あめゆじゅとてちてけんじゃ2021年12月31日 08時46分21秒

雪の大晦日。今年二度目の本格的な雪です。

雪に対する印象はもちろん人さまざまで、雪に良くない思い出があれば暗い気分になるでしょうし、もっぱら楽しい思い出ばかりなら、心が浮き立つことでしょう。
私はどちらかと言えば後者で、一面の銀世界を見ると、その瞬間にパッと心が明るくなって、一種のすがすがしさを感じます。

まあ、ひとりの社会人として、交通機関の乱れや、通勤の苦労を考えないわけではないですが、それはひとしきり雪を愛でてから心に浮かぶことで、最初の印象は「!!」という言葉にならぬ心の弾みです。ことに今日は外出する必要のない休日ですから、雪はあえて嬉しいものに数えたくなります。

   ★

賢治の絶唱、「永訣の朝」
雪の苦労を賢治は十分知っていたし、何よりも眼前の悲痛な出来事と重なる存在でしたが、このときの賢治にとって、雪は決して忌むべきものではなしに、死の床にある妹を浄化する、限りなく美しく清らかなものでした。

 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまつしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしいゆきがきたのだ

その天からの贈り物を口にすることで、人は地上を離れ、より天に近い存在となる…。それは神々が住まう「兜率の天の食」にもなぞらえることのできるものでした。

 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを…
 〔…〕
 雪と水とのまつしろな二相系をたもち
 すきとほるつめたい雫にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたくしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらつていかう

「永訣の朝」は、文飾に凝った詩というよりも、自らの思いを血を喀くように文字にした詩だと思いますが、それにしてはあまりにも静かで、心にしんしんと沁み徹る趣があります。それは、この詩が妹の死を悼むと同時に、雪とみぞれに覆われた透明な世界の美を謳っているからでしょう。

   ★


こんな日は、賢治のことを思いながら、私も「あめゆじゅ(雨雪)」を口にしようと思いましたが、街の雪は埃臭い気がして、どぶろくに氷を浮かべることで、兜率の天の食に代えました(何だかんだ言って雪見酒になるのです)。

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