アストロラーベ再見(1)2022年03月09日 20時02分40秒

ウクライナでの戦闘が止まりません。
ニュースで配信される現地の映像は、ただただ痛ましく、心が曇ります。

ブセボロードさんからは、その後も折々メッセージが届きます。前回の記事に動画で登場した、アストロラーベ作りの金工作家氏――ブセボロードさんによれば、彼は「宝石屋の息子」ではなく、彼自身が宝石屋なのだそうです――も既にキエフを脱出し、ポーランドに向かったが、その手前でまごまごしてるんだ…という話。

そんな話を聞くと、ウクライナの人だって別に戦災慣れしているわけではなくて、ほんの1か月前まで、我々と同様に、ごく普通の日常を送っていた人たちばかりだという、当然のことを思い出します。日常とはかくも脆く、私の身辺だって、いつどうなるか分かりません。「要するに彼らは私であり、私は彼らなんだ」と、理屈を超えてそんな気がします。

   ★

さて、この機会にアストロラーベについて振り返ってみます。

アストロラーベとは結局何なのか、その構造と用法がしっかり腹に落ちている人がどれぐらいいるのか、少なくとも私は正直あまりよく分かってなかったんですが、先日ふとそれが分かった気がしました(例によって「気がする」だけかもしれません)。


それは、モダンな構造の――でも原理は昔のものと同じ――アストロラーベを手に入れてクルクル回したからで、基本的に私は自分の手元でクルクルしたり、パラパラしないと分からないタイプなのでしょう。そのクルクルの成果を、自分へのメモもかねて、文字にしておきます。

(この項つづく)

戦火の工匠たち2022年03月10日 21時13分08秒

アストロラーベのことは、おいおい書きます。
その前に、ブセボロードさんから届いた便りを、まずご紹介しなければなりません。

ブセボロードさんは冒頭、日本政府がウクライナに防弾チョッキの供与を決定したことに感謝の意を表した上で、ご自分の身辺については、次のように書かれています。

 「今、キエフの町はあちこち掘り返されています。道路はコンクリートブロックと鉄の「ハリネズミ」で多くの場所が封鎖されています。車で街区を走るときは、まるで迷路を這い回るようです。私はバリケード建設のための土嚢運びで一日を過ごし、やっと背中を少し伸ばすことができました。その作業が明日まで繰り延べになったので、今度は(地元の図書館の地下にある)別のボランティア作業所に行き、迷彩ネットを編むのを手伝いました。その作業は、切った布から飛び散る細かい埃で咳き込むまで続きました。とはいえ、通信が遮断された村にとどまり、最前線で職務を果たしている人々にくらべれば、私はるかに良い状況にいます。

 私が最も心配しているのは、ヴィタリー〔註:アストロラーベを糸鋸で切り出していた、あの「宝石屋」の彼の名です〕が、ウクライナから逃げない道を選んだことです。クラクフでの連絡先〔註:ポーランドに住む、ブセボロードさんの親戚の家〕を彼に伝え、また彼にはそうする権利があったにもかかわらず(彼には3人の娘がいます)、彼はポルタバ地方にある故郷の村に戻ったのです。今、彼はそこで祖国防衛役にリクルートされ、持ち場で立哨警護にあたらなければなりません。彼の身にもし何かあれば、MaterTerebrusプロジェクトも終わるでしょう。それは私にとって、まさに最悪の事態です。」

(ウクライナ要図。ポルタバ周辺の赤線がポルタバ州境)

情勢はさらに緊迫の度を高めているようです。
これが本当に現実に起こっていることなのか、書きながら私自身、何だか映画の中にいるような気がするのですが、もちろんすべてこの世界で「今」起こっていることです。

ウクライナの国運や、この事件が世界に与える影響は、もちろんきわめて重大な問題でしょう。でも、1人の人間として考えると、こうしてひょんなことから縁が結ばれた人々の無事こそ一層気づかわしいし、あのMasterTereburus工房の運命が、心を離れません。

何はともあれ、彼らの無事を強く祈ります。
何といっても命あっての物種です。くれぐれも御身大切に。

アストロラーベ再見(2)2022年03月12日 20時21分23秒

毎日家を出るとき、いつも門扉の脇のアジサイが目に留まります。
その若芽が徐々に膨らみ、今ではつやつやした緑が鈴なりです。あのみずみずしい翠色は春そのものであり、命の輝きそのものだなあ…と、そんなことを考えながら毎日家を出ます。

   ★

さて、アストロラーベの続き。


これはブセボロードさんが図面を引き、ヴィタリーさんが切り出した優美なアストロラーベです。ただし、優美ではあるけれども、これだけ見ると「昔の人が使った何だか不思議な道具」という印象で終わってしまうかもしれません。


では、こちらはどうでしょう。棚から取り出した三省堂の星座早見盤です。星座早見盤に慣れた人ならば、その構造や用法は明瞭でしょう(以下、星座早見盤の知識は共有されているものとします)。

アストロラーベと星座早見盤はよく似ていると言われます。アストロラーベを理解するために、ここでアストロラーベと星座早見盤の異同を考えてみます。ただし、正統派アストロラーベと星座早見盤とでは、見た目の違いが大きくて、パッと見比較しづらいでしょう。

そこで登場するのが、先日紹介した「モダン・アストロラーベ」です。
Wavytail というメーカーの製品で、これもEtsyで購入しました【購入先はこちら】。

(画像再掲)

このモダン・アストロラーベを見ると、星座早見盤との類似は一層明らかです。いずれも回転する盤で星の動きをシミュレートし、任意の日時における星/星座の位置を教えてくれる装置です。一種のアナログコンピュータにもたとえられます。


このモダン・アストロラーベが、正統派のアストロラーベと違うのは、複雑な形をしたレーテ(網盤)の代わりに、透明なアクリル板に星図が描かれていることです。光の角度によって、それが浅緑に浮かび上がり、白木のマーテル(母盤)テュンパン(鼓盤)に映えて、なかなか美しいものです(※)。とはいえ、見た目は違っても、その動作原理はまったく同じです。


(※)「レーテ、マーテル、テュンパン」はラテン語読みで統一しました。定訳は未確立と思いますが、原義を考えて、それぞれ「網盤、母盤、鼓盤」と仮訳しておきます。なお、鼓盤を以前の記事では「皮盤」と呼びましたが、そちらも「鼓盤」に修正しておきました。

(この項つづく)

アストロラーベ再見(3)2022年03月13日 12時23分36秒

ここで改めてアストロラーベの構造を確認しておきます。

(Bruce Stephenson他(著)『The Universe Unveiled』、2000より)

マーテルテュンパンをはめ込み、その上にレーテが乗って、全体がピン止めされている…というのが、その基本構造です。テュンパンはマーテルに固定されているので、回転するのはレーテだけです。さらに、いろいろな指標を読み取るために、アリダードルーラー(またはルール)と呼ばれる、細長い補助具が表面と裏面に付属します。

(①マーテル、②テュンパン、③レーテ、④アリダード、⑤ルーラー)

モダン・アストロラーベの構造もまったく同じです。(私が購入したものには、異なる緯度でも使えるように、2枚のテュンパンが付属します)。

ただし、正統派アストロラーベのレーテが、ごく一部の明るい星だけを表示しているのに対して、このモダン・アストロラーベでは、4等星以上の星がすべて描かれており、一層使いやすくなっています。星図の回転の中心は、もちろん天の北極≒北極星です。

   ★

大まかな構造を確認したところで、アストロラーベと星座早見盤の共通点を見てみます。


テュンパンとレーテを重ねたところ(ピンとルーラーを外してあります)。

テュンパンの上部に、見開いた目の形というか、両端がとがったラグビーボールのような形があって(朱線部)、この部分が頭上に見えている空の範囲を示しています。また、そこに描かれた網目模様は、天体の位置を示す地上座標のグリッドで、網目の中心が天頂になります。

この「ラグビーボール」の部位が、星座早見盤だと、地平盤にくりぬかれた「窓」に相当します。これと星図を重ね合わせることで、その時点で見えている星空の概略を知ることができる…というのが、両者の最大の共通点です。

まあ、細かいことを言えば、星座早見盤では、星図の上に地平盤が乗って地平界を区切っているのに対して、アストロラーベでは、星図の下にテュンパンがあって地平界を表示しているという違いがありますが、これは本質的な違いとは言えないでしょう。

その意味で、両者はほとんど同じものと言ってもいいのですが、そこにはいくつか大きな違いもあります。

(この項つづく)

アストロラーベ再見(4)2022年03月14日 17時53分18秒

アストロラーベと星座早見盤は何が違うのか?
その一つは星座の表示方式の違いです。

星座早見盤は、地上から見た通りの星空がそこに表示されます。ですから、使う時はこんな風に↓頭上にかざして、実際の星空と見比べることができます。星座早見が「星見の友」と呼ばれるゆえんです。

(星の手帳社刊「ポケット星座早見盤」解説より。 https://hoshinotechou.jp/products/planisphere/

しかし、アストロラーベは違います。
南の空に浮かぶオリオン座付近でくらべてみます。

(星座早見盤)

(アストロラーベ)

星座早見盤と比較すると、左右(東西)が逆転した鏡像になっています。オリオンの向きも逆なら、オリオンと対峙する牡牛も、実際とは逆の左方向から走り寄ってきます。

これは天球儀やアーミラリースフィアと同じ表示方法で、昔から、「アストロラーベは、アーミラリースフィアをロバが踏んづけてぺしゃんこになったのを見て発明されたんだ」という伝説が好んで語られてきました。(堅苦しくいうと、「天球儀を正射方位図法で平面化したものがアストロラーベだ」…とか何とか、そんな話になると思います。)

左右が逆だと使いにくい気がするんですが、アストロラーベは「星見の友」ではなくて、あくまでも天体の位置計算の道具なので、これはこれで良いのでしょう。

   ★

それに、一見使いにくそうでも、実際に使ってみると、意外にそうでもありません。
というのは、上ではオリオンを正立させたために、左右(東西)が逆転して見えましたが、実際はこんなふう↓に表示されるからです。つまり、オリオンは天頂方向に頭を向けて、逆立ち状態です。


ここで、丸い鏡――凸面鏡を考えましょう――を、お盆のように水平に持って南面し、そこに星空が映っていると想像してみてください。鏡に映る星座は、確かにこの星図と同じ配置になるはずです。

今度は上下が逆転する代わりに、左右(東西)の向きは正しくなって、ちゃんとオリオンの左(東)にシリウスやプロキオンが輝き、右手(西)に牡牛が位置しています。

「星見の友」として使うとしたら、星座早見盤は頭上にかざして眺めるもの、アストロラーベはお腹の位置で構えて、鏡を覗き込むような気分で使うもの…と考えると、分かりやすいように思いました。

   ★

でも…と、もう一度話をひっくり返しますが、これは星座がしっかり描かれたモダン・アストロラーベだから言えることで、星のまばらな正統派アストロラーベを「星見の友」に使うのは、やっぱり厳しいと思います。

たとえば、14世紀のアストロラーベを本歌取りしたブセボロードさんの作品だと、オリオン座周辺は下のような感じです。クネっとした“とげ”の先端が、それぞれ恒星の位置を表しているのですが、ここから実際の星空を想像するのは難しいでしょう。

(上段左から: Menkar(メンカー;くじら座α星)、Aldeboram(アルデバランの異綴)、Elgevze(ベテルギウスの異称)、Algomeiza(プロキオンの異称)
下段左から: Avgetenar(アンゲテナルの異綴;エリダヌス座τ星)、 Rigil(リゲルの異綴)、Alhabor(シリウスの異称))

(この項つづく。次回完結予定)

キエフだより2022年03月15日 06時14分00秒

現代を生きるアストロラーベ作者、ブセボロードさんのキエフだより。
私にはそれを伝える義務があるように感じるので、再度ここに紹介します。
以下は、「くれぐれも命を大切に。命さえあれば希望もあります」という私のメッセージへの返信です。

 「国民を洗脳して狂信へと駆り立て、他国を自らの「勢力圏」と見なし、核兵器で世界を脅かす政治家がいる限り、世界のどこにいても安全とは言い難いでしょう。

 私は自分にできる限りの手伝いを続けています。一日中ビーチ〔註:キエフは内陸なので湖畔が河原でしょう〕で過ごしましたが、残念ながら日光浴のためではありません。要塞用の土嚢を作っていたのです。一体いくつ作ったでしょう。少なくとも3桁の数字です。トラックでも全部は運べず、明日運ぶ分が、さらに何百も残っています。一日の終わりに、「砂の男爵」と称して、自分の写真をウェブに投稿しました〔註:土嚢の山に寄りかかるブセボロードさんの写真が添付されていました〕。50kgもある袋を担いだせいで背中が痛いです。

 作業中、銃やライフルを打つ音が遠くに聞こえました。より経験豊富な仲間が、さまざまな兵器システムの轟音の違いを説明してくれたおかげで、今ではロケットの発射音と榴弾砲の音の違いも分かるようになりました。そんなこと、分かりたくはなかったのですが。

 悲しく思うのは、私たちが2020年の初めにエネルギー効率に関する調査をした小児病院が、キエフ防衛軍の防衛境界外にあることです。犠牲者が出ないよう、全員が退避していることを心から望んでいます。でも仮に退避済みだとしても、そこがすぐに瓦礫の山になることは明らかです。」

私の中には当然、ブセボロードさんを応援したい気持ちと、危険を冒してほしくない気持ちの両方があります。家族や友人・知人のすべてが、たぶんそうでしょう。その2つの気持ちの間で、何とも言えない重苦しいものを感じています。いずれにしても、彼の無事を祈り続けるばかりです。

アストロラーベ再見(5)2022年03月15日 19時48分35秒

アストロラーベと星座早見盤には、もう一つ大きな違いがあります。
それは日時の指定法の違いです。

星座早見盤を使う場面を思い浮かべてください。星座早見盤だと、星図盤の外周に日付目盛が、また地平盤の外周に時刻目盛があって、両者を組み合わせることで、任意の日付の任意の時刻の空を再現することができます。

(3月15日の20時に合わせたところ。2月28日の21時や、3月30日の19時に合わせても同じことです)

しかし、アストロラーベの場合、マーテルの外周部に時刻目盛(と方位目盛)はありますが、マーテルにもレーテにも、日付目盛に相当するものが見当たりません。

(①時刻目盛、②方位目盛)

では、アストロラーベには日付目盛がないのかといえば、ちゃんとあります。
それは、天球上を1年で1周する太陽の位置を日付目盛の代わりに使うというものです。


そのため、レーテには黄道が目立つ形で描かれており、そこに黄経が度盛りされています。こんなふうに、天球上での太陽の位置を重視する点が、アストロラーベの大きな特色で、それによって、アストロラーベは日時計の代わりにもなるし、星座早見盤以上にいろいろな天文現象をシミュレートすることができます。

任意の日付の太陽の位置を知るには、マーテルの裏面を使います。



裏面の周縁には、カレンダーと太陽の位置(黄経)が並んで書かれており、アリダードを使って、その日の太陽の位置を簡単に読み取ることができます。例えば3月15日の太陽は、黄経355°の位置にあります(上図)。

次いで、裏面で読み取った値を、表面の黄道目盛に当てはめれば、その日の天球上での太陽の位置が即座に分かります。


上の写真は3月15日、すなわち黄経355°の太陽が地平線上に来たところ。その地上座標から、日の出の方角も分かります(ほぼ-90°つまり真東です。本当に真東から日が上るのは3月21日の春分の日ですが、これぐらいは許容範囲でしょう)。


補助具であるルーラーを使えば、3月15日の日の出は、ちょうど6時頃と分かるし、そのままルーラーを黄経355°の位置に固定して、レーテと一緒にぐるぐる回してやれば、ルーラーの指す時刻に応じて、夜8時の星空だろうと、深夜0時の星空だろうと、お好みのままです。この辺の操作感は、星座早見盤とほとんど同じです。

また、これらの応用として、「日没とともにシリウスが東の地平線から上るのは何月何日か?」とか、「〇月〇日に太陽が40°の高さにあるとき、その時刻は?」という問いにも答えられます(後者は要するに日時計としての用法です。なお天体の高度を測るのにも、裏面のアリダードを使います)。

(アリダードの両端に付いた木片のV字形の切れ込みが、高度測定の視準孔になります。)

実際には、さらに均時差とか、不定時法とか、各種の薄明線とか、いろいろな小技や応用技があって、それらを極めると、いよいよアストロラーベ使いの達人になるわけですが、アストロラーベの基本的な用法は、以上に尽きると思います。

   ★

どうでしょう、ここまでくると、アストロラーベが「昔の人が使った何だか不思議な道具」ではなくて、明快な輪郭を備えたデバイスと感じられないでしょうか。
…でも、ロマンというのは神秘のベールに包まれてこそ輝くものですから、不思議な感じがなくなると、それはそれで淋しい気もします。

(この項おわり)

アストロラーベの腕時計2022年03月18日 09時34分18秒

アストロラーベとウクライナから連想した品がもう一つあります。
イスラムのアストロラーベをモチーフにした腕時計です。


これは、古い時計のムーヴメントを活用して、それに新たな「衣装」と「意匠」を与えて蘇らせたもので、その作者がウクライナの人でした。彼はこういう一品物の作品をこしらえては、eBayで販売していたのですが、さっき見たら当然のごとく商売をたたんでおり、その安否は不明です。

(一部拡大)

私には高級腕時計を身につける趣味も、それを購う資力もありませんけれど、これは私でも買える値段だったし、時計の歴史を振り返るとき、そこにアストロラーベをあしらうというのは、素晴らしいアイデアに思えました。残念ながら、このアストロラーベは単なる装飾の一部で、可動部分は一切ないのですが、それでもご覧の通りの精巧な仕上がりで、眺める愉しみがあります。

(背面。メーカーはOMEGA、シリアルナンバーは5321029と読み取れます)

この作品は、1918年のスイス製の懐中時計が元になっており、そのせいで竜頭(りゅうず)を除くケースの直径は48ミリと、腕時計としては大ぶりです。

(竜頭は英語でcrownだと聞いて、なるほどと思いました)


今回のロシアの侵攻で失われた人の命、町、愛すべき品々。
戦争とは無慚なものだと、何度でも思います。

   ★

<美しいものを作り出すのも人間なら、それを破壊するのも人間だ>
…ということに絶望を感じます。でも、
<美しいものを破壊するのが人間なら、それを作り出すのも人間だ>
…と叙述をひっくり返すと、そこに一片の希望も生まれてきます。

平野光雄 『時計の回想』2022年03月19日 07時23分13秒

昨日の記事の写真を撮る際、背景に使ったのは下の本です。


■平野光雄(著) 『時計の回想』、書物展望社、1950

1948年から49年、元号でいえば昭和23年から24年にかけて、著者が書きためた時計随筆13編をまとめたもので、序文も含めて本文78頁の可愛らしい本です(たてよこ約15cmという判型も可愛らしいです)。


私は存じ上げなかったのですが、平野光雄氏は時計趣味・時計研究の世界では有名な方だそうです。1909年に秋田で生まれ、幼時から時計に興味を持ち、東洋大学を卒業後は第二精工舎(現セイコーインスツル)に勤務して、趣味と本業が一体となった生活を送られ、時計に関する著作をいくつも上梓された…という、何だかうらやましい経歴の方です。


とはいえ、平野氏が時計趣味の世界で生彩を放ち、同好の士と闊達にやりとりをされるようになるには、もう少し時間が必要です。(『時計の回想』に続く、氏の主著である『時計のロマンス』が出たのが1957年、そして『明治・東京時計塔記』が1958年のことです。この後、氏は60年代から70年代にかけて、時計関連本を次々と世に送りました。)

1950年、昭和25年といえば、終戦からようやく5年。
日本がまだ占領軍の統治下にあった時代です。

(翻訳家・高橋邦太郎による序文)

この『時計の回想』に流れる情調も、戦災で失われた自他の時計コレクションに対する哀惜の念であったり、戦前のよき時代を回顧するノスタルジアであったり、一抹の寂しさを感じさせる色合いのものばかりで、まさに本書が『回想』と題されるゆえんです。(しかも本書が刊行される直前に、それを心待ちにしていた愛妻を喪うという悲劇が、平野氏を襲いました。)


でも、それだけに昔日の思い出は宝石のように美しく、平野氏とそれに共感した関係者の思いが反映されて、この本はとても美しいブックデザインを身にまとっています。本文は練色(ねりいろ)の紙に茶色のインクで刷られ、これはもちろん活版です。さらに全ページに藍鼠(あいねず)の書名と大ぶりの飾り罫が配され、こちらはどうやら木版のようです。限定500部だからこその贅沢であり、それも畢竟平和が戻ったからでしょう。


「美しいものを破壊するのが人間なら、それを作り出すのも人間だ」と、昨日書きました。本書を前に、焦土の中から美しいものが再び芽生え、生い育っていくのを目の当たりにする思いです。


【参考】
平野光雄氏の事績については、ウィキペディアの該当項及び以下を参照しました。
■日本時計倶楽部と平野光雄  http://www.kodokei.com/dt_014_4.html

非を難ずることの非を難じ…2022年03月20日 09時21分14秒

ロシアのウクライナ侵攻では、当然のことながら、ロシアを非難する声が圧倒的に大きいです。

それに対して、「じゃあアメリカのやってきたことはどうなんだ?フランスやイギリスがやってきたことは?その血まみれの手でテーブルを叩き、血まみれの口で正義を語っても、全然説得力がないじゃないか」という意見も耳にします。

趣旨は分かるし、その通りだとも思いますが、大切なのは、そのことでロシアが免責される余地はないということです。アメリカも他国も、非は非として非難されるべきだし、同様にロシアも非難されるべきです。

仮にロシアの行為が「三分の理」で正当化されるなら、アメリカや他国の行いも同様の理由で正当化されてしまうでしょう。それが許されないからこそ、上のような意見も出るわけで、ロシアを正当化することは、上の意見の論者の本意ではないはずです。

   ★

ここで雑駁に「ロシア」とか「アメリカ」とか書きましたけれど、例えばロシアにしても、「ロシアという長い歴史をもった国」、「今のロシア共和国」、「時のプーチン政権」、「ロシアの市井の人々」…etc.を、概念的に区別しないといけません。

そこがボンヤリしていると、今回の件とは全然関係のない、在外ロシア料理店がならず者に襲われたりする、「坊主憎けりゃ」的な珍事件が起きたりもします。もちろん今非難されるべきは、プーチン政権であることは言うまでもありません。

あるいはまた、「中世にさかのぼれば、キエフはロシアと一体だったんだから、ロシアの行為を単純に侵略と言ってはいけない」とか、「ゼレンスキーも陰で悪辣なことをしているんだから、侵略されても文句は言えない」とか、これまた奇妙な言説をネットで目にしました。これも概念的な区別ができていない例ですね。

中世に一体だったからといって、現在の国境を武力で侵していい理由にはならないし、ゼレンスキー大統領が本当に悪辣かどうか私は知りませんが、仮に悪辣だとしても、それがウクライナの国を破壊し、ウクライナの人を犠牲にしてよいという理由にもなりません。まあ、当たり前といえば当たり前のことです。

   ★

非を難ずることの非を難ずることの非を難じ…。

一応、自分としては正しいことを書いているつもりですが、私の論にもきっとどこかほころびはあるでしょう。非想非非想は知らず人間において、過ちを逃れることはとても難しいことです。でも、そのことを自覚していれば、多少は安全じゃないかと思ったりもします。