俗事多事 ― 2020年09月01日 20時20分37秒
総裁選 つらぬく棒のごときもの
先日コメント欄で書いた戯言を、こうも早く繰り返すことになろうとは。
やはり、「病気以外で辞めさせることができなかった」というのが、こういうところで早くも効いてくるわけです。
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今日現在、もっぱら聞こえてくるのは菅義偉という名前で、このままいくと無風で菅氏に決まりそうな気配です。菅という人は、代議士秘書からの叩き上げで、政治の裏も表も知り尽くした、まあ権謀術数に長けた人ではあるのでしょう。政権の顔たる官房長官として、メディアへの露出度が高いわりに、氏は多くの人にとって、依然「得体の知れない人」だと思います。
しかし、それ以上に、私には二階という人の腹がよく分からないです。
まあ、私に腹を読まれるようではしょうがないんですが、しかし菅氏を推して、その先、二階氏は何を狙っているのでしょうか?
菅氏では選挙に勝てないことを見越して、敗戦処理の捨て駒にするつもりなのでしょうか? 今の振る舞いを見ていると、二階氏は党員投票を取りやめて、ことさら世論の反発を強め、菅氏の総裁選出には大義がないことを「演出」しているようにさえ見えます。そして、煽るだけ煽って、その後あっさり石破氏に乗り換えて、選挙で大勝を狙うとか?
仮にそうだとしても、菅氏は菅氏で、そんな相手の手の内は先刻承知で、首相になってしまえば、やりようはいくらでもある…と、腹のうちで権謀術数に余念がないのかもしれません。
ここでも重要なキャスティングボードを握るのは公明党でしょうが(それを過小に見ることは危険です)、表立って報道されることが少ないので、深層では何が起こっているのか、見極めが難しいです。菅氏がどれだけ創価学会との太いパイプを誇ろうが、公明党だって選挙で冷や飯を食うのは嫌でしょうから、この辺もいろいろな思惑が交錯しているはずです。
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…と、こんなふうに、スポーツ番組を見るように政治を眺め、それを囃している自分に気付くと、「お前さんもずいぶん愚物だなあ」と、嫌気がさします。もうそれを楽しむ余裕は、自分にも、世間にもないはずで、ここは本当にまじめにやらないとダメです。
そして、「猿山のパワーゲームは楽しいかもしれんが、もう遊びの時間は終わりだ。何でもいいから、とにかくまじめにやれ」と、あのしかつめらしい顔をした二階氏や、菅氏や、もろもろの密室政治家たちを叱りつけないといけない…と、強く思います。
暦は移り行く ― 2020年09月05日 16時31分47秒
昨日は豪雨、今日は晴天。
しかし、南方の台風の影響で天気は変わりやすいとの予報です。
世の中も、私の気分も、現下の空のように動揺が激しいですが、こういうときこそ人間の真価が問われるのでしょう。とはいえ肝心の真価が覚束ないので、あまり問われたくはないなあ…というのが正直なところ。いずれにしても、泰然と記事を書く気分には遠いです。
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記事の方は、慌てずそういう気分になるのを待つとして、ここで不思議なのは、記事を書く気にはならなくても、モノを買う気の方はあまり衰えないことで、やっぱり気になるものを眼にすれば、何とか手元に引き寄せたいと、無理な算段をしたくなります。
結局のところ、モノを買うのは気散じになるけれど、文章を書くのはそうではないのでしょう。たしかに買い物依存症の話はよく聞きますが、執筆依存症というのはあまり聞きません。(いや、そうでもないかな。世に言う「ツイ廃(ツイッター廃人)」なんかは、執筆依存症に近いのかも。)
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…というようなことをボンヤリ考えるのがせいぜいの日々ですが、それだけだと内容に乏しいので、今日たまたま目にしたニュースを貼っておきます。
(キャプチャー画像。リンクは下から)
静岡県の三島市に立つ御社は「三嶋大社」と書きます。遠く平安の初め、同社を勧請した河合家は暦師の家であり、同家が発行した暦を「三嶋暦(三島暦)」といいます。
暦の歴史は周期的に気なるテーマで、最近も暦の本をパラパラ読んでいたので、このニュースもパッと目につきました。伊豆に行く用事があれば、ここはぜひ訪ねたいです。
暦メモ ― 2020年09月06日 20時00分02秒
暦について考える際の参考リンクをメモしておきます。
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暦の話題は、単なるカレンダーという出版物にとどまらず、もっとはるかに大きな――たぶん私が思っているよりもさらに大きな――話題で、人間と時間をめぐる歴史のすべてにかかわってくるはずです。
日本は暦の後発地域で、大陸や半島から暦学が伝わってから、まだ千数百年といったところですが、それでも暦をめぐる話題は尽きません。そういう大きなテーマを、ナショナル・ギャラリーのレベルでは、どこで取り扱うべきなのか?
もちろん編暦を一手につかさどる国立天文台は、現代の土御門家みたいなものですから、暦学の歴史については詳しいです。
したがって、上のページで明らかなように、暦に焦点を当てた企画展も多いです。たとえば、2016~17年にかけて行われた「二十四節気と暦」をはじめ、「月と暦」、「渋川春海と『天地明察』」(その1、その2、その3)…等々。
さらに、科学史全般を扱う国立科学博物館でも、暦に関する資料をせっせと収集し、展観しています。
上のページは、「理工」分野で「暦」をキーワードに検索した結果一覧です。
今日現在でヒットするのは42件。暦とはダイレクトに関係なさそうな品も表示されていますが、多くは天体観測や、測地・計時に関する品で、暦をめぐる科学の広がりを知ることができます。
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ところで、今日気が付いたのですが、国立国会図書館もまた非常に充実した、暦に関する特設ページを設けていました。
■日本の暦
ビジュアル的にも凝った、見て楽しい内容で、国会図書館は、書物に関することは何でも扱うとはいえ、暦本という特殊な出版物に、これほど力を入れていたとは意外でした。担当者の熱意に打たれると同時に、大変頼もしい気がしました(最近、文化行政の退潮が著しく、やらなくて済むことはやらないのがデフォルト化していますから)。
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そんなこんなで、暦については引き続き関心を向けていこうと思います。
幻の店をの門をくぐる…「博物蒐集家の応接間」 ― 2020年09月13日 10時52分32秒
第8回を数える「博物蒐集家の応接間」のご案内をいただきました。
今回は豪華なオールカラーの小冊子です。手に取るだけで、豊かな気分になります。
(撮影小物は、波佐見焼結晶構造模型(ルーチカ)、メタセコイアの球果、チェコ製算数教材)
第8回のテーマは「Librairie Trois Bémol」すなわち「トロワ・べモル書店」。
この謎めいたタイトルは、パリの歴史地区の一角に立つ、妖美な古書とアンティークを商う店の名に由来します。そして秘密の知に通じているらしい、その謎めいた店主の横顔に―。
もちろん、トロワ・べモル書店は架空の存在です。
でも、パリにはそういった雰囲気の店舗や小路が実際にあると聞きます。そして、その妖異な気は今や日本にも伝搬して、各地に不思議を商うお店があります。今回の応接間は、そうした6つのショップと5人のクリエイターが神田神保町に集い、幻影のトロワ・べモル書店の現し身を描こうという試みです。
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不思議な町、不思議な通り、不思議な店…そういうのを私は夢によく見ます。
夢から醒めた後、毎回その味わいをしばらく反芻するんですが、あれはいったい何を表しているんでしょうね。自分の中にある、自分でも知らない秘密とか可能性なんでしょうか。「実現することのなかった自分」たちが、心の一角に集まって、ああいう町を作っているのかもしれませんね。
トロワ・べモル書店の門をくぐった先にあるものは、たぶん人によって違うでしょうが、私の場合は、自分の心の奥の奥に通じている予感があります。そして店主の瞳をのぞき込むと、双頭双尾のウロボロスが複雑に回転しているのが見えるかもしれません。
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イベント詳細は下記を参照。
■第8回 博物蒐集家の応接間 Librairie Trois Bémol
○会期: 2020年9月26日(土)~9月29日(火) 10:00~19:00(28日は~20:00)
○場所: 三省堂書店神保町本店8階催事場
○参加蒐集家: Landschapboek・メルキュール骨董店・ANTIQUEROOM 702
JOGLAR・sommeil・antique Salon
○参加クリエイター: スズキエイミ・松本 章・Arii Momoyo Pottery・UAMOU
川島 朗
コレクター宣言 ― 2020年09月14日 21時05分32秒
「博物蒐集家の応接間」に触発されて、ぼんやり考えたこと。
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私は理系アンティーク、ないし天文アンティークが好きで、いろいろなモノを手にしてきましたが、自分では決してコレクターではないと思っていました。それは、収集方針が系統立ってないし、収集フィールドもひどく曖昧だからで、「そういうのを収集家とは呼ばないだろう」と、常識的に判断したわけです。
でも、継続は力なり。時と共に、やっぱり自分はコレクターなんじゃないか…という気がしてきました。
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そもそも、上で述べたコレクター観はいささか偏狭に過ぎたのではないか?
コレクターの中には、たしかにシジミチョウや、フランスの19世紀挿絵本や、トミカのように、自分の収集フィールドをしっかり決めて、そのフィールドの中で悉皆コレクションを目指す人も多いとは思います。
でも、たとえば「ビーチコーマー」、すなわち浜辺の漂着物探しはどうか?
あれも収集の外延が曖昧で、コンプリートすることも原理的にありえませんが、それでもビーチコーミングを楽しむ人は多いし、その収集をコレクションと呼ぶことに、いささかの支障もありません。
私がやっているのも、要はビーチコーマータイプの収集行為なのだと思います。
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では、一体何を拾い集めているのか?
…といえば、「Popular Astronomyに関わる品」です。
ポピュラーアストロノミーを「通俗天文学」と訳すと、文字通り俗っぽくなってしまいますし、「一般向けの天文学」でもまだ不十分です。「万人の中にある星ごころの発露」と敷衍すると、ようやく腑に落ちます。そういうくくり方をすれば、自分がなぜ正統派の天文アンティーク以外に、天体をモチーフにしたゲームや、エフェメラや、アクセサリーにも魅かれるのか、自分でも理解できるし、人にも説明ができます。
まあ、「万人の中にある星ごころの発露」と言っても、外延のはっきりしない表現であることに変わりはないんですが、少なくとも内包ははっきりしています。私がそこに「星ごころ」を感じるか否か、当の私にとっては至極明瞭だからです。他の人からすると、「なんじゃそりゃ」と思われるかもしれませんが、そこがビーチコ-ーマーの自由さで、そういう気ままなコレクションを、これからも続けたいなあ…というのが、今の気持ちです。
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正統派天文学は、もちろん星と人間のかかわりの最も太い幹ですが、それ以外にも星にかかわる人々の営みはいろいろあって、それぞれの色合いで「星ごころ」が濃く薄くにじんでいます。そうした品々が、私の「博物蒐集家の応接間」に、あたかも星座のように並んでいてほしいと思うのです。
阿呆船 ― 2020年09月17日 10時51分46秒
菅内閣が発足し、また新たな人間観察の機会が与えられました。
ここまで来たら、もはや動じることなく、腰を据えて観察したいです。
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ときに、一連のニュースを見ていて、思い浮かんだワードがあります。
『阿呆船』
15世紀末にドイツで出版され、16世紀を通じて各国でベストセラーとなった風刺文学です。ちなみに、私はずっと「あほうぶね」と読んでいましたが、さっきウィキペディアを見たら、そちらでは「あほうせん」と読んでいました(この辺は好みでしょう)。
私はタイトルを聞きかじっただけで、これまで内容を読んだことはないんですが、ウィキペディアの記述【LINK】を見たら、ひどく面白そうに思えてきました。
「ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群がともに一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容である。全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写しており、各章にはそれぞれに教訓詩や諷刺詩が付されている。〔…〕その他にも、欲張りや無作法、権力に固執する者などが諷刺されている。本書は同時代ドイツにおける世相やカトリック教会の退廃・腐敗を諷刺したものとされる。」
こういう本が好まれ、長く読み継がれたという事実は、これこそ人間社会のデフォルトであることを示しているのではありますまいか。
しかも、その阿呆の群れの先頭を行くのが、
「万巻の書を集めながらそれを一切読むことなく本を崇めている愛書狂(ビブロマニア)であり、ここでは当時勃興した出版文化の恩恵に与りながら、有効活用もせず書物蒐集のみに勤しむ人々を皮肉っている。」
…というのですから、まさに私自身、阿呆船の一等船客の資格十分です。
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今回ウィキペディアに恩義を感じたのは、上の項目から「ナレンシフ(小惑星)」にリンクが張られていたことです。
「ナレンシフ(Narrenschiff)」は、『阿呆船』のドイツ語原題。
旧ソ連の女性天文家、リュドミーラ・ゲオルギイヴナ・カラチキナが1982年に発見命名した小惑星で、正式名称は「5896 Narrenschiff(1982 VV10)」。火星と木星の間の小惑星帯を回り、絶対等級は13.8となっています。光学的観察からは、サイズ・形状ともに不明ですが、小惑星イトカワ(絶対等級19.2)が直径330mですから、2、3km~数kmのオーダーでしょう。
それにしても、カラチキナはなぜこれを「阿呆船」と名付けたのか?
この空飛ぶ阿呆船が目指す阿呆国「ナラゴニア」はどこにあるのか?
たいそう気になりますが、皆目わかりません。
そして、カラチキナの機知に感心しつつも、『阿呆船』と優先して命名されるべき天体は、他にあるような気がします。
【2020.9.18付記】 ナレンシフの命名者と命名理由について、コメント欄でS.Uさんにご教示いただきましたので、併せてご覧ください。
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そんなこんなで、私は『阿呆船』を注文することにしました。
たとえ積ん読になっても、それ自体が『阿呆船』の世界に入り込む行為ですから、それもまた良いのです。いずれにしても、あの顔もこの顔も、みな同船の客と思えば、親しみを持って観察できようというものです。
1912年、英国の夜空を眺める(前編) ― 2020年09月19日 17時18分33秒
彼岸の入りを迎え、秋が秋らしくなってきました。今日から4連休。
ばたばたする中でも、ホッと一息つけます。
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昔、鹿島茂さんの古書エッセイに、カタログを見て注文した本の3割が「当たり」なら、野球でいう3割バッターで、古書マニアとしては一流だ…という趣旨のことが書かれていました。たしかに文字情報と、あってもせいぜい1~2枚の写真が添えてあるだけのカタログ記載を見て、真に良い本を見つけるのは至難の業です。この辺は、オンライン注文が普通になった現在でもあまり変わらず、「思ったよりもさらにいい本だった」という嬉しい経験の一方で、現物が届いたらガッカリということも少なくありません。
そういう意味でいうと、私はこのところ打率がいいです。
おそらくそこには古書市場の縮小に伴って、品物がだぶついているという事情もあるので、手放しで喜べない部分もありますが、投資目的ではない、真に本好きの人にとって、これは悪いことではないです。(でも「真に本好きの人」の家族が、同じく本好きならいいですが、そうでない場合はやっぱり喜べないでしょうね。)
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記事に登場しないだけで、最近も天文古書は買い続けています。
そして、「へえ、まだまだ世の中には美しく愛らしい本が多いなあ」と、驚くこともしばしばです。そんな最近の買い物から。
■Walter Biggar Blaikie(著)
『Monthly Star Maps for the Year 1912』
『Monthly Star Maps for the Year 1912』
The Scottish Provident Institution (Edinburgh)、1912.
27.5×21.5cm、表題を除き本文28p.
27.5×21.5cm、表題を除き本文28p.
表紙は空色の薄布を張ったボール紙製で、非常にシンプルな造りです。
(1912年9月1日午後10時の星空)
内容は、こういう北の空と南の空がセットになった月ごとの星図と、当月の天体に関するデータが見開きになっていて、
途中に全天星図が挿入されています。
(次回、さらに本の細部を見てみます。この項つづく)
1912年、英国の夜空を眺める(後編) ― 2020年09月20日 07時33分44秒
(昨日のつづき)
こちらは1912年2月1日、午後10時の南の空。
ロンドンのシンボル、ビッグベンの脇にかかるウエストミンスター橋から見た光景です。この橋は東西にかかっているので、(街の明かりさえなければ)真北と真南の空を見上げるには、恰好のポイントです。
この本が、わざわざ「1912年用」と断っている理由がこれです。
この星図は恒星以外に、月や五大惑星の位置を計算して印刷してあるのがミソ。
周知のように、月や惑星は星座の間を常に動いているので、通常の星図には載っていません(というか、載せようがありません)。でも、著者ブレイキーは、1912年の毎月1日に限定することで、強引にそれを載せています。本書は天文の知識がまったくない人でも、空を気楽に見上げてもらえるよう作った…と、解説ページの冒頭に書かれているので、これもそのための工夫でしょう。
(9月の星図の対向ページ(部分))
星図の隣頁を見れば、毎日の月の位置や、8日ごと(毎月1、9、17、25日)の惑星の位置がくわしく載っているので、上級者はそれを参照すればよいわけです。(要するに、この本は天文年鑑と星図帳を兼ねたものです。)
ここで、もう一度9月1日の空に戻って、角度を変えて撮ってみます。
この角度で見ると分かるように、正面から撮ると黒っぽく見える星々は、実際はすべて金色のインクで刷られています。
金の星と青い夜空の美しいコントラスト。
テムズ川に映る星明りと、地上の夜景に漂う詩情。
青い空にぽっかりと浮かぶ白い惑星の愛らしさ。
石版刷りのざらりとした懐かしい質感。
本当に美しく、愛らしい本だと思います。
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ここで改めて著者・ブレイキーについて述べておきます。彼の名前は、英語版Wikipeia【LINK】に項目立てされていました。

(Walter Biggar Blaikie、1847–1928)
それによると、ブレイキーはスコットランドの土木技師、出版者、歴史家、天文家であり、さらにエディンバラ王立協会会員、名誉副知事、名誉法学博士の肩書を持つ人です。いろいろ列記されていますが、ざっくり言うと、エンジニアとして世に出て、長く出版人として活躍した人。したがって、天文学は余技に近いようです。でも、だからこそ初学者向けの親しみやすい本となるよう、出版人の感覚も生かして、本書を企画したのでしょう。
★
余談ながら、ブレイキーの個人的感懐がにじんでいると思ったのが、タイトルページに引用された下の詩句です。
「Media inter proelia semper stellarum caelique plagis superisque vacavi.」
これは紀元1世紀のローマの詩人・ルカヌスの作品の一節で、ロウブ古典文庫の英訳を参照すると、「戦争のさなかにあっても、私は常に我々の頭上に広がる世界のことを、そして星々と天上に係る事どもを学ぶ時間を見つけた。」という意味だそうです。
ブレイキーは、自身の個人的劇務を念頭に置いて、これを引用したと想像しますが、2年後には第一次世界大戦が勃発し、この詩句にさらに実感がこもったことでしょう。
1912年といえば、日本では明治から大正に改元(7月)した節目の年です。この頃から世界は新しい局面へと突入し、人類は恐るべき大量殺戮の技術とともに、遥かな宇宙を見通す圧倒的な力を手に入れたのでした。
それを思うと、ブレイキーのこの本は、夜空のベル・エポックの残照のようにも感じられます。
【おまけ】 こちらの方がきらきらした感じに撮れたので、全体のイメージを伝えるために載せておきます。12月1日の北の空です。
10×12=60 ― 2020年09月21日 06時51分16秒
突然ですが、あれ?と思ったことがあります。
先日、コメント欄で「天文民俗」というワードが出て、それについていろいろ考えていたときのことです。
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暦の「えと」ってありますよね。
例えば、今年の「えと」はネズミ(子)だし、来年はウシ(丑)です。順番に並べれば、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二個。いわゆる「十二支」というやつです。
でも、「えと」は漢字で「干支」と書くように、正式にはこれら「十二支」と「十干」の組み合わせから成ります。十干の方は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十個あって、両者を組み合わせた「甲子(コウシ/きのえね)」とか「乙丑(イッチュウ/きのとうし)」とかが正式な干支です。そういう意味でいうと、今年は「庚子(コウシ/かのえね)」の年で、来年は「辛丑(シンチュウ/かのとうし)」の年です。

(出典:ウィキペディア「干支」の項)
正式な干支は、全部で60種類あって、60歳の誕生日を迎えると――より正確には、数えで61歳になると――生年と同じ干支に戻るので、「還暦」のお祝いをするのだ…というのは、ご承知のとおりです。
★
あれ?と思ったのは、十干と十二支を組み合わせたら、全部で120個の干支ができるはずだと一瞬思ったからです。実際には半分の60個しかないのは何故? 残りの60個はどこに消えたのか?
少し考えれば当たり前で、これは別に謎でも何でもありません。
十干と十二支を、順番に一つずつずらしながら組み合わせるとき、できるペアには或る制限があります。すなわち、十干より十二支の方が2個多いため、十干が一巡するたびに、ペアを組む相手の十二支は2個ずれる(=1つ飛ばしでペアを組む)ことになり、それが6巡すると元に戻って、その先はエンドレスだからです。
結果として、「甲、丙、戊、庚、壬」は「子、寅、辰、午、申、戌」としかペアにならないし、「乙、丁、己、辛、癸」は「丑、卯、巳、未、酉、亥」としかペアになりません。
全体の半分は永遠に結ばれぬペアだ――これが「消えた60個」の正体です。
★
…というのは長すぎる前置きで、以下本題につづきます。
(年寄りは話がくどい、というのは事実です。いやだなあ…と思いますが、しょうがないですね。何せ事実なんですから。私は事実を尊びます。)
庚申信仰 ― 2020年09月21日 07時16分17秒
(今日は2連投です。前の記事のつづき)
その干支のひとつに「庚申(こうしん/かのえさる)」があります。
西暦でいうと、直近は1980年で、次は2040年。
ただし、干支というのは「年」を指すだけでなく、「日」を指すのにも使います。だから旧暦を載せたカレンダーを見ると、今日、9月21日は「丁卯」で、明日は「戊申」、あさっては「己巳」だ…というようなことが書かれています。
そういうわけで、庚申の日も60日にいっぺん回ってきます。近いところだと先週の月曜、9月14日が庚申の日でした。次は11月13日です。庚申塚とか、庚申講とか、いわゆる「庚申信仰」というのは、この庚申の日に関わるものです。
★
庚申信仰について、ウィキペディアばかりでは味気ないので、紙の本から引用します。
「〔…〕庚申(かのえさる)にあたる日には、特殊な禁忌や行事が伝えられている。とくに庚申の日に、眠らないで夜をあかすという習俗は、もともと道教の説からおこったものである。人の体に潜む三尸(さんし)という虫が、庚申の日ごとに天にのぼり、その人の罪を天帝に告げるという。そこで、その夜には、守庚申といって、眠らないで身を慎むのである。
〔…〕庚申待ちの礼拝の対象は、一般に庚申様と呼ばれている。しかし、もともと庚申の夜には、特定の神仏を拝んだわけではなかった。初期の庚申塔には、山王二十一社や阿弥陀三尊などがあらわれ、江戸時代になって、青面金剛(しょうめんこんごう)が有力になってくる。さらに神道家の説によって、庚申が猿田彦に付会され、道祖神の信仰にも接近した。
〔…〕庚申信仰の中核となるのは、それらの礼拝の対象とかかわりなく、夜こもりの慎みであったと考えられる。そのような夜こもりは、日待ちや月待ちと共通する地盤でおこなわれていたといえよう。」 (大間知篤三・他(編)、『民俗の事典』、岩崎美術社、1972)
〔…〕庚申待ちの礼拝の対象は、一般に庚申様と呼ばれている。しかし、もともと庚申の夜には、特定の神仏を拝んだわけではなかった。初期の庚申塔には、山王二十一社や阿弥陀三尊などがあらわれ、江戸時代になって、青面金剛(しょうめんこんごう)が有力になってくる。さらに神道家の説によって、庚申が猿田彦に付会され、道祖神の信仰にも接近した。
〔…〕庚申信仰の中核となるのは、それらの礼拝の対象とかかわりなく、夜こもりの慎みであったと考えられる。そのような夜こもりは、日待ちや月待ちと共通する地盤でおこなわれていたといえよう。」 (大間知篤三・他(編)、『民俗の事典』、岩崎美術社、1972)
★
引用文中に出てくる「青面金剛」の像を描いた掛け軸が手元にあります。(元は文字通り掛け軸でしたが、表装が傷んでいたので、切断して額に入れました。)
憤怒相の青面金剛を中心に、日月、二童子、三猿、それに二鶏を配置しています。
庚申の晩は、これを座敷に掛けて、近隣の者がその前で夜通し過ごしたのでしょう。といって、別に難行苦行というわけではなくて、ちょっとしたご馳走を前に、四方山の噂をしたり、村政に関わる意見を交わしたり、村人にとっては楽しみ半分の行事だったと思います。
線は木版墨摺り、それを手彩色で仕上げた量産型で、おそらく江戸後期のもの。
改めて庚申信仰を振り返ってみると、
○それが暦のシステムと結びついた行事であること、
○道教的宇宙観をベースに、人間と天界の交流を背景にしていること、
○日待ち・月待ちの習俗と混交して、日月信仰と一体化していること、
○夜を徹して営まれる祭りであること
…等々の点から、これを天文民俗に位置づけることは十分可能です。まあ、この品を「天文アンティーク」と呼べるかどうかは微妙ですが、このブログで紹介する意味は、十分にあります。
★
ところで、手元の品を見て、ひとつ面白いことに気づきました。
この掛け軸は、絵そのもの(いわゆる本紙)は、割と保存状態が良かったのですが、一か所だけ、三猿の部分が著しく傷んでいます。特に「言わざる」の口、「聞かざる」の耳、そして「見ざる」に至っては顔全体が激しく摩耗しています。
おそらくこれを飾った村では、見てはいけないものを見た人、聞いてはいけないことを聞いた人、言ってはいけないことを言った人は、庚申の晩に、対応する三猿の顔を撫でて、己の非を悔いる風習があったのではないでしょうか。そうした例はすでに報告されているかもしれませんが、私は未見なので、ここに記しておきます。
(上の想像が当たっているなら、その摩耗の程度は、当時の「三悪」の相対頻度を示すことになります。昔は見ちゃいけないものが、やたら多かったのでしょう。)
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