季節外れの七夕のはなし(おまけ)2021年11月07日 11時49分34秒

現代日本の七夕のありようは、江戸時代のそれとは違うし、江戸時代のそれは室町時代のそれとも違います。

同様に七夕の本場・中国でも、やっぱり内的変化はあって、現代の中国で標準的に受容されている七夕説話の背後にも、各時代を通じて施された彫琢がいろいろあることでしょう。いずれにしても、日本の我々が親しんでいる七夕説話とは、いろいろ違う点が生じており、その違いが面白いと思ったので、内容を一瞥しておきます。

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中国で2010年に発行された「民間伝説―牛郎織女」という4枚セットの記念切手があります。


4枚というのは、七夕伝説を起承転結にまとめたのでしょう。ストーリーの全体は、チャイナネットの「牽牛織女の物語」【LINK】に詳しいので、そちらを参照してください。


まず1枚目。タイトルは「盗衣結縁」
設定として、牽牛(牛郎)は元から天界の住人だったのではありません。元は貧しい普通の男性で、相棒の老牛とつましく暮らしていました。一方、織女は天帝の娘、天女です。その二人が結ばれた理由は、日本の羽衣伝説と同じです。中国版が日本と少しく異なるのは、老牛の扱いの大きさで、「天女と結婚したいなら、天衣を奪え」と教えたのも老牛だし、話の後半でもヒーロー的な活躍をしますが、七夕説話が牽牛と老牛の一種の「バディもの」になっているのが面白い点です。

2枚目は「男耕女織」
日本の説話だと、結婚した二人が互いの職分を忘れてデレデレしていたため、天の神様が怒って、二人を銀河の東と西に別居させたことになっていますが、中国版だとふたりは結婚後もまじめに仕事に励み、子宝にも恵まれて幸せに暮らしていました。まずはメデタシメデタシ。


3枚目は「担子追妻」
しかし、その幸せも長くは続きません。自分の娘が地上の男と結ばれたのを知って怒った天帝が、西王母を地上につかわし、娘を糾問するため天界に召喚したからです。妻との仲を裂かれて嘆き悲しむ牽牛に、老牛が告げます。「自分の角を折って船とし、あとを追いかけよ」と。言われるまま、牽牛は牛の角の船に乗り、愛児を天秤棒で担いで、天界へと妻を追いかけます。しかし、あと一息というところで、西王母が金のかんざしをサッと一振りすると、そこに荒れ狂う銀河が現れて、二人の間を再び隔ててしまいます。

4枚目、「鵲橋相会」
銀河のほとりで二人は嘆き悲しみますが、その愛情が変わることはありません。それに感動した鳳凰は、無数のカササギを呼び集めて銀河に橋をかけ、二人の再会を手助けします。それを見た西王母も、7月7日の一晩だけは、ふたりが会うことを認めざるを得ませんでしたとさ。とっぴんぱらりのぷう。

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この話にしても、地上に残された老牛はどうなったのか、牛がいなければもはや「牽牛」とは言えないんじゃないか?とか、天帝のお裁きは結局どうなったのか、夫婦はそれで良いとしても、母子関係はどうなるのか?とか、いろいろ疑問が浮かびます。

説話というのは、そういう疑問や矛盾に答えるために細部が付加され、それがまた新たな疑問や矛盾を生み…ということを繰り返して発展していくのでしょう。

繰り返しになりますが、これが中国古来の一貫して変わらぬ七夕伝承というわけではありません。絶えず変化を続ける説話を、たまたま「今」という時点で切り取ったら、こういう姿になったということで、その点は日本も同じです。

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