透かし見る空…名月によせて(その1) ― 2020年10月01日 07時20分29秒
今日から10月。なんだか急に年の瀬が近づいた気がします。
でも、旧暦だとまだ8月15日ですから、今宵のお月見も、慌てず騒がず、のんびり気分で楽しみたいです。
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先日、透過式星図の話題を書きましたが、今日はそこから横滑りして、透かし絵を施した絵葉書を採り上げます。他愛ない工夫ですけれど、透かし絵は簡単に楽しめるので、絵葉書の流行にあわせて、透かし絵式の絵葉書というのも大量に作られました。
以下はいずれも月にちなむ品です。
裏面を見ると、3枚ともまだ住所欄と通信欄の区別がない時代(1900年前後)のもので、1枚はドイツ、2枚はフランスで発行されています。
「Neueste Mondscheinkarte(最新式月光カード)」をうたう、この絵葉書。
板塀越しに、山の端から上る満月を見たところですが、これを光にかざすと…
「板塀」は木製ベンチの背であり、そこに禿頭の男性が座っているという、結構ベタな演出が施されています。なんだか他愛なさすぎる感じもしますが、これが当時の笑いであり、透かし絵というものの受容のされ方だったわけです。
こちらは田舎道で3人の子供たちが、何やら指さして、ささやき合っています。
「Regardez par transparence.(透かして見よ)」という指示に従うと…
教会の脇にのっと顔を出した満月を、望遠鏡で覗いている場面に早変わりです。
ここでも「他愛なさ」が重要なキーワードで、現代の我々は、往々にして他愛なさを「けなし言葉」に使いますが、これは「ほめ言葉」に使ってもよいのです。それは無邪気で、シンプルで、屈託がないことに通じます。
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考えてみれば、お月見なんていう習慣も、ずいぶん他愛ないものです。
でも、まん丸な月を見上げて、「ああ、きれいだなあ」と虚心に思うのは悪いことではないし、みんながそう思える世の中は、良い世の中でしょう。
(この項つづく)
透かし見る空…名月によせて(その2) ― 2020年10月02日 19時44分44秒
今日の絵葉書は、禿頭よりかは、いくぶん情緒に富んでいます。
(禿頭にもある種の情緒はあるでしょうが、それはやや特殊な情緒に属すると思います。)
絵柄はフランスで愛唱される「月の光に(Au clair de la lune)」を題材としたもの。
この曲については、やっぱり以前、記事で取り上げたことがあります(どうもマンネリ化が著しいですね)。
■月明かりの道化師
恋のロマンスを仲立ちするピエロと、下界の人間ドラマを見下ろす月。
ピエロそのものが、いわば月光派のキャラクターですし、全体が月明かりの下で進行するストーリーには、一種独特のムードがあります。言うなれば「夜の香り」。
絵葉書は、その歌詞を載せ、主人公である男とピエロのやりとりの場面を描きます。
それを光にかざせば、ろうそくが灯り、月が皓々と輝きだします。
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昨夜は雨雲に覆われて月が見えなかった土地もあった由。
でも、眼前の景色を、心の灯にかざして見れば、分厚い雲をすかして、鏡のような月がきっと見えたでしょう。少なくとも心の目には見えたはずです。
余滴 ― 2020年10月02日 19時47分21秒
日本学術会議の会員人事をめぐる問題。
その騒ぎを聞いて、日本学術会議法というのを、今回初めて読みました。
法律の常として、さらに「施行令」というのがあり、また当然のごとく「会則」やら「細則」やら、いろいろな決め事があって、それは同会議のサイトに、一括して載っています。(以上の4つは一通り目を通しました。いずれもそう長い文書ではありません)。
肝心の会員の任命については、その第7条に「会員は、第17条の規定による推薦〔=学術会議の推薦〕に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」とあって、これだけ読むと、たしかに会員の任命権は首相にあると読めます。
しかし、ここでいう「任命権」には、「選任権」や「任免権」が含まれていないことには十分注意が必要です(首相は学術会議側から申し出がない限り、会員を辞めさせることはできないことになっています)。
そして、任命の根拠は、唯一「学術会議から推薦があったという事実」に限られ、たとえば「推薦のあった者の中から、○○を考慮して内閣総理大臣が任命する」…というような建付けにはなっていません。つまり、第7条は首相の裁量を強調したものではなく、「学術会議の推薦の無い者を、首相が勝手に会員に任命することはできない」という、むしろその裁量権に大きな制限を課した条文です。
学術会議が「優れた研究又は業績がある科学者」として推薦した人(第17条)を、首相が蹴るというのは、独立して職務を行うとされている(第3条)学術会議の独立性を脅かすものであり、「不当な人事介入」と呼ばざるを得ない行為です。
…というようなことは、すでに多くの人が述べているので、屋上屋を架す必要はありません。それでも事実を確認しておくことは大事ですから、念のため、根拠法を一瞥してみました。
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本件について、私の態度は100%明瞭で、菅内閣に対して、きっぱりと抗議の意を表明します。そこに何のためらいもありません。
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ただ、ここで私の心にかすかに引っ掛かっていることがあります。
もし将来、私が支持するリベラル政権が成立したとして、その政権が学術会議の会員を任命するに際して、極右的であったり、全体主義的であったり、差別主義的であったりする人を拒否したら、私はそれに対してどういう態度をとるだろうか…という問題がそれです。
結局、今回の件もいろいろな議論の層がありうるのですが、昨日、寝床の中で自分なりにボンヤリ思いついたことがあります。頭を再度整理して、そのことは別項でしっかり書きたいと思います。
余滴…硬骨 vs. 変節 ― 2020年10月03日 19時53分25秒
以下の文章は、自分が感じた疑問に、自分で答えるためのメモです。
メモにしては冗長ですが、自分なりに一生懸命考えたことなので、載せておきます。
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まずは昨日の宿題の答。
「もし将来、私が支持するリベラル政権が成立したとして、その政権が学術会議の会員を任命するに際して、極右的であったり、全体主義的であったり、差別主義的であったりする人を拒否したら、私はそれに対してどういう態度をとるだろうか?」
これはあまり難しい問題ではありません。
学問への政治の介入という点では、政府に抗議するし、学問の価値を蝕む要素を自ら認めたという点では、学術会議に抗議するという、それだけのことです。事と内容によって抗議先が変わるというのは、まあ、当たり前のことですね。
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そのこととは別に、先日、私が寝床で考えたのは以下のようなことです。
話を単純化するために、「右翼」と「左翼」という軸を考えます。
言葉の内実として、それを右翼・左翼という言葉で呼ぶのが、本当にふさわしいかどうかは不問とします。ここでは大雑把に、自民党ないし現政権を支持する人と、批判する人という意味合いで使います。
もちろん、「俺は自民党を支持するが、菅は(二階は、石破は、公明党は)大っ嫌いだ」という人もいるし、野党を支持するといっても、立憲、共産、れいわでは反目し合う(ときに蛇蝎のごとく嫌う)層が入り混じっているので、話は込み入っていますけれど、だからこそ単純化するわけで、ここはお互い大同団結してもらうことにします。
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学者の世界にも、当然「右」と「左」の人がいます。
その色合いは様々です。ウルトラ級の「右」や「左」の論客もいるし、真ん中付近に固まっている、中道リベラルや、穏健保守の人も大勢います。
私は現政権を批判する立場なので、当然「左」の人にシンパシーを感じ、「右」の人に反発を覚えます。攻守ところを替えれば、「右」の人でも、自然と同じことになるでしょう。でも、それは人を「敵・味方」に峻別する態度であり、国民を分断することに、容易につながります。ポピュリストの術中に、自らはまりに行くようなものです。
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自らを省みて、なぜそうなりがちなのかを考えてみます。
どうも私の中には、「右」の学者は「曲学阿世の徒」であり、その議論はすべて「為にする論」であり、かたや「左」の学者は「反骨の正義漢」で、常に「真摯な意見」を述べていると、無意識にみなす傾向があるから…のような気がします。
その人の主張と、人格水準を重ねて見てしまう…これがそもそも間違いのもとです。
もちろん体制に近い学者の中には、文字通り曲学阿世の徒――つまり、地位や権力、物質的誘惑に負けて、権力者にこびへつらう人も少なくないでしょう。いわゆる風見鶏というやつです。でも、自らの本懐として、真剣に保守的論陣を張っている人もいるはずです。
似た事情は「左」にもあると思います。権力に重用される旨味はなくとも、大向こう受けを狙って、威勢のいいことを放言すれば、世間の喝采を浴びるし、そのこと自体に無上の喜びを感じる人もいれば(そういう人は「右」にもいます)、そこに何らかの実利が伴う場合も、なくはないでしょう。それもまた「学を曲げて世に阿(おもね)る」姿だと思います。
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雑な議論が横行する今の世で、世間知として知っておくべきことは、相手の立場を単純に右と左に振り分けて、はやしたり、くさしたりすることで終わらず、その人の真率さに目を向けることの重要性です。言うなれば、硬骨漢と変節漢の軸を立てることです。

「右」にしろ、「左」にしろ、変節漢の主張には、耳を傾ける価値がそもそもありません。それは文字通り「為にする論」であり、鴻毛よりも軽いからです。
反対に、自分と主義主張は異なろうとも、「硬骨右翼」の話ならば、聞く価値があるし、聞いてみたいです。(「硬骨右翼」と言っても、別に旭日旗を振り回す「極右」という意味ではありません。右寄りの程度によらず、己の学問的良心に従って、それのみに従って、保守的意見を述べる人のことです。)
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「なるほど。でも、その『硬骨右翼』と『変節右翼』、あるいは『硬骨左翼』と『変節左翼』を見分ける方法はあるの?」と思われるかもしれません。その方法がなければ、私の言っていることは、単に新しいレッテルを考案し、一部の人を排斥するだけで終わってしまうでしょう。
硬骨漢と変節漢を見分けるには?
寝床の中で腕組みをして見つけた答は、「事実関係の誤りを指摘されたとき、それを素直に受け入れ、すみやかに訂正に応じるかどうか」というものです。
変節漢は、信念や確たる根拠があって論じているわけではないので、自分の誤りをひとつ認めると、その虚ろな論の全てが崩壊するような恐怖と不安を覚えるようです。そのため、反論をされると、急に依怙地な態度になって、言を左右し、言い訳やら相手の揚げ足取りに終始し、はたから見て妙に自信がない態度に見えます。
反対に硬骨漢は、己のしっかりとした城を築いているので、誤りのひとつふたつ認めても、その自信がゆらぐことはないし、あっさり非を認めることができます。その態度は、おおむね落ち着いており、沈着です。
(ツイッターの言論空間だと、相手が非を認めると、鬼の首でもとったかのように振る舞う人がいますが、議論というものへの理解が、いかにも皮相だと思います。)
もちろん、ある人にとっての「誤り」が、別の人にとって「誤りでも何でもない」ことは多いので、そこからさらに議論が起ることはしょっちゅうです。それはむしろ健全な議論であり、大いに戦わせればよいのです。あるいは、性格的に他者からの評価に敏感な人とか、喧嘩っ早い人もいるので、そうした要素は、「硬骨-変節」の軸と分けて考えないといけないかもしれません。
それでも、やりとりの流れを見ていれば、「自らの誤りを認める」という切り口から、その人の学問的良心や、付け焼刃の程度は、おのずと露呈するものです。
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「敵-味方」思考に染まって、何かあると「パヨク」や「ネトウヨ」というレッテルを安易に貼って済ますことで、いったい何が明らかになるのか。おそらく明らかになるよりも、隠れてしまう部分の方が多いと思います。
その人の心底に注目し、談ずるに足る人か、耳を傾けるに足る人か、それを知ろうとすること。そういう構えを持つことが、現在の分断政治に抗い、まっとうな社会を取り戻す第一歩だと、私は信じます。
(何だか、昔のエライ人が言ったことを繰り返しているだけのような気もしますが、自分なりに考えて、エライ人と同じ結論になったのであれば、大いに自信を持って良いんじゃないかと、我ながら思います。)
A Ticket to the Crescent Station ― 2020年10月04日 18時42分21秒
アルバムの隅に、こんな切符がはさまっていました。
「三日月駅」の入場券です。
銀色に光る三日月にはポツンと駅舎が立っていて、この切符があれば、いつでもそこに行けるんだ…。いくぶん幼い夢想ですけれど、そう悪くないイメージです。
それに、夢想といっても、現実に「三日月駅」は存在するのです。
そして、三日月駅を訪れ、この古風な硬券入場券をかつて手にした人がいるのです。
もし夢想の要素があるとすれば、「発売当日限り1回有効」の券を、いつでも使えると思ったことことぐらいでしょう。
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三日月駅は、兵庫県にあります。
姫路と岡山県の新見を結ぶ「姫新線」(きしんせん)に乗り、列車が岡山との県境に近づくと、その手前が佐用(さよう)の町で、その町域に三日月駅は立っています。
江戸時代には、代々森家が治めた「三日月藩」1万5千石の土地ですが、ご多分に漏れず過疎化が著しく、現在は無人駅です。1日平均の乗車人員は140人だと、ウィキペディアには書かれていました。
(グーグルマップより)
とはいえ、駅舎の風情はなかなか素敵ですね。
この駅がある限り、夢のような「三日月への旅」が、いつでも可能なのですから、ぜひ今後も末永く存続してほしいです。
(左下は三日月駅への始発駅…のような風情を見せる、今はなきアポロ劇場(デュッセルドルフ)の建物)
古典に親しむ秋 ― 2020年10月07日 06時56分59秒
仕事帰りに空を見ると、異様に大きく、異様に赤く光っている星があります。
言わずと知れた火星です。赤といっても、ネーブルの香りが漂うような朱橙色ですから、それだけにいっそう鮮やかで、新鮮な感じがします。
西の方に目を転ずれば木星と土星が並び、天頂付近には夏の名残の大三角が鮮やかで、秋の空もなかなか豪華ですね。昨日は久しぶりに双眼鏡を持ち出して、空の散歩をしていました。
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ところで、最近、このブログのあり方をいろいろ省みることが多いです。
もちろん、これはただの「お楽しみブログ」ですから、そんなに真剣に考えなくてもいいのですが、それにしたって、天文の話題――特に天文学史の話題をメインに綴っているのに、天文学の歴史を何も知らないのも、みっともない話だと思います。
まあ、「何も知らない」と言うのも極端ですが、「ほぼ何も知らない」のは事実です。
たとえば、私は天文学上の古典をほとんど読んだことがありません。かろうじてガリレオの『星界の報告』は岩波文庫で読みました。でも、そんな頼りない知識で、もったいらしく何か言うのは、恥ずかしい気がするので、少し努力をしてみます。
まずは、コペルニクスの『天体の回転について』です。
何せその出版は、歴史上の事件であり、革命と呼ばれましたから、これは当然知っておかなければなりません。幸い…というべきか、岩波文庫版は、コペルニクスの長大な作品の第一巻だけ(全体は6巻構成)を訳出した、ごく薄い本ですから、手始めにはちょうどよいのです。
これが済んだら、次はガリレオの『天文対話』で、その次は…と、心に期する本は尽きません。まあ、どれも斜め読みでしょうけれど、どんな内容のことが、どんなスタイルで書かれているのか、それを知るだけでも、今の場合十分です。
たとえて言うならば、これは見聞を広めるための旅です。
旅行客として見知らぬ町に一泊しても、それだけで町の事情通になることはできないでしょうが、それでも土地のイメージはぼんやりとつかめます。さらに一週間も滞在すれば、おぼろげな土地勘もできるでしょう。書物(学問の世界)も同じで、何も知らないのと、何となく雰囲気だけでも知っているのとでは、大きな違いがあります。
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古典を知れば、ものの見方も変わります。
たとえば、火星と木星と土星。この3つが、この順番で地球に近いことは、天動説の時代から理解されていました。星座の間を縫って動くスピードの違いの原因として、動きの速いものは地球に近く、遅いものは遠いと考えるのが、いちばん理に適うからです。そしてこの常識的判断は、結果的に正しかったわけです。(同じ理由から、あらゆる天体の中で、いちばん地球に近いのは月だ…ということもわかっていました。)
自分が古代人だったら、そのことに果たして気づいたろうか?
そんなことを考えながら、空を眺めていると、宇宙の大きさや、過去から現在に至るまでの時の長さを、リアルに感じ取れる気がします。
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晴観雨読―。この秋は、星空散歩をしつつ、書物の世界を徘徊します。
古き者たちの記憶 ― 2020年10月18日 07時16分33秒
その後も古典に親しみ続けています。
といっても、読んでいるとすぐに眠くなるので、なかなか読み進めることはできません。でも、それだけ楽しみが続くと思えば、それはそれで良いのです。ことによったら、死ぬまでこれが続くかもしれません。まあ、それが幸福な死にざまかと言えば、そうとも言い難いですが、穏当な生き方であったとは、多分評されるでしょう。
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今読んでいるガリレオの『天文対話』は、3人の人物(ガリレオの分身である新派の学者、アリストテレスに心酔する旧派の学者、聡明な素人)の対話体で進む、『三酔人経綸問答』みたいな体裁の本で、全編が天動説を論駁し、地動説を擁護する内容です。
そこには読んでいて、読みやすい箇所と、非常に読みにくい箇所があります。
後者は主に、ガリレオが攻撃するアリストテレスの説が、「素朴科学」を超えて、「思弁哲学」に入っている部分です。そういう個所では、そもそもアリストテレスが何を言っているのか分からないので、3人の議論が頭に入らないです。
それでも、ガリレオの時代にあってもなお、アリストテレスの権威がどれほど大したものだったか、そして、彼を本尊と仰ぐ旧派の学者の態度がいかなるものであったか、3人の人物はガリレオの創作にしろ、時代の空気はよく伝わってきます。
さらにまた、ガリレオは1642年1月に没し、同じ年の12月にニュートンが生まれたと聞くと、その後の時代の変化が、いかに急だったかも分かります。コペルニクス以来、人類の精神史にとっては革命につぐ革命の時代だった…というのは、知識としては知っていても、こうして古典に接することで、それが皮膚感覚として分かったことは、個人的に嬉しかったです。
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古典に限らず、アンティークの良いところは、古くなってもアンティークの価値は変わらないところです。もちろん、アンティーク業界にも流行りすたりがあるので、商品価値は常に変動しますけれど(その意味でアンティークはナマモノです)、その歴史的意義というか、そこに堆積した時の重みは一向に変わりません。むしろ、その重みはどんどん増していきます。
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古いモノたちは、今も時の重みを身にまといつつあります。
彼らにとって、「今」はどんな時代と目に映っているんでしょうね?
彼らを将来手にするであろう未来の人にとってはどうでしょう?
同時代人たる私の目には、愚なる時代としか見えないんですが、愚なる時代かどうかはともかく、確かにそう思った持ち主がいたことを、次代に語り継いでほしいと切に願います。
社会貢献2題 ― 2020年10月25日 12時16分05秒
ブログの更新が止まっても、「天文古玩」的活動が止まることはないので、いろいろ見たり、聞いたり、考えたり、買ったりすることは続いています。ただし、書くことだけは止まっている…そういう状態です。
まあ、書くにしたって、内向きのつぶやきばかりでは、あまり社会的活動とは言えませんが、「天文古玩」も、ときに社会に向けて開かれた活動をすることがあります。
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たとえば、寺田寅彦に触れた8月の記事。
■明治科学の肖像
あそこで紹介した東大の古い卒業写真の複製パネルが、現在、高知市の「寺田寅彦記念館」に飾られています。記事をご覧になった、「寺田寅彦記念館友の会」の山本会長からお問い合わせをいただき、画像ファイルを提供したものです。
(友の会会報 『槲(かしわ)』 第89号より)
山本氏によれば、この時期の寅彦の写真、しかも正面向きの像は珍しい由。そう伺うと、なんだか有難味が増しますが、私一人が有難がっていてもしょうがないので、これは寅彦ゆかりの場所で、多くの寅彦ファンの目に触れるのが正解です。(もちろん現物を寄贈すれば、なお良いのですが、そこは趣味の道ですから、今しばらくは手元で鍾愛することにします。)
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もう1つはアートに関する話題です。
今年は各地で展覧会の休止が相次ぎましたが、そんな中にあって、苦労の末に開催まで漕ぎつけたのが、横浜美術館で開催された「横浜トリエンナーレ2020」です(会期:2020年7月17日~10月11日)。
そこに私が多少かかわった…というのも謎ですが、さらにこの現代美術の祭典に、ヴィクトリア時代の天文家、ジェイムズ・ナスミス(1808-1890)が、アーティストとして参加していた…と聞くと、いっそう訳が分かりません。その分からないところが現代美術っぽいわけですが、事情を述べればこういうことです。
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ナスミスは、月に強い関心がありました。
そして望遠鏡で覗くだけでは飽き足らず、石膏で月面の立体模型をこしらえる作業に熱中しました。月の地形をいろんな角度から眺めたかったのでしょう。実際、彼は出来上がった模型をいろいろな角度から撮影して、「月面に立って眺めた月の光景」を仮想的に生み出し、それを本にまとめました。それが『THE MOON』(初版1874)で、これについては昨年記事にしました。
■ナスミスの『月』
今ならCGでやることを、19世紀のナスミスは模型という形で実現したのです。
そして、ナスミスの奔放な想像力が生み出したこれら一連の作品と、その営為が、現代アートの先蹤と捉えられ、晴れて「ヨコトリ」に登場となったわけです。
今回、ナスミスに目を留めたのは、イベント全体のディレクターを務めた「ラクス・メディア・コレクティブ」(ニューデリーを拠点にするアーティスト集団)であり、ナスミスの作品――『THE MOON』所載の図を拡大出力したもの――は、「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」をテーマとする本展覧会の、いわば「プロローグ」として、会場入口付近に並べられたのでした。
(内山淳子氏撮影。以下も同じ)
で、私が何をしたかといえば、手元の『THE MOON』を主催者にお貸ししただけで、結局何もしてないに等しいのですが、それでも説明ボードの隅に、「「天文古玩」コレクション “Astrocurio Collection”」という文字を入れていただき、「どうだ!」と、家族の手前、大いに面目を施したのでした(いじましいですね)。
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夏炉冬扇といい、無用の用といい、無駄なように見えてこの世に無駄はないものです。
大地に生物地球化学的循環があり、あらゆる生物がそこに参画しているように、「天文古玩」もまた、この世における作用者として、なにがしかの意味と機能を有しているのでしょう。
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