牛の放たるるを待つ2021年01月01日 08時20分52秒

新年明けましておめでとうございます。

昨年はコロナで始まり、コロナで終わりました。
今年もこうしてコロナで幕を開けましたが、状況は一層シビアです。
年明けの挨拶がコロナという時点で、どう考えても異常な状況なんですが、こんな風に毎日やすりで神経をこすられ続けていると、異常さに対する感覚が鈍磨して、我ながら危うい気がしています。

これをお読みの方で、個人的に年賀状をお送りした方もいらっしゃいますが、今年の年賀状のデザインをここに載せて、皆々様へのご挨拶とさせていただきます。


私の心情は、上の文面に尽きています。とにもかくにも平穏な世界の回復を祈ります。
御家内ともども、皆様どうぞご壮健で、どうか幸多き年となりますように!

天にウシを掘る2021年01月02日 11時05分43秒

ウシと天文といえば、おうし座のことがすぐ連想されますが、ここではちょっと視点を変えて、『銀河鉄道の夜』の世界に目を向けてみます。

(小林敏也(画)、パロル舎版 『銀河鉄道の夜』より)

 「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
 「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿でやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」 
(『銀河鉄道の夜』、「七、北十字とプリオシン海岸」より)

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鮮新世(Pliocene)を意味する「プリオシン海岸」のモデルは、賢治がたわむれに「イギリス海岸」と呼んだ、花巻郊外を流れる北上川の河岸というのが定説です。賢治はここでウシの足跡の化石を発見したことがあり、その足跡の主を、作中の大学士に「ボス」と呼ばせているわけです。

ボス(Bos)は「ウシ科ウシ属」のラテン名で、ここには複数の種が含まれます。現在、飼育されている家畜牛も当然そこに含まれます。ウシ属の中で特に「牛の先祖」と呼ばれているのは、ボス・プリミゲニウス(Bos primigenius)のことで、これはあらゆる家畜牛の祖先種に当たり、「原牛」とも呼ばれます。

ただし、賢治が発見した足跡の主は、ウシはウシでも、ボスとは別系統の「ハナイズミモリウシ」だと判明しています。では、岩手にボス・プリミゲニウスがいなかったかといえば、やっぱりいたらしい…というのがややこしいところで、ここで少し話を整理しておきます。

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黒澤弥悦氏(奥州市牛の博物館)の「モノが語る牛と人間の文化(2)岩手の牛たち」を拝読すると、大要以下のことが書かれています。

○1927年5月、岩手県南部の花泉村(現・一関市)でおびただしい数の獣骨が出土し、そこには2種類のウシの化石骨が含まれていた。
○1つは、現在ヨーロッパやアメリカにいる野牛(バイソン)に近い種類のハナイズミモリウシ(Leptobison hanaizumiensis)で、今から2万年程前の第四紀更新世後期の氷河期を生きた野牛である。
○もう一つは原牛(Bos primigenius)である。原牛は家畜牛の祖先種で、英名オーロックスの名で呼ばれることも多い。花泉で見つかった原牛も「岩手のオーロックス」と呼ばれたことがある。
○岩手のオーロックスとハナイズミモリウシは共に旧石器人の狩猟の対象とされ、また生息地の環境の変化などによって絶滅したと考えられる。

賢治がイギリス海岸で足跡の化石を見つけた1922年には、まだハナイズミモリウシが種として認知されていなかったので、賢治が自分の業績をハナイズミモリウシと結び付けて考えることは不可能でした。だからこそ、賢治はそれを「牛の先祖、すなわちボス」と書いたわけです。それ自体は誤認ですが、でも太古の岩手にはボスも暮らしていたので、トータルすれば、そう間違っているわけではありません。

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さて、ここまで書いて、ようやく毎年恒例の「骨」の写真を掲げることができます。


ネズミからウシへのバトンタッチ。
ウシの方はドイツのベンスハイムで発掘された、ボス・プリミゲニウスの後肢化石骨。年代は後期更新世・ヴュルム氷期(約10万〜7万年前)という説明を受けました。

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それにしても、誰かも書いていましたが、空の上の銀河のほとりで化石を掘るというのは、途方もなく不思議な発想ですね。空の地面はどこにあって、大学士たちは一体どっちの方向に向かって掘り進めているのか?

でも、つねに変わらぬ恒星世界にも、太古の存在があり、天界の住人たちも進化を続けている…というのは、たぶん当時ホットな、と同時に謎めいた話題であった「恒星進化論」を連想させます。ひょっとしたら、賢治の頭の隅にも、そのことがあったかもしれません。そして、その先には銀河系の進化や、宇宙そのものの進化の話題が続き、我々は今も天の化石探しを続けているのだ…とも言えます。

アストロラーベの素性を知る2021年01月03日 12時19分54秒

世の中はますます大変な状況になってきましたが、強いて記事を書きます。今日は過去記事の蒸し返しです。

2017年に「第5回 博物蒐集家の応接間」が神保町で開催されたとき、雰囲気作りのお手伝いとして、アストロラーベのレプリカを飾らせていただいたことがあります。

空の旅(4)…オリエントの石板とアストロラーベ


そのときは、このレプリカの素性がよく分かってなかったのですが、先日ふとその正体というか、そのオリジナルの存在を知りました。これまで何度か言及したツイッターアカウントHistrory of Astronomy(@Histro)さんが、3年前にそれを取り上げているのに気づいたからです(LINK)。

ツイ主のサリダキス氏に導かれてたどりついたのは、シカゴのアドラー・プラネタリウム。その世界有数のアストロラーベ・コレクションの中に、件のオリジナルは含まれていました。

(アドラー・コレクションのページより https://tinyurl.com/ydfk24vf

所蔵IDは「L-100」、その故郷はパキスタンのラホールで、作られたのは17世紀と推定されています。当時はムガル帝国の最盛期で、ラホールは帝国の首都として華やぎ、壮麗なモスクや廟が次々と建てられていた時期に当たります。このアストロラーベも、そうした国力伸長を背景に生まれた品なのでしょう。

手元の品は、デザインも寸法もオリジナルとピッタリ同じ。彫りが浅いのと、おそらく真鍮成分の違いで、あまり金ピカしていませんが、構造を見る限り、正真正銘の精巧なレプリカです。


細部に目を凝らしても、本当によく作ったなあ…と感心する仕上がりです。
以前も書いたように、これは「レプリカ」と明示して販売されていたので、贋作ではありませんが、目の利かない人に見せたら、あるいはだまされてしまう人も出てくるかもしれません。


インドのどこかには、今もこういう品をこしらえる工房があって、職人の手元を離れた品々は、ときに真っ当なレプリカとして、ときに後ろ暗い贋作として、今も世界中のマーケットを渡り歩いているのではないか…と想像します。

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他の人からすれば、どうでもいいことでしょうが、持ち主としてはこうして正体が分かったことで、ちょっとホッとしました。


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【閑語】

感染症の中でも特に「伝染病」と呼ばれるタイプのものは、ヒトが媒介して拡大するので、その増減を決定する最大の要因は、人と人との接触頻度です。

裏返せば「大規模な流行のあるところ、人の盛んな交流あり」。中世のペスト大流行も、モンゴル帝国の成立によって、東西交易が活発化したことの反映だと、ウィキペディアの「ペストの歴史」に書いてあって、なるほどと思いました。今のコロナの世界的流行も、構図はまったく同じですね。

だからこそ、接触頻度を下げるためにロックダウンしろと、識者は盛んに述べるわけです。もちろん、一方には「経済を殺すな」という人もいます。まあ、ロックダウンにも強弱・濃淡はありうるので、どこまで経済(平たく言えば商売)の回転数を下げるかは思案のしどころですが、ネット社会が到来しても、経済活動が人間同士の直接接触なしでは行えないという意味で、2021年の社会も、前近代と何ら変わらないという事実を、今さらながら噛み締めています。

仮に将来、直接接触なしでも経済が回る世の中になったら、感染症の様相は大きく変わるでしょうが、でもそれが良い世の中と言えるのかどうか。そうなったらなったで、今度は「孤」の問題が、感染症以上に人々を苦しめるかもしれません。

特に結論のない話ですが、こういう時期だからこそ、いろいろ考えておきたいです。

小さなアストロラーベ2021年01月08日 13時23分49秒

冷え込みのきつい日。今日は一日巣ごもりです。

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世界は広いですから、アストロラーベを個人でコレクションしている人も、きっといるでしょう。まあ、それができるのは、間違いなく大富豪ですね。

私も含め、多くの人は大富豪でも小富豪でもありませんから、アストロラーベに惹かれても、レプリカで満足するしかありません。そして同じレプリカなら、できるだけ気の利いたものを手に入れたいと思うのが人情です。その点、前回のアストロラーベはなかなか気が利いていました。

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下のレプリカも、なかなか良くできています。


良くできているというのは、取りも直さず、細工が細かく正確であるということです。


直径53ミリという、ごく小さな懐中アストロラーベですが、その目盛りは極めて正確で、各パーツもしっくり滑らかに回転する点に、作り手の本気具合が現れています。

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この品も、きっと歴史的なモデルがあると思いますが、残念ながらその点は未詳。
ただ、その出所・由来は分かっています。これを譲ってくれたのは日本の方で、その方は、パリの老舗百貨店で購入されたそうです。改めてその方の話に耳を傾けてみます(商品説明文の一節です)。

 「12年前にパリのギャラリー・ラファイエット・デパートで購入した物だと思います。購入当時、説明書と証明書のような物をもらった記憶がありますが、残念ながら紛失してしまいありません。購入当時、10年ぐらい前に製作された骨董のレプリカだと説明を受けた記憶があります。製作されたのは今から22年前ぐらいだと思います。」

私がこれを購入したのは8年前です。8年前の22年前ですから、今からちょうど30年ぐらい前に、フランスで作られたレプリカのようです。

 「真鍮と説明を受けた記憶もありますが曖昧です。購入金額は当時の日本円で87,000円ぐらいでした。騙されていたのかもわかりませんが、綺麗だと思っただけで買ったので、商品について良くわかっておりません。」

正直な書きぶりからも、おそらくこれは事実そのままなのでしょう。
それにしても「綺麗だな…」の印象だけで、ポンと87,000円はずまれたのというのは、それだけ時代に余裕があった証拠です。(私はそれよりもはるかに低価格で譲っていただいたので、ちょっと申し訳ない気もしますが、庶民にとって安さは美徳です。)

この品が前回のものに優っている点があるとすれば、その「綺麗」な色合いがそれで、このまばゆい金色は、古いアストロラーベを彷彿とさせます。これはおそらく銅の比率が高い「ゴールドブラス(丹銅)」を使っているためで、銅の比率が高いと金属加工が難しくなるそうですから、その意味でも、これは手間が掛かっています。


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巣ごもりの巣から、外の世界に目を向けると、日本もアメリカも、無惨な政治があらわです。ただ、それを無惨なものとして、現に多くの人が指弾しているのは心強いことです。考えてみれば、まともなものが「地」になっているからこそ、異常なものが「図」として目立つわけで、このところ異常なものが目立つのは、世の中がまともさを取り戻しつつある証拠かもしれません。

雪降り積もる2021年01月09日 14時20分25秒

子供の頃、日本海側の雪はとにかくスゴいんだ…と聞かされていました。
日本海側は「裏日本」と呼ばれ、冬ともなれば人々は絶えず雪と格闘し、山あいに行けば、雪ん子みたいな藁帽子や藁沓、かんじきを身に着けた人が暮らしている…というのは実体験ではなしに、そういう映像を目にしただけですが、何となくそんなイメージでした。

そういうことが刷り込まれているので、近年の「冬でも雪のない新潟市内の映像」なんかを見ると、いまだに違和感を覚えます。それでも、今年は「年越し寒波」の影響で、雪国の人はやっぱり難儀していると聞きます。

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私の子ども時代を跳び越えて、さらにそれ以前に遡るとどうか?
手元に「北陸地方最深積雪図」というのがあります。

(全寸は約54×78cm。紙の向きと印刷の向きがずれていますが、地図の面積を最大化するための工夫でしょうか。)

昭和7年(1932)に、富山県伏木測候所が発行したものです。

(旧・伏木測候所。現在の高岡市伏木気象資料館。ウィキペディアより)


カタカナをひらがなにし、句読点を補ってみます。

 「本図は北陸信越の四県下並に岐阜長野二県の一部に亘る区域の最深積雪を図示したるものなり。本図の調製に当り、資料蒐集に援助を賜りたる長野保線事務所、金沢保線事務所、敦賀運輸事務所、日本電力黒部出張所及松本、長野、福井、高山、高田、新潟の各測候所の好意を深謝す。」

詳しい発行経緯は不明ですが、地元の測候所として、一度きちんとデータをまとめておきたいと考えたのでしょう。アメダスのない時代ですから、鉄道や発電所など、普段から克雪に取り組んでいる機関の協力も得て、とにもかくにも1枚の図にまとめた労作です。



凡例を見ると、単位は「粍(ミリ)」ではなくて、「糎(センチ)」。つまり、いちばん雪が少ない地域が、いきなり「1~2m」から始まっていて、以下「2~3m」「3~5m」「5~8m」「8~10m」と続き、最後は「10m以上」です。

もちろん、「最深積雪」ですから、常時こんなに積もったわけではないでしょうが、それにしても容易ならぬ雪です。そして地元の富山は全域が、また石川・新潟の2県も、大半が色塗りされた豪雪地帯です。


要部を大きな画像で載せておきます。
高い山々を結ぶように10m以上の積雪エリアが広がり、鉄道が走る人里でも、3mや5mというところはザラで、まさに江戸時代の『北越雪譜』の世界もかくやと思わせます。

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ひるがえって、アメダスで見る今日の積雪状況。


積雪が100cm、150cm、中には2mを超えるところもあって、やはり今年は雪が多いなと思いますが、昭和戦前のことを考えると、当時の人がどんな気持ちで毎年冬を迎えたのか、それほど昔のことではないのに、その心情がもはや見えにくくなっていることに気づきます。

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純白の雪が見せる、ときに非情な一面。
雪で苦しんだ人々には周知のことでしょうが、この1枚の図はそれを教えてくれます。

天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー2021年01月10日 11時10分41秒

自分が今いる部屋は本に囲まれているので、落ち着くと言えば落ち着きます。
でも、狭いといえばこの上なく狭いし、現状がベストなわけでは全然ありません。

よく骨董の目利きになるには、“とにかくホンモノを見ろ、本当に良いものを見ろ”と言いますね。この小さな部屋を、より味わい深いものにしようと思ったら、世界の優れたライブラリーを眺めて目を肥やすに限る…というわけで、ちょっと覗き見をしてみます。

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エジンバラ王立天文台に付属する「クロウフォード・ライブラリー」
この世界有数の天文貴重書コレクションの概要は、以下のページに書かれています。

■The Crawford collection at the Royal Observatory Edinburgh
かいつまんで言うと、その名称はスコットランド貴族で「第26代クロウフォード伯爵」を名乗ったジェイムズ・ルドヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)に由来し、アマチュア天文家であり、愛書家でもあったリンゼイが、自分の個人コレクション(総数11,000冊)を生前に寄贈して成立したものです。

上のページからは、さらにグーグルのストリートビューにリンクが張られていて、内部の様子を360度見渡すことができます。

https://tinyurl.com/y498qvh5 リンク先に飛び、左上の本の画像をクリック。撮影はLeonardo Gandini 氏)

このライブラリーには、天文学史の古典――コペルニクスの『天球の回転について』とか、ケプラーやガリレオの諸著作――が、大抵初版で収まっていて、さらにリンゼイの興味はコペルニクス以前の世界にまで広がり、中世の彩色写本などもコレクションに含まれています。

(上の画像に続いて Leonardo Gandini氏の写真を寸借。以下も同じ)


ここに写っているのは、彼の11,000冊のコレクションの中でも、さらに貴重書を選りすぐった一室ではないかと想像しますが、まことに壮観です。


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まあ、財力のしからしむるところで、クロウフォード・ライブラリーを直接お手本にすることもできませんし、リンゼイの目指したものが私のそれと同じという保証もありません。

でも、北極点踏破を目指さなくても、北極星を目指して歩けば、北の町にあやまたず到達できるし、真北を目指さない人にとっても、北極星はナビゲーションツールとして依然有効です。

それに先達はあらまほしいもの…というのは、クロウフォード・ライブラリー自身が、身を以て教えてくれています。リンゼイの場合は、ロシアのプルコヴォ天文台付属図書館という当時最高のお手本があり、台長のオットー・ストルーヴェから直接指南を受けられたことが、その成立にあずかって大きな力があったと、上のリンク先には書かれています。

ちなみに、その「大先達」であるプルコヴォの蔵書。こちらはドイツ軍の猛攻が続いた第2次大戦中も疎開して無事だったのに、1997年の放火火災で大半が焼失・損耗してしまった…と、英語版Wikipedia「Pulkovo Observatoy」の項に書かれていました。やんぬるかな。まあ、こんなふうにコレクションの諸行無常ぶりを教えてくれるのも、大先達の「徳」なのでしょう。

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現在のクロウフォード・ライブラリーに、強いてケチをつけるとしたら、部屋がいかにも「普通の部屋」であることです。空調も効くでしょうし、その方が本の管理もしやすいのでしょうが、もうちょっと重厚感があると、なお良かったかな…と、これは個人的感想です。

(例えばこんな雰囲気。オックスフォードのボドリアン図書館。出典:De Laubier他、『The Most Beautiful in the World』、Abrams、2003)

古典とワクワク2021年01月11日 22時52分25秒

コロナ禍もすでに1年余りが経過し、これからは「去年の今頃は何があったかな?」と振り返るのが日課になりそうです。ちなみに去年の1月11日は、中国で<原因不明の肺炎>による初の死者が出た、と報じられた日でした。

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それを思うとずいぶん昔のことですが、今から7~8年前の新聞で、興味深い記事を読みました。ユタ州の地方紙「ソルトレイク・トリビューン」の2013年2月21日号に掲載されたものです(記者はSheena McFarland氏)。


Old book collection a thrill for astronomy enthusiasts
 ― University of Utah's J. Willard Marriott Library featured original editions of books that laid the foundation for astrophysics.

見出しは、「古書の山に天文ファン興奮――ユタ大学のウィラード・マリオット図書館が、宇宙物理学の基礎を築いた書物を原書で公開」といった意味合いでしょう。

地元出身の富豪、ウィラード・マリオット氏(日本にも進出しているマリオット・ホテルグループの創始者らしいです)の寄贈によってできた、ユタ大学の専門図書館が、天文学の古典を公開し、地元のアマチュア天文家が、それに興奮して見入った…というのが記事のあらましです。

私が興味を覚えたのは、私の知るアマチュア天文家は、普通そういうものに関心を示さないイメージがあったからです。大抵の天文ファンは、望遠鏡で星を眺めるのは好きでも、昔の天文学の歴史には興味が薄いし、たまさか歴史に興味を持つ人がいても、古書そのものには関心を持たない…というイメージがありました。でも、実はそうでもないのかなと、この記事を読んで考え直しました。

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図書館に並んだのは、たとえばニュートンの『プリンキピア』の初版(1687)です。
以下、記事を部分訳してみます(かなり適当訳です)。

 「天文家にとって『プリンキピア』はバイブルなんです」と、パトリック・ウィギンズは言った。彼はスタンズベリーパークの住人で、ソルトレイク天文協会会員を中心とする一行15人のツアーを企画したアマチュア天文家だ。「これは実に感動的な経験です」と、本を手にしながら彼は述べた。

 展示されている本の年代は、最も古い西暦800年代から、1900年代初頭のアインシュタインの著作にまで及ぶ。39冊の本の大部分が初版本で、オリジナルの装丁のまま、何百年も経た今でも完全な状態で読むことができる。

ここに並ぶのは、ほかにジョバンニ・パオロ・ガルッチの星図集『世界劇場』(スペイン語版、1607)とか、アンドレアス・セラリウスの美麗な『大宇宙の調和』(1661)とか、ガリレオの『天文対話』(1632)などで、いずれも貴重な歴史の証人です(なお、上でいう「西暦800年代」の本は原書ではなく、複製本のようです)。

 一行のうちの2人、トゥーイル在住のテラとスティーブのペイ夫妻は、ウィギンズから「関心があればぜひ」とメールで誘われて参加した。スティーブは言う。「歴史上、科学思想のターニング・ポイントとなった本があります。そうした本を眺め、手に取ることができるなんて、生涯で一度きりの経験でしょう。」

年間約40のグループが、学外からこのマリオット図書館の貴重書コレクションを見に訪れる。その財源は税金と個人的寄付であり、誰でも特定の本をリクエストし、書庫から司書が運んでくればすぐに、それを手に取って読むことが出来ると、貴重書担当のポウルトン主任学芸員は言う。

 ソルトレイクに住むアマチュア天文家のフレッド・スワンソンは、これほどの貴重書を前に喜びを隠せない。スワンソンは言う。「これらは西洋科学を作り上げた資料の一部に他なりません。それらを見ると、本当にワクワクします。私はこれまでずっと天文学と物理学に関心がありましたが、私が使った教科書はすべて、ここにあるケプラーやニュートンやアインシュタインの著作に基づいて書かれたんです。こんなにワクワクすることはありませんよ。」

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皆さん、至極穏当でまともな意見だと思います。
モルモン教の根付いた土地ですから、訪問する人もどちらかといえば善男善女タイプの、篤実な人が多いのかもしれず、平均的アメリカ人の感性とはずれている可能性もありますが、それにしても市井の人が、こういう思いで科学の古典に接するのは、間違いなく好いことでしょう。

日本だったら…と当然考えますが、実際のところどうなんでしょう?
たぶんお勉強気分で、神妙な面持ちで眺めることはするでしょうが、あまりワクワクやドキドキはないかも。

同じ眺めるのでも、「よそながらに眺める」のと、「自分に結びついたものとして眺める」のとでは天地雲泥の差があって、後者の感覚を持てるかどうかが、教育の成否を測る物差しではないか…と、何だか我ながら説教臭いですが、そんな風にも思います。

エーテルに満たされて2021年01月12日 22時22分40秒

白い雲が流れる空。あるいは星たちが静かにまたたく空。

頭上を振り仰ぎさえすれば、そこにはウイルスの一切存在しない空間が、どこまでもどこまでも広がっているのが、いつだって見えます。

なぜ昔の人が地上を濁世とみなし、天上世界に聖性を認めたのか。
その理由と心情が、今は切実に分かる気がします。

ふしぎの人2021年01月16日 17時08分40秒

安野光雅氏が亡くなられました。
享年94歳。世間的には大往生といえるのかもしれませんが、やはり深い寂しさをぬぐえません。

その死が公になったのは今日ですが、実際に亡くなられたのは昨年12月24日のことだそうです。その前日、12月23日に、このブログで偶然氏の絵本を採り上げたのも、何かの縁でしょう。そしてその後は「月の流れ星」の話題と、「死と再生」の話題が続いたのでした。

安野氏の本を手にしたのは、私がまだ小学校に上がるか上がらないかの頃です。その幼い子供の頭が、いつのまにか霜のようになっているのですから、なんだか夢を見ているような、安野氏の不思議な作品世界に迷いこんだような気分です。

とはいえ、氏はことさら<不思議>を描こうとしたわけではなくて、この世の成り立ちを正確に描こうとすれば、それは必然的に不思議なものにならざるを得ないのだ…と思います。

世界は安野氏の巨大な絵本であり、安野氏の絵本の中には確かに世界がありました。

(出典:平塚市美術館 https://bijutsutecho.com/exhibitions/4214

銀の熊に誘われて星空散歩2021年01月17日 16時56分07秒

世の中が暗くくすんでいます。
であればこそ、美しいものや、心の滋養を求める人も少なくないはずです。
世の中がくすんでいるからといって、何もこちらまでくすむ必要はありません。

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最近、1冊の美しい本を手にしました。
一般向けの天文古書は、これまでずいぶん目にしましたが、まだまだ未知の美しい本は少なくないようで、これは嬉しい驚きでした。


■A. Emmerig(著)
 『Unser nächtlicher Sternenhimmel. Ein Taschenbuch für die
 studierende Jugend sowie für nächtliche Wanderer.』
 (我らが星空―若き生徒と夜の散歩者のための本)
 Verlag der Buchner'schen Buchhandlung (Bamberg), 1888(改訂第2版).


空圧しで凹凸を付けた凝った表紙。深い青に黒の筆記体、そして銀の星々。
八折り版74ページという、ごく小ぶりの本ですが、この美しい表紙だけでも手元に置く価値は十分にあります。


しかも内容がまた良くて、これは星座探しの本なのですが、ガイド星図がすべて青インクで刷られており、実に爽やかな印象を与えます。


こうして「おおぐま座」から出発して、それを手がかりに近くの星座へ、さらに遠くの星座へと順々に道をたどりながら、我々の夜の散歩は続きます。


趣向としては昔紹介した(LINK)、エリオット・クラークの『Astronomy from a Dipper』と同工で、そこに漂う素敵なムードもよく似ていますが、出版年でいうと今日のエメリッヒの方が先行しており、先輩格になります。

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こうした本を手にすれば、人間の精神に絶望ではなく、希望を抱くことができます。
そして、これはコロナも決して踏み込めない領域なのです。