螺旋塔2021年03月17日 06時20分08秒

前回の杉の苗が入っていた壜は、サイズがちょうど好かったので、今ではこうして巻貝を入れて、棚に並べています。(ひっくり返した管壜が、細長い円筒ドームの役を果たしてくれます。)

(タケノコガイの仲間/ベニタケ?)

今さらながら、貝殻というのは不思議な形をしています。かつまた精妙です。
こんな形の尖塔を思い浮かべ、さらにその真下に立って、遥かなてっぺんを見上げている自分を想像すると、なんだかゾクゾクしてきます。

何でこんなものが天然自然にできるのか?


人の手によって生み出されたものと比べても、その完成度は頭抜けています。「人工」に対し「天工」という言葉がありますが、まさにそれです。

貝類の視覚は貧弱なので、自らの形を目で見て認識することはできないし、それを「美しい」とも思わないでしょう。その意味で、貝殻の美しさは、人間の頭の中だけにあるものです。

しかし、人間に美しさを感じさせる、その「形象の秩序」は、貝の成長様式の反映ですから、やっぱり貝の側に属しているはずで、命の営みが目に見える形を成していることが、人間の心を動かすのだと思います。

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貝つながりで言うと、「潮干狩り」は晩春の季語。これからがシーズン本番。
タケノコ狩りも同じ時期ですが、こちらは初夏の季語だそうで、俳句の季節感はなかなか細やかです。

鉱物古玩…缶入り鉱物標本セット2021年03月19日 19時20分52秒

年度替わりの時期、面倒な仕事の山を片づけながら、「これもプチ終活みたいなものか…」とひとりごちています。ただ、実際の終活とはちがって、こちらはやり残しが許されないムードがあるので、いっそう人生に倦み疲れた気分になっています。

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さて、いつもの机の上にポンと置いた木箱。


大きさは15.5×19cm、高さは4cmほどですから、そう大きなものではありません。新書版よりは大きい、ほぼ選書サイズ(四六版)です。


蓋をぱかっと開けると、中には鉱物標本が20種、円筒形の容器に入って、きっちり収まっています。


中身とラベルをじっくり照合したことがないので、正体不明の点もありますが、ラベルのほうは19種の鉱物名が挙がっているので、どれか1個重複しているようです。

(ガラスの反射を避けて、正面から見たところ)

それにしても、この風情はどうでしょう。
まず、このきっちり感がいいですね。そして「マホガニーケースに入った19世紀の鉱物標本セット」という存在自体が、主役であるはずの鉱物以上に魅力を放っています。こういう鑑賞態度は、純粋な「鉱物趣味」とも言い難く、いわば「鉱物古玩趣味」でしょうか。

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この標本セットに関して、もう1つ強い興味を覚えたのは、この収納容器。
鉱物コレクターの中には、小さなガラス蓋のついたアルミケースを標本入れにしている方もいらっしゃるでしょう。100均とかだと、「ティンケース」の名称で売られています。

(ネットショップで見かけたティンケース。 出典:https://store.shopping.yahoo.co.jp/biwadaya/6ari15-5.html#

あれは小さな標本の整理にはなかなか便利なものですが、ただ、古い標本は紙箱入りというイメージがあるので、ティンケースの使用は何となく新しい習慣のように思っていました。でも、実際にこういう例があるので、その使用は少なくとも19世紀の末に遡ることになります。


ティンケースは今ではアルミ製ですが、本来は文字通り「ティン(tin)」、すなわち錫ないしブリキ製だったのでしょう。この標本に使われているのがまさにそれです。
当初は白銀の輝きとガラスの透明感にあふれていたものが、100年以上の歳月を経て、すっかりアンティークの表情となり、鉱物古玩趣味に強く訴えかけてきます。

缶の中に眠る宝石2021年03月20日 07時37分37秒



昨日の標本セットには相棒がいます。


同じイギリスの業者が扱っていたものですが、こちらは「Rough Precious Stones」とラベルにあるように、貴石・半貴石のラフストーンを20種集めたもの。昨日の鉱物コレクションのラベルとは、筆跡が違って見えますが、筆記体とブロック体の違いもあるので、別筆と断ずることもできません。少なくとも木箱と中身のティン缶は全く同じで、以前の所有者も同じ(はず)です。


宝石というのはきらきらしてナンボでしょうが、ここに見られるのは、それとはずいぶん違った表情です。ここでは石そのものを愛でるというよりも、古びた金属缶、曇った板硝子、その奥に見えるザラザラした石の肌、そこに浮かぶ鮮やかな色彩…それらが一体となって醸し出す風情を愛でたい気がします。


元の所有者も、きっとこの「きっちり感」をいとおしく感じたのでしょうね。

鉱物趣味の大きな要素に「結晶の美」というのがあります。
明快で幾何学的な形象の面白さ。原子と分子のロジックが生み出す構造美。
箱の中にきっちり収まった円環の行列が放つ魅力は、ちょっとそれに似ている気がします。

鉱物趣味のアイコンとは2021年03月24日 06時54分34秒

河の流れは常に一方向ですが、仔細に見れば早瀬もあり、淀みもあり、中には渦を巻いて、全体の流れとは逆行する動きも生じます。
常に動き行く世界の片隅で、生活の糧を得るために今も呻吟していますが、河が全体としてどちらに向かって流れているのか、それを見失わないようにしたいものです。

…とひとりごちたところで、暢気な話のつづきです。

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「昆虫好きな人」といっても実態は多様でしょう。
でも、依然として最もポピュラーなのは、「昆虫採集趣味の人」じゃないでしょうか。つまり、自ら野山で網を振るって、せっせと標本をこしらえる人。最近だと、捕虫網をカメラに持ち替えて、昆虫写真のコレクションに励む人も多いかもしれません。その場合も、虫たちの住む場所まで出かけて、その場の空気を肌で感じながら…という点は同じです。要するに「現場派」ですね。

昆虫標本のコレクションを形成するには、自分で採集する以外に、よその土地の同趣味の人と標本を交換したり、専門の業者から購入することも実際多いのでしょうが、依然として「捕虫網と毒びんと三角紙が昆虫趣味のアイコンだ」というのが、当事者を含む多くの人の共通理解じゃないでしょうか。

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そんなことを持ち出したのは、鉱物趣味の立ち位置を考えたかったからです。

鉱物趣味の場合も、過去のある時期、たぶん昭和の頃までは、「自採」という活動が非常に大きなウェイトを占めていたと思います。しかし、現在、「趣味は鉱物集めです」と聞いて、リュックをしょって山に分け入る姿をイメージすることは、ほとんどありません。

もちろん、自由に動き回る昆虫と、地面にひっついている岩石や鉱物とでは、採集にあたってのハードルが異なる(=地上権や採石権が発生して、ややこしい)ので、ひとくくりにはできませんし、辺境の地に産する珍奇で美しい鉱物を入手しようと思ったら、業者からの購入に頼らざるを得ないのは当然です(後者の点は昆虫趣味も同じです)。

しかし、金銭と引き換えに手に入れた美しい鉱物を眺めながら、その産地のことを全く考えないとしたら、それはいささか寂しいことです。

そこに広がっているであろう景色、風の音、土の匂い、遠い山並みの稜線、そして鉱物の生態環境たる地質条件。そうしたものを思い浮かべつつ鉱物を手にしてこそ、大地(geo)の学問たる地質学(geology)の愛好者と称するに足るのではないか…と、地質学のことを何も知らない私が力説してもしょうがないんですが、そんなことを思います。(もっと言ってしまうと、新派の鉱物好きの人の視線が、宝石箱を覗く貴婦人のようになっているのが気になっています。)

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上のような印象は、以前も文字にしました。

■「鉱石倶楽部」の会員章(後編)

その中で書いたように、昆虫趣味のアイコンが「捕虫網、毒びん、三角紙」ならば、「ハンマー、つるはし、スコップ」が、旧来の鉱物趣味の三種の神器。鉱物趣味に憧れる者として、私も象徴的にその神器を手にすることにしました。


ひとつはアメリカ生まれで、


もうひとつはオーストリア生まれです。


かつて正真のミネラロジストが手にし、あまたの岩肌に触れたであろう、古い鉱物採集用のハンマーとつるはし。自分がこれらを手にして山に行く可能性はゼロだし、全く意味のない買い物とえばそうなのですが、それを鉱物標本の傍らに置けば、石たちの声がより明瞭に聞こえてくるような気がします。

柳に月2021年03月29日 06時26分37秒

箸にも棒にもかからぬ…とはこのことでしょう。
戦時中のフレーズじゃありませんが、3月は文字通り「月月火水木金金」で、もはやパトラッシュをかき抱いて眠りたい気分です。しかし、それもようやく先が見えてきました。
まあ4月は4月で、いろいろ暗雲も漂っているのですが、先のことを気にしてもしょうがないので、まずは身体を休めるのが先です。

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今年は早々と桜が咲きました。
花びら越しに見上げる月も美しいし、雨に濡れる桜の風情も捨てがたいです。

そして爛漫たる桜と並んで、この時期見逃せないのが若葉の美しさで、今や様々な樹種が順々に芽吹いて、その緑のグラデーションは、桜に負けぬ華やぎに満ちています。

中でも昔の人が嘆賞したのが柳の緑で、その柔らかな浅緑と桜桃の薄紅の対比を、唐土の人は「柳緑花紅」と詠み、我が日の本も「柳桜をこきまぜて」こそ春の景色と言えるわけです。

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「花に月」も美しいですが、「柳に月」も文芸色の濃い取り合わせ。

(日本絵葉書会発行)

この明治時代の木版絵葉書は、銀地に柳と月を刷り込んで、実に洒落ています。

しかも機知を利かせて、「 の 額(ひたい)の櫛や 三日の 」と途中の文字を飛ばしているのは、絵柄と併せて読んでくれという注文で、読み下せば「青柳の 額の櫛や 三日の月」という句になります。作者は芭蕉門の俳人、宝井其角(たからいきかく、1661-1707)。

青柳の細い葉は、古来、佳人の美しい眉の形容です。
室町末期の連歌師、荒木田守武(あらきだもりたけ、1473-1549)は、「青柳の 眉かく岸の 額かな」と詠み、柳の揺れる岸辺に女性の白いひたいを連想しました。其角はさらに三日月の櫛をそこに挿したわけです。


春の夕暮れの色、細い三日月、風に揺れる柳の若葉。
その取り合わせを、妙齢の女性に譬えるかどうかはともかくとして、いかにもスッキリとした気分が、そこには感じられます。

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惜しむらくは、この絵葉書は月の向きが左右逆です。
これだと夕暮れ時の三日月ではなしに、夜明け前の有明月になってしまいます。でも、春の曙に揺れる柳の枝と繊細な有明月の取り合わせも、また美しい気がします。

(絵葉書の裏面。柳尽くしの絵柄の下に蛙。何だかんだ洒落ています。)