天文和骨董の世界 ― 2020年11月15日 16時41分51秒
世の中は三日見ぬ間の桜かな。
まことに転変の多い世です。
昔の高橋葉介さんの漫画、「宵闇通りのブン」(1980)だと、少女ブンが「パパ遅いな…」と、街灯の下で腕時計を気にしている間にも、貧相なチョビ髭の男が民衆の英雄となり、一国の指導者に上り詰め、戦争が起こり、「話が違うじゃないか!」と嘆く民衆の上に爆弾が降り注ぎ、焼け跡に終戦の号外が配られたところで、ようやく父親が姿を見せて、「ひどいわ。ずいぶん待ったのよ。退屈しちゃったわ」とブンがふくれっ面をする傍らで、かつての「英雄」は、民衆によって縛り首になる…。
それぐらいの時間感覚で、世界が動いている感じです。
まあ、動くにしても、いい方向に動いているかどうかが肝心でしょうが、そこは一寸混沌としています。
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さて、しばらく蟄居している間に、私の身辺や心の内にも、いろいろなことが去来し、そこにも有為転変の風は吹き荒れていました。でも、だからこその天文古玩です。自らを安んじるため、古人の思いを訪ねて、モノを手にすることは続いています。
そんな中で、最近考えるのは「天文和骨董」は可能か?という命題です。
天文アンティークというのは、私自身それを唱導し、また世間でもそれを愛好する人がポツポツ現れて、そういう品に力を入れるお店もあるわけですが、総じて西洋の品で商品棚が埋まっているのが現状でしょう。
このブログだと、七夕の話題に関連したりで、和の品もときどき登場しましたが、それに興味を持つ人は皆無と言ってよく、2020年現在、「天文和骨董」というジャンルは、まだ存在していないと思います。しかし、これはいずれ形を成す…いや、成してほしいです。
まあ、遠い星の世界を愛するのに、地球上の国や地域という区分は、あまり意味がないとは思います。でも、人々の星への思い―すなわち「星ごころ」は、文化的バックグラウンドがあって花開くものですから、星と同時に「星ごころ」を愛でようとするとき、その時代や国・地域を無視することはできません。
そして、この島国に生まれ育った私が、自らの星ごころを振り返り、その文化的背景に自覚的であろうとすれば、「天文和骨董」というジャンルは、どうしてもあって欲しいのです。確かにそれがなくても、別に困りませんが、自分の趣味嗜好を、他の人と分かち合うためには、そこに共通言語があったほうが何かと便利でしょう。
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「天文和骨董」というと、野尻抱影にも先例があって、抱影には『星と東方美術』という著作があります。この本は以前【LINK】取り上げましたが、そこで抱影が話題にしているのは、「東方美術」の名にふさわしい、博物館や社寺の秘庫に収まっているような歴史的文化財です。
(画像再掲)
一方、私の言う天文和骨董は、趣味人が手元に置いて愛でたくなるような、身近な品々なので、抱影の文章は大いに参考にはなりますが、その手引きには程遠いです。ですから、天文和骨董を語ることは、ちょっと大げさに言えば、「僕の前に道はない」的な、やや強い決意を要することです。
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と言って、最初から「これが天文和骨董だ」と、決めてかかることはしません。
今回、ささやかな試みとして、「和骨董・和の世界」という新カテゴリー【LINK】を作りました。ここには和骨董的な古びた品々をはじめ、ジャパネスクな伝統工芸品や、和の匂いの濃い品をまとめました。そうした品々が集積した先に、おそらく「天文和骨董」の世界も徐々に輪郭を備えてくるのではないか…と予想します。
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