアン・ブラウのお父さんである、ウィレム・ブラウ(Willem Janszoon Blaeu、1571-1638)によって決定版が作られました。
(1598年、ウィレム・ブラウ制作のゴア(天球儀原図))
この恐ろしい姿をしたくじら座は、あのセラリウスの極美の天体図集『大宇宙の調和(Harmonia Macrocosmica)』にも採り入れられ、海獣型と拮抗して、後の星図にも登場し続けたのです。
(1655年、ヴィルヘルム・シッカード天球図)
(1661年、アンドレアス・セラリウス天球図/『大宇宙の調和』所収)
(1790年、ジェームズ・バーロウ天球図)
(長くなったので、ここで記事を割ります)
星座絵の系譜(6)…鯨と蟹は星図の素性を語る(下) ― 2020年07月24日 10時25分55秒
(前回のつづき。今日は2連投です。)
しかし、16世紀のくじら座が「怪魚型」ばかりで占められていたとすると、バイエルはどこから「海獣型」を持ってきたのか?彼の異才が、オリジナルな像を作り上げたのか?…といえば、やっぱりお手本はありました。
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それは、1600年にオランダのフーゴー・グロティウス(Hugo Grotius、1583-1645)が出版した『アラテア集成(Syntagma Arateorum)』で、これは非常に古い歴史的伝統を負った本です。
題名の「アラテア」とは、紀元前3世紀のギリシャの詩人、アラトスの名に由来します。アラトスが詠んだ『天象詩(ファイノメナ)』は、ローマ時代に入ってたびたびラテン語訳され、そこに注釈が施され、愛読されました。それらの総称が「アラテア」――「アラトスに由来するもの」の意――であり、一連のアラテアをグロティウスがさらに校訂・編纂したのが『アラテア集成』です。(以上は千葉市立郷土博物館発行『グロティウスの星座図帳』所収、伊藤博明氏の「「グロティウスの星座図帳」について」を参照しました。)
注目すべきは、そこに9世紀に遡ると推定される『アラテア』の古写本(現在はライデン大学が所蔵し、「ライデン・アラテア」と呼ばれます)から採った星座絵が、銅版画で翻刻されていることです。『アラテア集成』所収の図と、ライデン・アラテアの原図を以下に挙げます。
(1600年、グロティウス『アラテア集成』より)
(9世紀の写本、「ライデン・アラテア」より)
いかにも奇怪な絵です。そこに添えられた星座名は、かに座は普通に「Cancer」ですが、くじら座のほうは、現行の「Cetus」ではなく「Pistris」となっています。ピストリスとは、本来、鯨ではなくて鮫(サメ)を指すらしいのですが、サメにも全然見えないですね。海獣というより、まさに「怪獣」です。
そして、これがバイエルに衝撃とインスピレーションを与え、3年後に「海獣型」のくじら座が生まれたのだろうと想像します。
(画像再掲。1603年、バイエル『ウラノメトリア』)
さすがに「首の長い狼」的上半身だと、怪魚型との乖離が大きすぎるので、バイエルなりにドラゴン的な造形で、バランスをとろうとしたんじゃないでしょうか。(哺乳類と魚類のキメラ像としては、すでに「やぎ座」があるので、絵的に面白くない…というのもあったかもしれません。)
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こうして俯瞰すると、海獣型のくじら座をポピュラーにしたのはバイエルの功績であり、直接それを模倣したわけではないにしろ、海獣型を採用したフラムスティードは、やっぱりその影響下にあります。そして19世紀の『ウラニアの鏡』からスタートした星座絵のルーツ探しの旅は、一気に中世前半にまで遡り、おそらく古代にまでその根は伸びているでしょう。文化の伝播とは、かくも悠遠なものです。
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最後におまけ。ヘヴェリウスやヨアン・ブラウの「くじら」の鼻先が、マレーバクみたいにとがっているのが気になったのですが、あれにも理由がありそうです。
(左:ヘヴェリウス、右:ヨアン:ブラウ)
下は紀元前1世紀、ローマ時代の著述家ヒュギヌスによる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』の刊本に載った挿図です。
(ヒュギヌス『天文詩』、1485年ベネチア版)
(同、1549年バーゼル版)
バーゼル版の方は『アラテア』と同様、「Pistrix(サメ)」となっていて、こちらは確かにサメに見えます。そして、デューラーの「怪魚型」のルーツも、おそらくはこうした刊本や、その元となった古写本でしょうし、この象の鼻のようにとがった口先が、後に海獣型に採り入れられて、あの不思議な鼻になったのだろうと推測します。
(この項おわり)
自宅鉱物Bar ― 2020年07月25日 08時36分25秒
梅雨は明けず、コロナは蔓延し、今や国土全体が瘴気に覆われているようで、気分が滅入ります。私もそうですが、何となく逃げ場のない感じで、自宅に逼塞している方も多いでしょう。しかし、何かしらの工夫は必要です。心が涼しくなるような工夫が。
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例年、夏になると夕暮れ時のファントムのように出現する、鉱物アソビさんの「鉱物Bar」。今年は期間限定のイベントではなく、ついに実店舗が吉祥寺にオープンしたとの報に接し、「これは涼やかだなあ…!」と思いました。お店の情景と、冷たい鉱物の世界を思いながら家飲みするのは、今の場合、上々の工夫です。
鉱物のようなお菓子と、鉱物のようなドリンクを楽しめる、このお店を脳内で訪問しながら、机の抽斗から取り出したのは、実際に食べられる鉱物、いやそれどころか、これさえあれば、いくらでもお酒が飲めるという、実にありがたい鉱物です。
すなわち<岩塩>。等軸晶系。硬度は2。
舌で触れれば、鹹味(かんみ)の中にかすかな甘味があり、日本酒によく合います。夏場はことにうれしい味覚。
手元の結晶は蛍光こそ発しませんが、紫外線ランプで青く輝く色合いも涼し気です。
そして、冷酒もよいですが、何か鉱物のようなドリンクはないかな?と思って、家の中を見渡したら、ちゃんと「飲める鉱物」もありました。
H₂Oの固相、<氷>です。氷は多形ですが、通常は六方晶系。氷点付近の硬度は1.5。
これまた夏場には実にありがたい鉱物で、そのまま口に入れても好く、日本酒に浮かべても好いです。(この頃は酒に弱くなったので、ふつうの日本酒をロックで飲んでちょうど良いです。)
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こうして鉱物をせっせっと身中に摂り入れたら、ついには金剛不壊(こんごうふえ)の肉身となって、コロナも怖るるに足らず…とか、そんなことを考えている時点で、すでに壊れかかっている証拠なので、心をクールダウンする工夫がさらに必要です。
あたまの体操 2020 ― 2020年07月26日 10時52分51秒
以下、雑談。
昔からウソつきのパラドクスというのがあります。
Aさん「私の言うことはすべてウソです。」
問題: Aさんの言っていることは本当か?
問題: Aさんの言っていることは本当か?
これはAさんの言っていることが本当であっても、ウソであっても、両方矛盾が生じるので、結局「真偽決定不能」というのが正解です。
★
このことをただちに連想しましたが、より手の込んだ問題を、昨日ツイッターで見ました。
どうです、なかなかインパクトのある問題ですよね。
貧すれば鈍すると言いますが、このコロナ禍で、ややもすると鈍しがちなので、ちょっと頭の体操をしてみます。
★
この問題には、いくつか論点があると思いますが、まず単純な論点から考えてみます。
問題文をちょっと変えて、以下のような問題だったら、どうでしょう?
「四択式の問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は?」
答は25%?
いいえ、違います。これは当の「四択式の問題」の中身によって違ってくるので、あらかじめ正解はありません。つまり「正解はない」というのが正解です。
25%が正解といえるのは、「その中に必ず正解が1つ含まれており、しかも1つしかない場合」という前提条件が必要です。(たとえば、「東京を首都とする国はどれか? A:ニホン、B:ニッポン、C:ジャパン、D:ジャポン」という問題とか、あるいは「正義と猫はどちらが強いか? A:正義、B:猫、C:両方とも弱い、D:猫は正義である」という問題を考えれば、そのことは直ちにお分かりいただけるでしょう。)
繰り返しますが、「四択だから確率は25%」とはならないのです。
★
上の知見(というほど大したものではありませんが)を、本問題に当てはめてみます。
「この問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:0%、C:50%、D:25%」
という問題も(選択肢の奇妙さには、ひとまず目をつぶりましょう)、冒頭の「この問題」の中身によって、その答は変わってきます。アプリオリに正解は決まりません。そして「この問題」というのが、まさに今問うている問題だとするならば、問題文は以下のように書き換えることができます。
「『この問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:0%、C:50%、D:25%』という問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:0%、C:50%、D:25%」
そして、ここにも「この問題」が再度出てくるので、これもさらに書き換えると、
「『【この問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:0%、C:50%、D:25%】という問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:0%、C:50%、D:25%』という問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:0%、C:50%、D:25%」
となります。
こうして無限連鎖が生じて、問題自体がいつまでたっても確定しません。問題が確定しないのですから、それにランダムに答えたときの正解確率も決められない…というのが、この場合正解です。
★
ここで、きっと次のように考える人がいると思います。
「正解が決まらないということは、どれを選んでも不正解ということだよね。じゃあ結局、選択肢Bの0%が正解じゃないの?」
「あれ?そうすると、ランダムに答えると25%の確率で正答になるなあ。じゃあ、AとDが正解か?」
「あれあれ?すると、正解確率は50%になって、Cが正解?あれれれれ??」
これが、この問題の巧みなところです。
でも、落ち着いて考えれば、最初の「正解が決まらないということは、どれを選んでも不正解ということだよね」という部分が、そもそも間違っています。「正解が決まらないということは、どれを選んでも不正解かもしれないし、どれを選んでも正解かもしれないし、半々で正解かもしれない。予めどれか分からないから、『決まらない』と言うしかないんだよ」と、上の人には教えてあげる必要があります。
結局、正解は最後まで変わることなく、「この場合、正解確率は決定不能であり、A~Dの中から選ぶことはできない」となるわけです。
★ ★
さて、ここまで書いて、すっかり納得した気になりましたが、ふと疑問に思いました。
果たして、以下の問題にはどう答えればいいのか?
「この問題の答をランダムに選んだ場合、それが正解である確率は? A:25%、B:50%、C:100%、D:決められない」
これこそ真のパラドクスであり、これは相当な体操ではありますまいか?
真空を包むガラス体(前編) ― 2020年07月26日 12時48分29秒
雑談は脇において、本来の記事も書きます。
涼しげなものというと、やっぱりガラスです。
そして「ガラスといえば、あれはどうしたかな…」と思い出したものがあります。
棚の奥にしまいっぱなしになっていた、真空管たちです。
私の子供時代はまだ真空管が現役でしたが、それよりもさらに古い、戦前の「クラシック・バルブ」と呼ばれる真空管たちは、(雑な表現ですけれど)いかにも「味」があって、眺めるだけで楽しいものです。
ただ、真空管にはディープなコレクターがいて、あまり生半可な知識で手を出すのも危険だし、我ながら何となく「こけし集め」っぽい感じになりそうだったので、それは短いマイブームで終わりました。(こけし集めにもいろいろな側面があるとは思いますが、得てして「単に集めて終わり」になりがちな印象があります。趣味としての広がりに、若干欠けるような…。)
★
とはいえ、虚心に見るとき、真空管はとても美しいものです。
科学と芸術という大きなテーマを、真空管はその小さな体で完璧に体現しているとさえ思います。
初期のまあるい真空管は愛らしく、
真空管の歴史の最初期、1910年代に遡る、ドイツ・シーメンス社の製品。
そこに漂う古い科學の香り。当時はエジソンもマルコーニもまだ現役でした。
ガラス細工に支えられた不思議なグリッド。
決して比喩ではなしに、まさに繊細な手工芸品です。
ここを電子が奔り、跳んだのです。
真空を包むガラス体(後編) ― 2020年07月28日 06時25分40秒
小さな町に彗星が降る ― 2020年07月30日 07時17分54秒
もうじき7月も終わり。
今月はネオワイズ彗星の話題で、星好きの人たちは盛り上がっていましたが、いかんせん曇天続きですし、町中から鮮やかに見えるほどではなかったので、私は結局目にすることができませんでした。その代わり、小さな画面にその姿を偲んでみます。
家並みの上に広がる漆黒の空。そこを音もなく飛ぶ彗星。
指輪をする習慣はありませんが、その静かな光景に魅かれるものがありました。
オニキスに人造オパールを象嵌したもので、ナバホ族の人の「インディアン・ジュエリー」から派生した現代の作品と聞きました。したがって、モチーフとなっているのも、アメリカ南西部の伝統集落(プエブロ)らしいのですが、そこまで限定することなく、どこか「心の中にある小さな町」と見ておきたいです。
★
それにしても、疫病と長雨続きの中、昔の人なら彗星を凶兆として大いに恐れたでしょう。そこはやっぱり世の中が開けたのかな…と思います。願わくは、そうした難事に処するための方策の方も、十分賢にして明なものであってほしいです。
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