プラネタリウムの美学(前編) ― 2021年09月07日 11時23分11秒
昔、「プラネタリウムはあまり好きじやない」と書いた気がします。
我ながら大胆な言い分ですが、当時の思いとしては、プラネタリウムはいわば「星の世界の動物園」であり、生の自然に触れるのとは根本的に違うんだ…とか、プラネタリウムで和気あいあいと過ごすのもいいけれど、星を眺めるというのは、本来もっと孤独な魂の営みなんだ‥・みたいな気分だったと記憶しています。
自分が言いたかったことは分かります。
でも、了見としてはちょっと狭かったですね。
動物園には動物園の美学があります。
あるいは動物園でしか感じられない情調一悲しさや淋しさ-もあります。動物たちの目も悲しいし、それを眺める人間の目も悲しい。そこには野生への回帰を求めつつ、結果的にその対極へと至った人間の戸惑いが満ちています。
プラネタリウムも同じです。
プラネタリウムは星空をシミュレートする施設というよりも、星空に寄せる人間の思いをなぞる場所じやないでしょうか。そこにはある種の切なさがあります。無限の星にあこがれながら、同時にそれが叶わぬことを知っている者の悲哀といいますか。
それに動物園だろうが、プラネタリウムだろうが、しょせん人間は孤独から逃れられないものです。
そんな思いを抱きながら、あらためてプラネタリウムの美学――平たくいえば「カツコよさ」――を振り返ってみます。
(この項つづく)
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