天文台と時刻決定2021年02月20日 16時21分40秒

口に糊する仕事に忙殺されていましたが、ぼちぼち再開です。
このところ時計と天文の関係について、いくつか話題にしましたが、最近こんな絵葉書を見つけました。


時計メーカーのL. Leroy & Cie(1785年創業)が、1910年に出した記念絵葉書です。


何を記念しているかといえば、同社の天文用振り子時計が、フランスの報時業務に使われるため、パリ天文台に納入されたことを記念するもので、当然そこには自社の技術力の高さを誇示する意味合いがあったのでしょう。


この年、パリ天文台発のフランス標準時は、ただちにエッフェル塔から無線電信によって、遥か5000キロ彼方の船舶にまで伝えられるシステムが完成しました。正確を期すと、1910年3月23日のことです。

エッフェル塔というのは、そもそも高層建築の技術的デモンストレーションのために作られたもので、当初はこれといった用途がなかったそうですが、このとき初めて「電波塔」という性格が付与されたのです。

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昔は天体の南中を観測して時刻を求めるのが最も正確でしたから、標準時の決定も天文台の管掌でした。これは地球の回転を、時計として用いることに他なりませんが、19世紀半ばに、地球の自転速度は一定ではないことが分かり、さらに20世紀に入ると、地球の回転よりも正確な時計が人の手で作られるようになって、時刻の決定は天文台の専売特許ではなくなりました。

それでも、歴史的経緯によって、たとえば日本の国立天文台は、「中央標準時の決定及び現示並びに時計の検定に関する事務」という役目を、現在も法律(省令)で負わされています。肝心のフランスでは現在どうなのか不明ですが、上の絵葉書は、かつてあった天文台と時刻決定の強固な結びつきを、明瞭に教えてくれます。

さらに、H. Benckerという人の論文(LINK)を参照すると、フランスは自主の気風が強いのか、他国がグリニッジを基準とする時刻体系を導入した後も、時刻の基準地点をパリと定めて、これが1891年から1911年まで続いたそうです。エッフェル塔からの報時自体も、結局、1910年3月23日から1911年3月9日までの1年弱で終わったので、この絵葉書はその意味でも貴重な歴史の証人です。

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絵葉書の裏面は、こんな↓感じです。


流麗な筆記体を凝視すると、宛名(受取人)は、当時、パリ物理化学高等専門学校(l'École de physique et chimie de Paris)の教授をつとめた、シャルル・フェリー(Charles Fery、1866-1935)と読み取れます。絵葉書の絵柄も、宛名も渋い顔触れなので、差出人と葉書の文面も気になりますが、こちらは凝視不足で、今のところ判読不能です。