銀河の時計2021年01月26日 22時42分19秒

先日、天文時計の話題から、時計と天文学はつながっている…という話題につなげました(LINK)。だからこそ、このブログで時計の話題を採り上げる意味もあるし、昨年8月には「時計」という新たなカテゴリーが生まれたのでした(LINK)。

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時計に関して、もう少し話題にしようかな…と思ったとき、このブログで時計を取り上げる理由が、もう一つあったのを思い出しました。それは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の世界に出てくる時計たちの存在です。

たとえば物語冒頭近くの時計屋の場面。
あのショーウィンドウに並ぶ時計たちの何と魅力的なことか。あのショーウィンドウを再現するためだけに、このブログは相当な時間と労力を費やしたことを思い出したので、さっき過去記事を拾い出して、改めて「時計」のカテゴリーに分類し直しました。

それだけではありません。鉄道とは何よりもダイヤの正確さを貴ぶものです。
空を走る銀河鉄道も、常に定時運行を心がけているので、ジョバンニが車内の時計をぼんやり見ていると、検札に来た車掌は、「南十字〔サウザンクロス〕に着く時刻は次の第三時ころになります」と厳かに告げるし、白鳥の停車場付近を散策する二人は、列車の出発に遅れぬよう、腕時計に目をやって一目散に駆け出すのです。

そして印象的なのが、ドラマの終幕で、カンパネルラのお父さんの手に握りしめられた懐中時計。その針は、お父さんに残酷な事実――息子の死――を告げます。

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天体の動きを説明する際、回転と周期性の概念は、頻々と顔を出します。
地球という小さな惑星もそうだし、巨大な銀河もまたそうです。時計と暦が生まれたのも、もちろん地球の自転と公転の反映に他なりません。

物体の物理的な運動だけでなく、生命現象や社会現象に関しても、サイクリックな変化は常に観察されるもので、その背後に円環的なダイナミズムが想定されることも多いでしょう。「そしてまた、生と死も永遠に回り続ける巨大な環のようなものなんだよ」…とか言うと、何となくもっともらしさと胡散臭さが同時に漂いますが、こんな静かな雨の晩は、「銀河鉄道の夜」と時計のメタファーの関係を、ぼんやり考えたりしたくなるのです。


コメント

_ S.U ― 2021年01月27日 08時32分33秒

ごく最近、今でも「機械分解マニア」に分類される少年少女がいることを、どこかのメーカーだか教育機関だかの広告で知りました。嬉しく思うとともに、これも人間の本性なのかと思いました。

 思い出して見ると、物心ついた頃の私は時計専門の分解マニアでした。近所の家から壊れた時計をもらって来て分解していました。時計以外の物には興味が無く、機械やカラクリのマニアにはなりませんでした。今は時計は電子式で修理の機会はほとんどありませんが、一般の機械の分解修理をする時にはちょっとした血の騒ぎを感じます。昔の時計は機械の要素の王様だったということかもしれません。

 こういうのは、大なり小なり多くの人がそうなのでしょうか。玉青さんは、分解マニアでいらっしゃいましたか。

_ 玉青 ― 2021年01月27日 22時11分24秒

マニアというほどではないですが、分解はいろいろやりました。
時計に限らず、何でも分解していた気がします。
分解というのは、構造を知る等の明確な目的がなくても、それ自体面白いものですね。
昔の解剖学者も、きっと分解の面白さが大きな動機づけになっていたのでしょう。
(私自身は、その後だんだん形のないものの構造が気になりだして、現在の仕事に至っています。)

_ S.U ― 2021年01月28日 08時24分33秒

ありがとうございます。
 分解マニアの潜在性は誰にでもあるんでしょうね。ただ、まったく顕在化していない人も多いようなので、分解好きが身体の表面まで現れている人は何人かに1人なのでしょう。

 形のないものの構造への興味と、機械の構造に血が騒ぐというのは共通のルーツがあるのでしょうか。これはまたモノとコトの二元論OR一元論の議論になりそうですが、こちらは論理と人間の精神の問題だからモノとコトの区別はなく繋がっていてもおかしくないと思います。
 私は、形があるのとないのの中間のもの(画像としては見えないが数式や図としては見える)の分解を業としていますが、機械とは明瞭なつながりはないように思います。

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