七夕短冊考(その2)2022年07月11日 07時17分00秒

(昨日の続き)

こちらも昨日の付録とほぼ同時期に出た本です。


■影山常次(著)
 七夕祭短冊帖
 発行所・乞巧奠礼賛会、昭和12年(1937)

著者の影山常次氏は、この名前で検索するといくつか情報が出てきます。それらを総合すると、どうやら昭和戦前~戦後に活躍した、福島県の教育者・郷土史家のようです。本書刊行時には、同県田村郡三春町に在住し、発行所の「乞巧奠礼賛会」は影山氏の自宅と同住所ですから、要はこれは私家版なのでしょう。

本書は題名のとおり短冊の書き方のお手本帖です。

(序文)

その序文がちょっと興味深いので、一部転記してみます。

 「七夕祭の伝説は既に人口に膾炙してゐるから省略するが、もと支那の風俗でその起源は詳かではない。古く漢代に始まったらしく〔…中略…〕徳川時代に入っては式日として、諸大名長裃で参賀祝儀申上げること三月上己の式と同じく、五節句の一に数へられてゐた。古くから士農工商皆この日を祭日として祝ひ七夕踊を踊ったことさへある。明治以来一般に廃れて来たけれども、雅味溢れるこの種の行事は大いに礼賛復興に努め、とかく荒み勝な近代生活に滋味を注入したいと念願する。その意味で本書の刊行を試みたのである」

少女雑誌の付録に登場するぐらいですから、七夕は依然ポピュラーな祭りではあったのでしょうが、昭和10年代の七夕はちょっと旗色が悪くて、<すたれゆく風俗>のように受け止める向きもあったようです。福島在住の著者の目にそう映ったということは、都市部ばかりでなく、地方でもそうした傾向は進行していて、「これではならじ」とばかりに編まれたのが本書です。

その背景には、国粋主義的な復古の空気も作用していたのかもしれません。そして、その延長線上に、昭和16年(1941)に出た例の文部省唱歌(笹の葉さらさら…)もあったのかなあ…と想像しますが、まあこの辺はただの想像です。

   ★

(掲載歌・句の一覧)

(第一首。「思ひどもつらくもあるかな七夕の などかひとよと契りそめけん」)

この本の内容は、ご覧の通り七夕や天の川にちなむ古歌・古句のオンパレードで、それを筆で上手に書くことに意義を込めていたと受け取れます。ここには「七夕の短冊というのは、願い事を書くものだ」という観念の片鱗も見られません。この点は昨日の「少女倶楽部」の付録とまったく同じです。

(右から。「七夕にけふはたむくることのをの たへぬや秋の契りなるらん」、「荒海や佐渡に横たふ天の川」、「七夕や賀茂川渡る牛車」)

いずれにしても、こうした「書・歌道的短冊」が、今ある「紙絵馬」のような短冊に変わったのは、おそらく戦後のことだろうという状況証拠にはなります。

(この項さらに続く)

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【余滴】

参院選は自民党大勝で、これは大方の予想通りでしょう。
常々政権に批判的な私としては、もちろん苦いものを感じるのですが、大切なのはこの結果が安倍政権ではなく、岸田政権下で得られたものだという点です。この意味は決して小さくありません。これによって信を得た岸田さんの発言力は、これまで以上に強まるでしょうし、そうなると自民党の党内力学もかなり変化するはずです。願わくは、それが「まともな」方向の変化であることを強く期待したいです。

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