古き者たちの記憶2020年10月18日 07時16分33秒

その後も古典に親しみ続けています。
といっても、読んでいるとすぐに眠くなるので、なかなか読み進めることはできません。でも、それだけ楽しみが続くと思えば、それはそれで良いのです。ことによったら、死ぬまでこれが続くかもしれません。まあ、それが幸福な死にざまかと言えば、そうとも言い難いですが、穏当な生き方であったとは、多分評されるでしょう。

   ★

今読んでいるガリレオの『天文対話』は、3人の人物(ガリレオの分身である新派の学者、アリストテレスに心酔する旧派の学者、聡明な素人)の対話体で進む、『三酔人経綸問答』みたいな体裁の本で、全編が天動説を論駁し、地動説を擁護する内容です。


そこには読んでいて、読みやすい箇所と、非常に読みにくい箇所があります。
後者は主に、ガリレオが攻撃するアリストテレスの説が、「素朴科学」を超えて、「思弁哲学」に入っている部分です。そういう個所では、そもそもアリストテレスが何を言っているのか分からないので、3人の議論が頭に入らないです。

それでも、ガリレオの時代にあってもなお、アリストテレスの権威がどれほど大したものだったか、そして、彼を本尊と仰ぐ旧派の学者の態度がいかなるものであったか、3人の人物はガリレオの創作にしろ、時代の空気はよく伝わってきます。

さらにまた、ガリレオは1642年1月に没し、同じ年の12月にニュートンが生まれたと聞くと、その後の時代の変化が、いかに急だったかも分かります。コペルニクス以来、人類の精神史にとっては革命につぐ革命の時代だった…というのは、知識としては知っていても、こうして古典に接することで、それが皮膚感覚として分かったことは、個人的に嬉しかったです。

   ★

古典に限らず、アンティークの良いところは、古くなってもアンティークの価値は変わらないところです。もちろん、アンティーク業界にも流行りすたりがあるので、商品価値は常に変動しますけれど(その意味でアンティークはナマモノです)、その歴史的意義というか、そこに堆積した時の重みは一向に変わりません。むしろ、その重みはどんどん増していきます。

   ★

古いモノたちは、今も時の重みを身にまといつつあります。
彼らにとって、「今」はどんな時代と目に映っているんでしょうね?
彼らを将来手にするであろう未来の人にとってはどうでしょう?

同時代人たる私の目には、愚なる時代としか見えないんですが、愚なる時代かどうかはともかく、確かにそう思った持ち主がいたことを、次代に語り継いでほしいと切に願います。