プラネタリウムの美学(後編)2021年09月09日 08時34分53秒

もう一つの「カッコいい」プラネタリウムのイメージを載せます。


上はカール・ツァイス社が出した、自社製品紹介パンフ(1951年)。
プラネタリムの象徴ともいえる、真っ黒なダンベル型のフォルムが、碧い星空をバックに浮かび上がり、ハ-ドなカッコよさが横溢しています。

今もカッコよく目に映るということは、このカッコよさはかなり普遍性を備えたもので、たとえば大阪市立電気科学館の古絵葉書↓を見ると、戦前の日本でも同じような美意識が共有されていたことが分かります。

(モチーフは同館のツァイスⅡ型プラネタリウム)

   ★

プラネタリウムはその映像、すなわち「ソフト」が肝で、それこそが人々の心を捉えるのでしょうが、それを生み出す「ハ-ド」のほうも、それに劣らずカッコいい。このデザインは、一体どのようにして生まれたのか?


もちろん普通に問えば、「機能を形にしたらこうなった」という当たり前の答が返ってくるでしょう。でも本当にそれだけなのか…?

   ★

プラネタリウムが誕生した20世紀の第1四半期は、インダストリアル・デザインの考えが、やはりドイツで生まれた時期と重なっています。

機能を追求すれば、おのずとそこに用の美が生まれる…というのは素朴すぎる考え方で、「カッコいい」デザインが生まれるためには、やはり機能性と形象美を両立させようという、作り手の明確な意識が必要です。無骨な工業製品であっても、やはり美しさが必要だと考えたのが、当時のインダストリアル・デザイナーたちで、ツァイスの技術者も、意識的か無意識的かはさておき、その影響を受けて投影機を設計したのは、ほぼ確実だという気がします。

バウハウスで学んだXanti Schawinsky(1904 –1979)がデザインした、オリベッティ社のタイプライター。Wikipediaより)

ひょっとしたら、そのことを論じた人もすでにいるかもしれませんが、今はまったく資料がないので、この話題はネタとしてとっておきます。

   ★

また投影機だけではなく、プラネタリウムのドーム建築にも、当時の建築思潮――たとえば歴史主義とモダニズムとの相克――の影響が見て取れるはずですが、このことも今は文字にする準備がありません(何だかんだ竜頭蛇尾で恐縮ですが、たぶんこれは同時代の天文台建築史と重なる部分が大きく、そこからきっと道も開けることでしょう)。

(上記パンフレットに掲載された世界のプラネタリウム。左上から反時計回りにベルリン、マンハイム、ローマ、ハノーヴァー)

(同 フィラデルフィア、ハーグ、ブリュッセル、ロサンゼルス)

   ★

余談ながら、ツァイス投影機の魅力(の一つ)は、そのメカメカしさにあると思うので、それを論じるには「メカメカしさの美の系譜」という切り口も必要になります。そうなると松本零士氏が描く、いわゆる「松本メーター」なんかも、きっとその俎上に載ることでしょう。(というか、ツァイスのプラネタリウムを見ると、私はいつも松本作品を連想します。)

(ネット上で見かけた松本作品より)

コメント

_ S.U ― 2021年09月09日 09時42分34秒

ツァイス型のプラネタリウム懐かしいですね。私がプラネタリウムを見始めた頃、京都の青少年科学センターや明石には、こういう形のがありました。今は小さい1つの球形のが多いですが、プラネタリウムの形はこうでないといけませんね。

 でも、なぜ、ツァイス型は、2つの球がこんなに離れているのか、合理的な説明を聞いたことがありません。格好いいのですが、視界の邪魔になるので、本体のそばに席を取るのは不都合です。2球の間の骨組みのところには、太陽、月、惑星の投影機が入っていますが、もうちょっとそこの密度を上げられなかったのかと思います。

_ 玉青 ― 2021年09月10日 06時44分14秒

機能だけでは説明できない「何か」がやっぱりあるんでしょうかね。このフォルムでなければならないと感じた、設計者の情念といいますか。
昔のダンベル型プラネタリウムは、そのメカメカしさもさることながら、頭とお尻を備え、たくさんの脚を踏ん張って立つ昆虫っぽいフォルムが印象的です。そこには人造生物とか、ロボットとか、科学兵器とか、当時の科学雑誌のビジュアルに共通した美意識を感じるんですが、ツァイスの設計者もあるいはそうした時代の空気に引きずられたのかもしれませんね。

_ S.U ― 2021年09月10日 11時47分33秒

ところで、この「松本メーター」のメカメカしさはすごいですね。

最新の宇宙船「クルードラゴン」のコックピットの写真を見たのですが、

(DNAニュースさん)
https://dailynewsagency.com/2020/06/02/spacecraft-control-panel-progression-r5i/

タッチパネルが3面見える程度で、50年前のアポロ宇宙船とはえらい違いです。

 私などはついついその裏側が気になりまして、「松本メーター」だと個々のメーターの裏側に最低2本の電線がつながっているはずです。増幅機構とか警報器とか付けるだと4本以上必要です。配線は手仕事ですので、組立作業だけでもたいへんです。修理で分解する時には泣くことになります。
 ところが、タッチパネルなら、何を写しても、配線は、極端な話、電源ケーブルとHDMIケーブルとUSBケーブルの3本しかいらないはずです。集積回路とデジタルデータのシリアル伝送技術のおかげですが、これを現代の機能美というのかどうか、どう感じられますでしょうか。

_ 玉青 ― 2021年09月11日 09時41分32秒

メカのイメージも世につれ、ですね。
クルードラゴンは間違いなく現代の機能美でしょう。100個のメーターの代わりに、1つのコンソールで用が足りるなら、もちろんそっちのほうがいいわけで、たぶん今後もそういう方向にマシンの進化は続くのでしょうが、そうなると究極のコックピットは「何もない」空間、何もないんだけれど、それで何もかも用が足りる空間ということになりそうですね。

ただ、そうなると「本当に何もない」のか、「実はすごいシステムがあるんだけど、一見何もない」のか区別がつかないので、将来の映像作家は、情報を表す複雑な光点パターンが、主人公と周囲の間をめまぐるしく流れるさまを描き、将来の人はそれをカツコいいと感じたりするのかなあ…とか、その具体像は唆昧です(上のイメージは攻殻機動隊の印象を引きずっているので、今となっては既に古いかもしれません)。

思うに、メカメカしさの魅力の本質は、「自己拡大感」でしょう。
コックピットに座り、そこに並ぶメーターやレバーを通じて、自分という人間が巨大なマシンと一体化する感覚。メーターを通して五感はマシンとつながり、レバーを手にすることですさまじいパワーを自分の制御下に置く全能感。巨大ロボットが典型ですが、卑近なところでも、ハンドルを握ると、急に人間が変わる人がいるそうですね。
将来のマシンの進化のありようはどうあれ、マシンをめぐる描写には、必ずや自己拡大のイメージが伴い、松本メーターがたとえ別のモノに置き換わっても、それが相変わらず魅力の源泉なのではないかなと予想します。

_ S.U ― 2021年09月11日 17時42分52秒

タッチパネルも機能美ですか。でも、タッチパネル→無と進むと外見のバリエーションは減っていきますね。バリエーションの減少そのものは機能性の最大化の結果なのでしょうが、足穂御大が「面白くも何ともない」と酷評したパターンになりそうです。工夫によって、バリエーションは何とか維持してほしいです。

>自己拡大感
 だとしますと、修理というのは自分の身体の治療というわけですね。
 そうそう、ちょっと脱線してすみませんが、つい先日、私の使っている電子ブックのタッチパネルが暴走し、何も触っていないし傷もついていないのに、特定の場所が繰り返し押されているように反応する人間でいうと神経痛のような症状が出ました。文字の大きさが勝手に変わったり、ページがどんどんめくられていくので、リセットのために人間はこれに抗って戦うことになりました。ネットで調べると「ゴーストタッチ」というとても良くある現象のようです。リセットでも治らず、保証期間内だったので新品と交換してもらいました。宇宙船の操縦室がこうなると怖いですね。

_ 玉青 ― 2021年09月12日 16時09分03秒

宇宙船でゴーストタッチ…これは怖いですねえ。
まあ、乗ってる人間の方だって、突然脳溢血を起こすることもあるし、そこは「おあいこ」で、一種の確率論的悲劇として諦めるしかないでしょう。(自分の身の上に起こったら、諦めきれませんが・笑)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック