あの日、鉛筆は青いノートに虫たちの生を記録した2021年08月27日 06時27分54秒

夏休みももう終わりです。
でも、今年は夏休みが終わるのか終わらないのか、混乱している現場も多いと聞きます。夏休みが伸びて嬉しい…と、子どもたちが心底思えるならまだしもですが、やっぱりそこには不安な影が差していることでしょう。

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そういえば今年の夏休みが始まるころ、1通のメールが届きました。
古書検索サイトの「探求書リスト」に登録してあった本が見つかったという知らせでした。リストに登録したのはもう何年も前なので、一瞬キョトンとしました。

実のところ、本自体の記憶も曖昧です。しかし、小学校の図書室で繰り返し読み、それを繰り返し読んだ時の「気分」だけは、ずっと後まで残っていました。その気分をもう一度味わいたくて、一生懸命探した努力がようやく実ったのです。

それは『昆虫の野外観察』という本です。


■杉山恵一(著)
 昆虫の野外観察 (カラー版観察と実験14)
 岩崎書店、1974


内容は身近な昆虫の生態を、小学生向けにやさしく解説した本で、格別特色のあるものではありません。「では、昔の自分はなぜこの本に夢中になったのか?」と考えながらページをめくっていたら、その理由が分かりました。


それは本の最後に「野外観察のしかた」という章があって、さらに「観察記録の実例」というのが載っていたからです。子ども時代の私がくり返し読んだのは、この「観察記録の実例」でした。以下はその一例です。


「1963年4月23日 晴
 東京都町田市
 道路わきの電柱にキイロアシナガバチがとりついて、その表面からセンイをけずりとっているのを見た。頭を上にしてとまり、6本の足をふんばり、少しずつ下にさがりながら、口でセンイをけずりとっている。ときおり口をはなし、前足を口のあたりにもってゆく。センイを丸めているらしい。5分間ほどで仁丹粒ほどのかたまりをつくって飛びたった。電柱の表面には、ナメクジが通ったようなかじりあとがついていた。そのほかの箇所にも何本もこのようなあとがあるところから、この電柱にはかなり多くのハチが、巣の材料をとりにきたことがわかる。」

おそらく、著者の杉山氏自身の実見であろう、こういう観察記録がそこにはたくさん載っていました。もちろんそれまでも昆虫の生活をじっと覗き見ることはありましたが、それを客観的な記録にとどめるということが、当時の私には非常に科学的な営みに感じられたのです。単なる「虫捕り」で終わらずに、小さな昆虫学者たらんとするならば、こうした活動こそやらねば!…みたいな気分だったのでしょう。「ファーブル昆虫記は、ファーブル先生でなくても書けるぞ!」という心の弾みもあったかもしれません。

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当時、リング綴じの小さな青いノートを野帳としてポケットに入れていたのを覚えています。そこには杉山氏の文章をまねて、いくつかの観察記録が書かれていました。でも、ここが私の限界で、鈍(どん)な私はそこからさらに鋭い観察眼をはぐくむことなく、この観察ブームは一時のことで終わったのでした。

それでも一時のこととはいえ、身近な自然観察を真剣にやったのはとても良いことでした。今もその真剣さを懐かしく思うからこそ、何十年も経ってからこの本を探したのだと思います。

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これは私個人のちっぽけな経験に過ぎませんが、こういう小さな経験が人生において決定的に重要であったりします。似たような思い出のある方ならば、おそらく頷いて下さるのではないでしょうか。