余滴2020年08月06日 21時17分51秒

一昨日の8月4日は九州豪雨1か月で、「鎮魂」の文字が紙面に載っていました。
そして今日は8月6日。今日も鎮魂の二文字を重ねて目にしました。

1か月と75年の差は大きいです。
でも、痛恨の思いを抱く人にとって、そこには何ほどの違いもないでしょう。

   ★

ふと、「では、間の8月5日はどうなんだろう?」と思って、8月5日の出来事をネットに教えてもらうと、「1945年 前橋・高崎空襲」というのが目につきました。さらに、そこからリンクをたどっていくと、1945年8月に限っても、毎日どこかで空襲が続いていたことを知ります。私は毎年8月6日や9日になると、判でついたように戦争の惨禍を思い起こしますが、その連想の陰に隠れている死者の群れにふと出会って、身のすくむ思いでした。

以下、ウィキペディアの「日本本土空襲」の項から、死者数のみ転記します。

8月1日 水戸空襲 死者242人。
8月1日 八王子空襲 死者445人。
8月1日 長岡空襲 死者1486人。
8月2日 富山大空襲 死者2737人。
8月5日 前橋・高崎空襲 死傷者1323人(死者のみの数は不掲載)。
8月5-6日 今治空襲 死者454人。
(8月6日 広島原爆)
8月7日 豊川空襲 死者2477人。
8月8日 福山大空襲 死者354人。
8月8日 八幡大空襲 死者2952人。
(8月9日 長崎原爆)
8月9日 大湊空襲 死者129名。
8月9日 釜石艦砲射撃 少なくとも死者301人。
8月11日 久留米空襲 死者約210人。
8月11日 加治木空襲 死者26人。
8月12日 阿久根空襲 死者14名。
8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
8月14-15日 熊谷空襲 死傷者687人。
8月14-15日 小田原空襲 死者30-50人。
8月14-15日 土崎空襲 死者250人超。

この人たちはいったい何のために亡くなったんだろう…と思います。
すでに戦況は確定していたのに、日本に白旗を下ろさせないために、ただそれだけのために死なざるを得なかったのか? 痛切に不条理な死だと感じます。8月15日が近づくにつれ、その不条理の度はいっそう強まります。その非人道性を、アメリカは決して正当化できないでしょう。

もちろん、アメリカの非人道性を糾弾したとたん、その刃は我が日本にも向くことになります。後知恵と言われるかもしれませんが、終戦の決断を遅らせたことは、やはり蒙昧だったと思います。そして、日本がどれほど国の内外で無茶をし、それを人道の物差しで測ったら、どんな数字が読み取れることか。

とはいえ、被害者だから加害責任を免れるわけでもないし、加害者だから被害を訴えられないわけでもありません。両者は二つながらに追求されるべきことです。

   ★

上にあげた死者の数(一部概数を含む)は、広島と長崎を除き14,875人。
7月以前も空襲は連日のように続き、沖縄では地上戦があり、死者はまさに累々。
その向こうには、戦死、戦病死した兵士たちの群れ。
その脇を埋め尽くす、無残な死を遂げた異国の人々。
さらに死を免れても、心と体に癒えることのない傷を負った人々の顔、顔、顔。

   ★

戦争を避けるために武器をとれと言う人もいるし、武器を捨てろという人もいます。
どちらの主張をなすにしろ、今も続く戦争と紛争で傷つく人々のことを、リアリティをもって想像しないと、すべての議論はウソになると思います。

   ★

何はともあれ、今宵は鎮魂の思いを凝らします。

コメント

_ S.U ― 2020年08月09日 07時54分24秒

「戦争は政治の延長である」という議論があります。読んだことありませんがクラウゼヴィッツの『戦争論』という本の主眼点だそうです。また、「戦争は暴力事件の拡大版である」という説もあります。クラウゼヴィッツで出てくるかはしりませんが、現代の研究者で、犯罪と戦争をまとめて統計的検討をした人もいるらしいです。

 私はどちらも(AND条件で)真理だと思います。99%は正しいように思います。空理空論ではなく、歴史上の主要な戦争において、政治思惑との関連が皆無かつ威嚇や暴力のエスカレートが皆無の戦争があったか、というとそう主張できる例を挙げることは相当苦労するのではないかと思います。

 坂口安吾の『戦争論』なら読んだことがあります。彼は戦争の効能と結果の対比を行い(今の言葉で言うなら「コスパ」の検討)、戦争の効能は偉大ではあったが、科学と文明が進歩でもはや戦争するのは引き合わなくなったという議論だったと思います。

 仮に「暴力事件の効用」というのがあるとしても、それはごく小さい規模のところに最適解があるはずで、国家総力戦や大量破壊兵器が不適であることは、これまた少し考えるだけで明々白々なように思います。戦争で多くの人を死に追いやる可能性のある政権に大義は何もなく、それがわからない権力者を政権から引きずり下ろすことが急務の時代になったように思います。

_ 玉青 ― 2020年08月09日 12時37分47秒

「戦争は政治の延長である」と好んで主張する人がいますよね。
そういう人は「情緒に流されず、冷静に議論しろ」と言ったりもします。

私もその言い分は間違ってないと思うんですが、上の主張が正しものとなるためには、己の怒りの感情や、単なる攻撃欲や嗜虐性、お山の大将の得意ぶり、そうした負の感情を自覚していることが、絶対に必要です。自分がよく見えてない人が、青筋を立てて「戦争は政治の延長に過ぎない!」と言っても、まるで信用できないし、そういう人が権力を持つことは恐怖でしかありません。

「戦争は政治の延長である」と主張する政治家が、ふだんどんな政治行動をとっているかに注目すると、まあ9割がたはお粗末きわまりない…というのが私見です。

_ S.U ― 2020年08月09日 19時27分45秒

げに。政治なのですから、評価をしないといけませんね。その意味では、「戦争は政治の延長である」というよりも、「最悪の失政である」と言い換えたほうがわかりやすいかもしれません。

_ 玉青 ― 2020年08月10日 07時48分51秒

そうです、そうです。「戦争は外交カードの1枚に過ぎない」というと、なんだか尤もらしいですが、カードの切り方としては下策もいいところで、国民にとっては迷惑な話です。
言うなれば、自己破産も「完全に適法な経済行為」ですけれど、自己破産を目指して経済行為に携わる人はいないし、ましてや「自己破産したくてたまらない」なんていうのは、頭のねじが相当数外れているか、計画倒産をもくろむ詐欺師ということになります。「自己破産してやったぜ」と自慢するようなことでもありませんしね。

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