遠い日のカブトガニ ― 2021年12月01日 07時36分30秒
ティラノサウルスがひと頃、全身に羽をはやして、しかもそれが妙にカラフルだった時期があります。鳥は恐竜の子孫ということに決まって、恐竜の方も自ずと鳥に寄せる形でイメージチェンジが図られていた頃の話です。そういう姿をメディアでも盛んに目にしました。でも、最近はどうやら脱毛に励んでいるらしく、再び爬虫類らしい姿に戻ってきました。
絶滅した古生物は、過去のある時点で文字通り化石化して、微塵もその姿を変えることはないはずですが、学問の目を通して浮かび上がるその姿は、学問の進展に伴って、ときに驚くほど形を変えます。そういうことも、人間の短いタイムスケールのうちに「懐かしい古生物」というねじれた存在が生まれる一因です。
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そんなことを思ったのは、三葉虫を見ると、自分が反射的にカブトガニを思い出すことに気付いたからです。
昔、私が子供のころは「カブトガニは三葉虫の子孫だ」と言われていました。
それは主に見た目の類似から人気のあった説らしく、たしかにカブトガニの「カブト」、すなわち体の前半部は三葉虫の頭部とよく似た形をしています。
でも、ウィキペディアの「カブトガニ類」の項をざっと見ただけでも、そういう素朴な説はもう過去のもので、三葉虫とカブトガニは確かに共通祖先を持つものの、かなり遠縁の関係にあると、今では考えられているようです。
(ウィキペディア「鋏角類#系統関係」の項所載の図を加工)
それにはいろいろな根拠があるので、たぶんその通りなのでしょう。
でも、小学校の理科室の棚に置かれていたカブトガニの標本と、それを三葉虫と結び付けて考えていた私の思い出は、そうした新説によって上書きされることはなく、依然「三葉虫の子孫であるカブトガニ」が私の中には棲んでおり、「それでこそカブトガニだ」という思いがあります。今は消え去った、あの懐かしいカブトガニの面影。
(いかにも古生代な腹面)
考えてみれば、これは旧弊な「男らしさ/女らしさ」にこだわるアナクロな人のようなもので、生身のカブトガニに、実際にはない「カブトガニらしさ」を求めているだけとも言えます。カブトガニにとっては、はなはだ迷惑なことでしょう。でも、そのイメージを自分の中だけにそっとしまっておくぐらいは、どうか許してほしいです。
コメント
_ S.U ― 2021年12月02日 15時42分23秒
_ 玉青 ― 2021年12月08日 09時44分04秒
お返事が遅くなりました。
古生代から生きているわけでもない人間、ましてやその一個体が、生きている化石を懐かしむというのも、考えてみればかなりのねじれ現象ですが、あれはやっぱり学習図鑑の思い出から来てるんでしょうね。イチョウもシーラカンスも「古き良き友」という気がします。ただゴキブリは鬼門です。森の中でおとなしくしている分にはいいんですが、いっぺん書棚の本を齧られてからは、警戒の念を緩めることができません。
古生代から生きているわけでもない人間、ましてやその一個体が、生きている化石を懐かしむというのも、考えてみればかなりのねじれ現象ですが、あれはやっぱり学習図鑑の思い出から来てるんでしょうね。イチョウもシーラカンスも「古き良き友」という気がします。ただゴキブリは鬼門です。森の中でおとなしくしている分にはいいんですが、いっぺん書棚の本を齧られてからは、警戒の念を緩めることができません。
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日本で有名な「生きている化石」は、どれもこれも懐かしいもので、メタセコイアのようなどこが有り難いのかよくわからないものでも懐かしいものです。それに引き換え、英語版の "Living fossil"の例にあまり懐かしいものはなかったので、やはり懐かしいのは国産に限るのかと思っていましたが、英語版の掉尾にカブトガニ(horseshoe crab)が現れ、ハッとしました。