孔雀石の地球2020年12月14日 06時54分14秒

昨日は久しぶりに休日らしい休日でした。

「せっかくの休日なんだから…」と聞いて、次にどんな言葉を連想されますか?
「たまった家の仕事を片付けよう」と思うのか、それとも「のんべんだらりと過ごそう」と思うのか? 私の場合、気持ちは前者ですが、実際の行動は大抵後者です。昨日も、結局一日ダラダラと過ごしていました。

有限の人生を無駄に過ごすのは勿体ない気もしますが、ややもすると人間ダラダラしたがるのは、そうすることが人間にとって必要だからで、これは決して無駄ではないのでしょう。(突き詰めて考えれば、人生そのものが無駄だとも言えます。)

…と誰にともなく言い訳しつつ、ブログも放置しっぱなしでは良くないので、何か書いてみます。といっても小ネタです。

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以前登場した、手元のアーミラリー(画像は再掲)。


■魅惑のアーミラリー・スフィア(中編) 

その素性は、上の記事で十分書いたように思ったのですが、新しい発見は日々あるものです。今回知ったのは、このアーミラリーを彩る緑の地球、すなわち孔雀石(マラカイト)を削り出した、中心の小球の由来です。


私は「緑の地球」というおなじみのフレーズに触発された、作者ノーマン・グリーン氏のちょっとした思いつきだと考えていました。他のアーミラリーだと、ここに真鍮や銀の小球がはめ込まれていることが多いからです。(あるいは、Greeneという姓に掛けた機知かな…と思ったりもしました。)

でも、マラカイトの小球をはめ込んだ例は、古いアーミラリーにもあって、これはグリーン氏の独創ではありません。というよりも、そういう先例にならって、グリーン氏は自作にトラディショナルな趣を与えるため、進んで孔雀石を選んだのでしょう。

その先例として目に付いたのは、イギリスのサイエンス・ミュージアム・グループ・コレクションに属する以下の品です(実際の所蔵先はロンドンの科学博物館)。

(1648年にイタリアで作られたアーミラリー・スフィア。Science Museum Group Collection 【LINK】 より)

(同上拡大)

そういことを知ってみると、これまでちょっと浮いて感じられた緑の玉が、にわかに威厳を帯びてきたりするので、人間の目と心は案外いい加減なものです。

科学の目…科学写真帳(前編)2020年12月16日 18時36分04秒

なかなか寒いですね。昨日は初雪。

年内に雪が降るのは久しぶりな気がします。でも、今調べてみたら、この20年間で12月に初雪が降らなかったのは3回だけで(名古屋の話です)、昨シーズンが2月10日と飛び切り遅かったので、何となく早く感じただけのことです。前回の末尾で「人間の目と心は案外いい加減」と書きましたが、記憶もかなりいい加減ですね。

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昔、NHKの科学番組で「レンズはさぐる」(1972-78)というのがありました。
さまざまな事象を科学的に検証し、それをビジュアルに見せる番組で、子供の頃に見て大層おもしろかった記憶があります。


早野凡平さんが体を張って「雨の降り方が一定なら、走っても歩いても濡れ方は同じだ」と喝破した回などは、今でも知識として大いに役立っています(走れば濡れる時間は短い代わりに、前面から雨を浴びやすくなるためです)。

さらにそれ以前は、「四つの目」(1966-72)という子供番組があって、こちらは記憶が曖昧ですが、狙いは同じものでした。(4つの目とは、「拡大の目、透視の目、時間の目、肉眼の目」で、テーマに応じて、いろいろ撮影の工夫を凝らしていました)。

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この手の番組は、テレビが普及する前からあって、岩波映画製作所が老舗です(1950年設立)。ここは“雪の博士”中谷宇吉郎が中心になって設立された…というのは、さっき知ったんですが、紙媒体の「岩波写真文庫」と並んで、多くの良質の映像作品を生み出し、そのうちの1つである「たのしい科学」というシリーズは、半ば伝説化しています。

(岩波写真文庫7 『雪』、1950)

戦後の一時期、科学映画と呼ばれる一群の作品が確かにありました。
そして、風景写真や人物写真と並んで「科学写真」というジャンルもまたあったのです。これは日本だけのことではありません。

(この項つづく)

科学の目…科学写真帳(中編)2020年12月17日 06時56分42秒

(昨日のつづき)

こんな写真集を見つけました。


■Franklyn M. Branley(編)
 『Scientists' Choice: A Portfolio of Photographs in Science.』
 Basic Books(NY)、1958

編者のブランリーは、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムに在籍した人です。
表題は『科学者が選んだこの1枚』といったニュアンスでしょう。各分野の専門家が選んだ「この1枚」を全部で12枚、それをバラの状態でポートフォリオにはさみ込んだ写真集です。さらに付録として、『Using Your Camera in Science(手持ちのカメラで科学写真を撮ろう)』という冊子が付属します。


裏面の解説を読んでみます。

 「ここに収めた写真は、その1枚1枚が芸術と科学の比類なき組み合わせである。いずれも、一流の科学者が自分の専門分野の何千枚という写真の中からお気に入りの1枚を選んだものばかりだからだ。電子やウイルスから、飛行機翼や星雲に至るまで、幅広いテーマを扱ったこれら一連の写真は、多様な科学の最前線、すなわち風洞、電子顕微鏡、パロマー望遠鏡、検査室等々におけるカメラの活躍ぶりを示している。どの写真も、科学者であれ素人であれ、それを見る者すべてに、自然と物質のふるまいに関する新しい洞察をもたらし、その美しさの新たな味わい方を教えてくれる。」


1950年代に出た科学写真を見ていると、当時の科学の匂いが鼻をうちます。


表紙を飾った酸化亜鉛の電子回折像
酸化亜鉛の結晶を電子ビームが通過するとき、電子が「粒子」ではなく「波」として振る舞うことで、その向こうの写真乾板に干渉縞が生じ、ここではそれが同心円模様として現れています(形がゆがんでいるのは、電子線が途中で磁石の力で曲げられているためです)。奇妙な量子力学的世界が、写真という身近な存在を通して、その正当性をあらわに主張している…というところに、大きなインパクトがあったのでしょう。


美しい放射相称の光の矢。
これも回折像写真で、氷の単結晶のX線像です。(撮像もさることながら、単結晶の氷を作るのが大変な苦労だったと…と解説にはあります。)


科学写真が扱うのは、硬質な物理学の世界にとどまりません。こちらはショウジョウバエの染色体写真。2000倍に拡大した像です。
本書の刊行は1958年ですが、当時すでに染色体の特定の部位に、特定の形質(翅の形、目の色・大きさ等)の遺伝情報が載っていることは分かっていました。そして1953年には、あのワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見があり、生命の秘密の扉が、分子生物学の発展によって、大きくこじ開けられた時代です。

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ときに、「当時の科学の匂い」と無造作に書きましたが、それは一体どんな匂いなのでしょう?個人的には「理科室の匂い」です。薬品の匂いと、標本の匂いと、暗幕の匂いが混ざった不思議な匂い。

でも、それだけではありません。そこには「威信の匂い」や「偉さの匂い」も同時に濃く漂っています。この“科学の偉さ”という話題は、おそらく「科学の社会学」で取り扱われるべきテーマでしょうけれど、何にせよ当時の科学(と科学者)は、今よりも格段に偉い存在でした。本当に偉いかどうかはともかく、少なくとも世間は偉いと信じていた…という点が重要です。

「偉い」というと、何だかふんぞり返ったイメージですが、むしろ光り輝いていたというか、憧れを誘う存在でした。その憧れこそ、多くの理科少年を生む誘因となったので、当時の少年がこの写真集を手にすると、一種の「望郷の念」を覚えると思います。いわば魂の故郷ですね。そう、これはある種の人にとって、「懐かしいふるさとの写真集」なのでした(…と思っていただける方がいれば、その方は同志です)。

(この項つづく)

科学の目…科学写真帳(後編)2020年12月20日 08時52分28秒

ミクロの世界ばかりではなく、科学の目はマクロの世界にも向けられます。


上はウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡で撮影したオリオン座の馬頭星雲


こちらはパロマー山天文台の200インチ望遠鏡が捉えた「かに星雲」。左は赤外線、右は深紅色の帯域(crimson light)で撮影されました。波長によって対象の見え方が劇的に変わる例です。

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いずれも天文ファンにはおなじみのイメージであり、依然として興味深い天体だとは思いますが、宇宙的スケールでいうと、ずいぶん「ご近所」の天体を選んだものだなあ…という気もします。「天体、遠きがゆえに貴からず」とはいえ、この辺のチョイスは、60年余りの時を隔てた宇宙イメージの変遷を如実に物語ります。

今、もし同様の企画が立てられたら、写真の選択は随分変わるでしょう。
地球周回軌道上の宇宙望遠鏡の登場、補償光学の発展、デジタル撮像と画像処理技術の進歩によって、我々の宇宙イメージは劇的に変わったからです。天界のスペクタクルは一気に増えましたし、宇宙を見通す力は100億光年のさらに先に及び、超銀河団からグレートウォールの構造まで認識するに至りました。

科学の進歩は実に大したものです。
とはいえ、この静謐なモノクロ写真は、最新の科学映像とはまた別の美と味わいを感じさせます。そこに優劣はないのでしょう。

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ついでなので、本書に収められた写真の細部も見ておきます。


この写真集は、写真原版をハーフトーン(網点)で製版しています。


各図版の周辺には印刷時の圧痕がくっきりと見られます。圧をかけたということは凹版印刷を意味し、しかもこれだけ痕が残るのは、相当プレスした証拠です。要は、通常の印刷とは異なる一種の美術印刷なのだと思いますが、背景の黒のマットな仕上がりが美しく、いかにもアートなムードが漂います。

冬至2020年12月21日 06時51分31秒


(地球の年周運動と四季の図。A. Keith Johnston(著)『School Atlas of Astronomy』1855より)

今日は冬至
24時間太陽の姿が見えない「黒夜」エリアが極大となり、北極圏全体を覆う日です。


上は既出かもしれませんが、アラスカ中部の町・フェアバンクスを写した1940年代頃の絵葉書。撮影日はちょうど12月21日です。フェアバンクスは北緯65度で、北極圏からちょっと外れているおかげで、冬至でもわずかに太陽が顔をのぞかせています。とはいえ、何とはかなげな太陽でしょうか。

上の写真は、20分ごとにシャッターを開けて、太陽の位置を記録しています。左端が午前10時45分で日の出の直後、右端が午後1時15分で日没直前の太陽です。昼間はこれで全部。あとの20時間以上、同地の人は長い夜を過ごすことになります。

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程度の差こそあれ、日本でも事情は同じです。
冬至の日は太陽高度が最も低く、日の出から日没まで、太陽が地平線にいちばん近いカーブを描く日です。

言い換えれば、真昼の影がいちばん長い日でもあります。
冬至の正午、身長160cmの人は背丈よりずっと長い256cmの影を引きずっている計算で、太陽の低さが実感されます(他方、夏至ともなれば頭上からぎらつく太陽で、その影はわずかに34cmです)。

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この事実は昔の人も注目していて、基準となる棒を地面に立てて、その影の長さを測ることで季節の変化を知り、時の推移を知った…というところから、日時計も生まれたと言います。この棒を古来「表(ひょう)」または「土圭(とけい)」と呼びました。

考えてみると、「時計」という言葉は、音読みすれば「じけい」となるはずで、「とけい」だと「重箱よみ」になってしまいます(正確には「湯桶(ゆとう)よみ」かも)。でも、「時計」という字は、もともと「土圭」の当て字らしく、身近なところにも、いろいろ古代の天文学の名残はあるものです。

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ちょっと視点を変えれば、南半球では今日が夏至。
そして南極圏では、太陽の沈まぬ白夜が広がっています。

(上図拡大)

日時計を学ぶ2020年12月23日 06時32分56秒

棒の影の動きを見れば、時の流れが分かり、
影の長さの変化を見れば、季節の推移が知れる。
この棒こそ、間違いなく最初の天体観測器具でしょう。

影の動きとは、要するに太陽の動きです。
太陽が南中すれば「お昼だなあ」と思うし、日が傾けば「今日も一日が終わった」と思う。太陽こそが天然の時計であり、それを知る補助具が、地面に突き立てた一本の棒です。この棒が徐々に洗練されて、後世さまざまな日時計が生まれました。

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…と何の疑問もなく思い込んでいましたが、安野光雅さんは「ちがう」と言います。「太陽が時計なのではない。――地球こそが時計なのだ」と。

言われてみれば確かにその通りで、機械のように精密に回転しているのは地球の方で、太陽はじっとそこにあるだけです。日時計とは、太陽を目印に地球の回転を読み取る、「地球時計」に他ならないのでした。これも視点を変えることの大切さを物語ります。ささやかなエウレカですね。


上のことを教えてくれたのは、安野氏の『地球は日時計』という絵本です。
福音館の「月刊たくさんのふしぎ」シリーズの1985年11月号として出たもので、正確にいうと、これは「本」ではなく「雑誌」です。


この「たくさんのふしぎ」シリーズは、のちにハードカバーの単行本として再刊されるのが普通ですが、この作品が単行本化されることはありませんでした。あの安野光雅氏の秀作がなぜ?と思いますが、それは本書が紙とハサミと糊を必要とする「工作絵本」だったからでしょう(…と想像します)。


安野氏は、北極点に立つ棒の影を想像させるところから始め、中緯度地帯や赤道ではどうすれば良いかを問い、実際に手を動かすことで、日時計(地球時計!)の仕組みを子供たちに会得させます。

手のひらに乗るちっぽけな日時計から、巨大な地球の自転と公転、そして地軸の傾きまでも、ありありと想像させるところが、この本の妙味です。とはいえ、ハードカバーの立派な本をチョキチョキするのは、作り手側も、読み手側も、少なからず抵抗感があったのでしょう。

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この本の単行本化は、翌1986年にイギリスで実現しました。

(『The Earth is a Sundial』、The Bodley Head (London) 刊)

それは「工作絵本」ではなく、最初からすべて組み立て済みの「仕掛け絵本」とすることによって可能となりました。これは大変手間とコストのかかる方法であり、そのため印刷と製本はシンガポールに外注しています。



原著の『地球は日時計』は、今では手に入れにくい本になってしまっています。
でも、イギリスで出たものが日本で出ないはずはないので、遅ればせながら、これはぜひ日本語版が出て欲しいですね。



月の流れ星2020年12月27日 09時59分00秒

差し渡し2.5cmほどの小さな月のピンバッジ。


不思議なデザインです。月が尾を曳いて翔ぶなんて。
まあ、デザインした人はあまり深く考えず、漠然と夜空をイメージして、月と流星を合体させただけかもしれません。

でも、次のような絵を見ると、またちょっと見方が変わります。

(ジャン=ピエール・ヴェルデ(著)『天文不思議集』(創元社、1992)より)

邦訳の巻末注によると、「天空現象の眺め。ヘナン・コレクション。パリ国立図書館」とあって、たぶん16世紀頃の本の挿絵だと思います。

キャプションには、「月が火星の前を通過することがあるが、この現象を昔の人が見て解釈すると上の絵のようになる。火星は赤い星で戦争の神である。月は炎を吹き出し、炎の先にはするどい槍が出ている。」とあります。


月の横顔と炎の位置関係は逆ですが、このピンバッジにも立派な「槍」が生えていますし、何だか剣呑ですね。

【12月28日付記】
この「炎に包まれた槍」を、火星のシンボライズと見たのは、本の著者の勘違いらしく、その正体は、流れ星の親玉である火球であり、それを目撃したのはあのノストラダムスだ…という事実を、コメント欄で「パリの暇人」さんにお教えいただきました。ここに訂正をしておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。

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月による火星の掩蔽(火星食)は、割と頻繁に起こっていて、国立天文台の惑星食のページ【LINK】から最近の火星食を抜き出すと、以下の通りです。

2019年07月04日 火星食 白昼の現象 関東以西で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える

“頻繁”とはいえ、昼間だとそもそも火星は目に見えませんから、月がその前をよぎったことも分かりません。好条件で観測できるのはやっぱり相当稀な現象で、古人の目を引いたのでしょう。


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【閑語】

幕末の日本ではコレラが大流行して、大勢の人が亡くなりました。
庶人これを「コロリ」と称し、時代が明治となってからも、コロリはたびたび猛威を振るい、それらを「一コロリ」とか「三コロリ」と唱えたものだそうです。
今の世も一コロナ、二コロナ、三コロナと、新型コロナは三度の流行を繰り返し、人々の心に暗い影を落としています。

大地震があり、流行り病があり、攘夷を叫ぶ輩が横行し、士道退廃が極まり…本当に今は幕末の世を見る心地がします。これでスカイツリーのてっぺんから伊勢の御札が降ってきたら、ええじゃないかの狂騒が始まるのでは…と思ったりしますが、昔と今とで違うのは、暗い時代になっても宗教的なものが流行らないことです。その代わりに陰謀論が大流行りで、多分それが宗教の代替物になっているのでしょう。

死と再生…年の瀬雑感2020年12月28日 21時17分46秒

今日は仕事納め。少し仕事を早上がりして、年末の用事を済ませてから、久しぶりに名古屋・伏見の antique Salon さんのドアをくぐりました。

午後のひと時、店主の市さんにコーヒーをご馳走になり、あれこれ四方山話をしながらも、いろいろ物想うことが多かったです。市さんが語る、業界の世態人情に関わるもろもろの話も興味深かったですし、このお店ばかりは、師走の風も、コロナの風も無縁に見えて、やっぱりその影響は及んでいるらしく、特に海外への買い付けが全くできないのが困ると、市さんは渋い顔でした。

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「玉青さん、最近手に入れて嬉しかった物はありますか?」
「今これが欲しいなあとか、これはぜひ手に入れたいと思う物は?」

突然そう聞かれて、いずれも即答できなかった自分に少しく驚きました。
市さんは特に深い意図なく、世間話の延長で聞かれたのだと思いますが、私にとってはかなりドキッとする問いで、帰り道もその言葉をずっと反芻していました。

私の蒐集行為が、最近どうもピリッとしないのは、結局この点に尽きるのでしょう。
もちろん、ちょっといいなと思う品や、こんど小金を手に入れたら、きっとこれを買おうと思っている品は、いくつかあるのですが、身を焦がすほどに憧れる対象が、最近どうも無いなあ…と、改めて自覚されたのでした。

これは私が「得るべき程のものは得つ」という境地に達したからなのか、あるいは寄る年波で物欲が衰えたせいなのか、はたまた世間の沈滞ムードが知らず知らずのうちに私にも伝染したからなのか…?

答はにわかに出ませんが、ひそかに煩悶を抱きつつ、antique Salon さんで買わせていただいた物がひとつあります。


薄青の小さな擬卵。
卵は言うまでもなく復活のシンボルであり、この私自身の似姿(=玉青)に、自分自身の再生の祈りをこめた…というのは、つまらない自己満足に過ぎませんが、明くる年への期待を込めて、今年の買い納めにはふさわしい品だ…と、自分では思っています。

天文古書に見る不易流行…19世紀から20世紀へ2020年12月30日 07時46分45秒

久しぶりにちゃんとした天文古書の話題。

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アレクサンダー・キース・ジョンストン(Alexander Keith Johnston、1804–1871)という、エジンバラ生まれの地図製作者がいます。Wikipediaによる解説は以下。


彼は若いころ彫版技術を学んだ一方、経営の才にも恵まれ、兄のWilliamと地図専門の「W. and A. K. Johnston」社を起こすと、子供向けから一般向けまで多種多様な地図帳を発行し、19世紀のイギリスを代表する地図メーカーとして、同社は大いに繁盛しました(企業体としてのジョンストン社は、1960年代まで存続したそうです→LINK)。

天文学者のジョン・ラッセル・ハインド(1823-1895)の監修を仰ぎつつ、ジョンストンが自分名義で出したのが、先日冬至の話題のときにチラッと顔を出した以下の本です。

■A. Keith Johnston(著)
 『A School Atlas of Astronomy』(『天文学習帳』と仮に訳しておきます)
 William Blackwood & sons(Edinburgh)、1855

(画像再掲)

この図を見て、パッとお分かりになった方もいると思いますが、あれは天文古書の世界ではメジャーな以下の本にも登場する図です。

■Thomas Heath(著)
 『The Twentieth Century Atlas of Popular Astronomy』
 (同じく仮訳 『20世紀天文百科』)
 W. and A. K. Johnston(Edinburgh)、1903

最初は老舗のブラックウッド社に販売を任せていたのを、後に自社の出版物とし、さらに時代の変化に応えるため、新たにエジンバラ天文台にいたトーマス・ヒース(1850-1926)を著者に立てて(というか、ジョンストンは既に30年近く前に亡くなっています)、出版したのが、後者の『20世紀天文百科』です。

(左:『天文学習帳』、右:『20世紀天文百科(第3版、1922)』)

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元々同じ本なので当たり前ですが、両者の中身はよく似ています。70年の時を超えて、まったく同じ版を使った、まったく同じ図が何枚も含まれているのですから、その本としての寿命の長さに驚きます。でも、さすがに何から何まで同じとはいきません。

たとえば惑星の図。

(1855年)

(1922年)

確かに似ている。けれども違う…。観測技術の進歩で、惑星表面の描写がより精細になっています。こんな風に2冊の本を左右に並べて、同時にめくっていくと、この間の天文学の変遷が、まるでステレオグラムのように「時間立体視」できる面白さがあります。

でも、火星なんかはどうでしょうね。

(1855年)

(1922年)

最新の観測成果として「運河」が登場していますが、さらに100年経った現代の目で見ると、むしろ1855年の『天文学習帳』の方がリアルに感じられます。学問の進歩も直線的には進まず、いろいろ回り道をしながら進むことも同時に実感されます。

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あるいは下の図はどうでしょう。

(1855年)

(1922年)

これなんかは同じ図と言ってもいいですが、左上を見ると、地球の公転運動によって、観測する季節に応じて恒星の位置がずれて見える「光行差(こうこうさ)」の説明図が差し変わっています。


さすがに20世紀にはそぐわない図だったのでしょう。
でも、光行差の現象も、その原理も不変だし、この説明図の妥当性もゆるがないのに、単に風俗が変わっただけで差し替えるというのも、考えてみれば可笑しな話です。

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星の世界は変わらねど、人の世は絶えず移り変わっていきます。
裏返せば、人の世は変われども、星の世界は変わらない。

まあ、星の世界も長い目で見れば、結構な勢いで変わっていますし、人間のうちにも億年単位で変わらない要素があるとは思いますが、ヒューマンスケールでいえば、やっぱり星の世界は不変といっていいでしょう。

まもなく新旧の年が交錯します。
広大な星の世界を思い浮かべながら、変わるものと、変わらざるものに思いを凝らすことにします。

名碗披露2020年12月31日 15時19分07秒

雪が霏々として降る静かな大晦日です。

茶道の茶会に招かれると、茶を一服喫した後で「お道具拝見」となり、亭主自慢の碗やら掛物やらを感心した面持ちで眺め、箱書きとともにその由来を聞かされる…ということになるらしいです。茶会に招かれたことがないので、しかとは分かりませんが。

かく言う私も、このたび世にも稀なる名碗を手に入れたので、大いに自慢に及ぼうと思います。ただし、これはお茶を飲むお碗じゃありません。星を眺めるためのお碗です。

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今年の5月ごろ、戦後日本の星座早見盤について集中的に記事を書いていました。
資料が乏しい中、その中で渡辺教具製の「お椀型早見盤」についても、分かっていることを書きました(※)


同社のお椀型早見盤は、バージョンアップを繰り返しながら、少しずつ進化してきましたが、以前の記事で書いたように、そこには大きく7つの段階があって、その絶対年代は以下の通りと推測しています。

渡辺教具製 星座早見盤編年表 2020.06.17版】
〇第1期 1955年頃?~1960年前後?(始期・終期とも曖昧)
〇第2期 1960年前後?~1962年頃(始期は曖昧)
〇第3期 1962年頃~1975年頃
〇第4期 1975年頃~1980年
〇第5期 1980年~2000年
〇第6期 2000年~? 
〇第7期 ?~現在
※第6期と第7期は、現在両方とも市場に並んでいて、正確な交代時期は不明。

(※)細かいことを言うと、木でこしらえたのが「椀」、焼き物が「碗」で、さらに金属製の「わん」には「鋺」という別の字があります。渡辺教具さんのは厳密には「お鋺」でしょうが、面倒なので以下「お椀」で統一します。

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私が今回見つけたのは、幻の「第1期」のお椀です。


まだ特許取得前、そして同社が株式会社に改組する前の製品です。
しかもですね、このお椀には箱と箱書きが付属するのです。


この箱は、非常に珍しいです。世に二つとない…とまでは言いませんが、少なくとも私は初めて見ました。この箱はいずれ崩壊しそうなので、資料的意味合いから、詳細をここに載せておきます。


「星座早見盤」のレタリングが懐かしい。


問題の裏面の解説はこうなっています(文字が読み取れるよう、大きなサイズで画像をアップしました)。「本星座盤の特色」として、「ほんとうに大空をあをいているような感じを与えること。」「とても見やすく、楽しいこと。」と書かれています。ああ、しみじみ良いですね。何にせよ、楽しいことは大事です。

ただし、この箱書きをもってしても、正確な製造年は依然不明です。この紙質、文字遣い・言葉遣いの雰囲気から、1950年代前半(昭和20年代後半)に遡らせても良いように思うのですが、どんなものでしょうか。

それ以外の細部も見ておきます。


「冠」「蛇つかい」「牛かい」…。星座表記に漢字が入るのが古風です。


「南の魚」の「魚」の字がいいですね。「いんどん」は「いんど人」の間違いで、今の「インディアン座」のことですが、この辺も大らかといえば大らか。


以前気になった裏面はこんな感じ。解説の文字はやっぱり一切ありません。
この品が古物商の手に渡ったということは、取りも直さず、永井くん・永井さんも既に鬼籍に入られたか…。

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ちょっと先回りして、12月31日から1月1日へと日付が変わる深夜0時に目盛りを合わせてみます。


星の配置は、まだ戦争の記憶が濃かったあの時代と何も変わりません。
人の世は変われども、星の世界は変わらぬもの哉―。
天をつらぬく棒のごとき銀河を眺めながら、明年もどうぞよろしくお願いいたします。