透かし見る空…透過式星図(4)2020年09月26日 06時56分51秒

話の順番では、次にOtto MöllingerHimmelsatlas(1851年)を採り上げるところですが、前回の末尾に書いた「或る疑問」をめぐって、ここで1回寄り道をします。

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2つの星図を並べてみます。御覧のとおり表紙デザインは全く同じです。


右側は昨日も登場したブラウン星図で、正確なドイツ語タイトルは、『Himmels-Atlas in transparenten Karten』(透過式カードによる星図アトラス)
左側はフランス語で、『Astronomie Populaire en Tableaux Transparents』(透かし絵による一般天文学)。タイトルは微妙に違いますが、中身は当然ブラウン星図のフランス語版です……というのだったら、なんの問題もありません。しかし事実は違うのです。


左の中身は、なぜか連載第1回に登場した、『レイノルズ天文・地学図譜』のフランス語版。いったい全体、何がどうなっているのか? 

レイノルズの『天文・地学図譜』は、スウェーデン語版やロシア語版まで出ているぐらいですから、フランス語版が存在しても、別に不思議ではありません。しかし、その「衣装」がブラウン星図と同じというのは、いかにも変です。そうであるべき理由がありません。


それと、もう一つ気になるのは、このフランス語版の紙質と印刷が、微妙に粗末なことです。

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以下はまったくの想像で、全然違っているかもしれません。しかし、おぼしきこと言わざるは何とやら、無遠慮に書いてしまいます。

私の想像というのは、要はこれは海賊版じゃないかということです。
そう思うのは、レイノルズのフランス語版が出るなら、当然パリの出版社から出るはずなのに、これがベルギーのブリュッセルで出ているからです。別にブリュッセルを軽んずるつもりはありませんが、ブリュッセルと聞くと、何となく身構えてしまう自分がいます。何といっても、19世紀のブリュッセルは、名にし負う海賊版の本場だったからです。

その辺の事情を論じた文章があるので、引用しておきます。

■岩本和子
 ベルギーにおけるロマン主義運動―想像の「国民文化」形成
 神戸大学国際文化学部紀要11巻(1993年3月)、pp.1-35. 
その「Ⅲ 出版資本主義 海賊版 contre-façon 論争をめぐって」(pp.14-19)という節にはこうあります。

 「19世紀のベルギー、とりわけロマン主義の時代は、「海賊版」の時代でもあった。今日でも我々が19世紀のフランス語の稀覯本カタログを手にすると、しばしばブリュッセルの匿名出版社発行であることに気づく経験をする。

「海賊版」には大きく分けて3通りのやり方があったようである。ひとつには、「最近」パリで出版されたものを無許可でコピーし、ヨーロッパ市場へ売り出すというものである。当時ブリュッセルでの印刷費はパリでの半分だったとも言われる。安価な上、読者の反響がすでにある程度わかっているものだけに、確実に売れる方法である。フランスの有名作家はまず例外なく対象となった。」
(p.14)

これは相当なものですね。
さらには、「ベルギーのこのような節操のない無制限のフランス書籍出版」(p.16)とか、「国を挙げてと言ってもいいほどのベルギーの海賊出版」(p.17)といった烈しい文言も出てきます。(ちなみに海賊版のあとの2つの方法とは、「新聞・雑誌に連載されたものを、フランス本国よりも先に単行本化してしまう」というのと、「フランスで発禁処分になったものを、ベルギーで堂々と印刷発行する」ことを指します。)

――「いや、これはたまたまブリュッセルで出ただけで、やっぱり正規のフランス語版なのだ」という可能性だって、当然あります。もしそうならば、版元の Keslling 書店にお詫びせねばなりません。しかし、その場合も、同社がブラウンのポートフォリオ・デザインを剽窃した疑いは依然残ります(その逆は、よもやありますまい)。

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余談の余談ですが、この怪しいフランス語版は、かつてパリの名店、アラン・ブリウ書店のショーウィンドウを飾っていたことがあります。

(画像再掲。元記事はこちら

私は当時上の写真にあこがれて、日に何度も飽かず凝視していました。仮に海賊版だとしても、「あの」アラン・ブリウ書店の店頭にあったんだから、我が家にあったっていいじゃないか…というのは妙な理屈ですが、モノとの付き合いを長く続けていると、いろいろなところに思わぬ結び目ができるものです。

(この項つづく)

コメント

_ パリの暇人 ― 2020年09月27日 06時27分50秒

こんにちは。
Alain Brieux 書店のショーウィンドウについてですが、実は、そこにある "Astronomie Populaire en Tableaux Transparents"は私がBrieuxに売却したものなのです。数点所有していたものの一つで、確か小解説書(22ページ)が欠落していたと記憶しています。ちなみに、Philipsの小星座早見盤も私が売却したものです。壁にかかっている2点の版画はエコール・ポリテクニークの学生用天文教材で裏側がちょっとだけですが傷んでいたので無料で差し上げました。
手前左から右に天体図の巻物が見えますが、これはパリ在住のイタリア人業者の委託品でBrieuxが非常に高い値段をつけていました。結局売れず、最終的に私が直接イタリア人業者から購入し今は当コレクションです。印刷物ですが出版社も出版年も不明という不思議な代物で、星図も入っており各恒星には穴が開いていて透かして見るようになっています。
当コレクションに、Yaggy 透視版星図・天体図というのがあります。1887年のアメリカ製、90cm x 60cmという大きなもので、非常に美しいです。大変に珍しいものではないかと思っていますが、Nuova pagina 1 atlascoelestis.com/Yaggy 1887.htm で探していただくと写真が見られます。
なお、19世紀中期のドイツの星座早見盤で星に穴が開けられていて透かして見る事のできるものも1点所蔵しています。

_ 玉青 ― 2020年09月27日 07時29分26秒

やあ、これはすごい情報をありがとうございます。
一枚の写真からprovenanceがこうもはっきりするとは!
そしてパリの暇人さんの恐るべきコレクションの一端を、またも知ることとなりました。まさに、まさに感嘆の声しか出ません。

Yaggyの図もすごいですね。仕掛け絵本的な工夫も楽しいですし、あれは先行作品の影響も受けているのでしょうが、その集大成といった趣で、まだまだ透過式星図の逸品は世に多いことを知りました。

ときに写真手前の天体図の巻物ですが、個人的にずっと正体が気になっていました。今もなお素性は不明とのことですが、モノの性質としては、以前記事に書いた(※)透過式オーラリーの「種絵」ではないかと想像するのですが、いかがでしょうか。
(※)http://mononoke.asablo.jp/blog/2018/01/28/8777982

_ パリの暇人 ― 2020年09月28日 02時09分19秒

この巻物は単なる印刷物で、透過式オーラリー用ではありません。紙芝居的には使えるかもしれませんが、19世紀後半のもので、残念ながら、あまり大したものではありません。一度だけ広げて見てそれで終わってしまっています。

_ 玉青 ― 2020年09月28日 21時52分30秒

残念!違いましたか。あの「巻物」という形状が、いかにも珍しく感じられたのですが、いずれ正体が判明しました折には、重ねてご教示いただければ幸いです。

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