七夕短冊考(その4)2022年07月14日 05時24分15秒

ここに1枚の絵があります。


以前、ヤフオクで売りに出されていた掛軸で、今は既にどなかたの手元にある一幅です。七夕にちなむ品を探していて見つけたもので、その絵を大層印象深く思ったので、こうして今は他人様のものでありながら、画像のみ保存していました。出品者及び落札者の方にお詫びしつつ、ここに画像をお借りします。

この絵の生みの親は、河内舟人(かわうちしゅうじん)という明治に生まれ、昭和に亡くなった日本画家です。これまた安易にネット情報【LINK】を転載しておくと、

 河内舟人 Kawauchi Shujin (1899 - 1966)
 日本画家。明治32年生。安田靭彦、荒井寛方に師事。
 院展・日本美術院院友、日展入選。
 小杉放庵ら栃木県出身の画家たちの団体「華厳社」を中心に活躍。
 晩年は良寛に私淑し、児童画を得意とした。

という経歴の人です。


ご覧の通り、七夕の晩に縁台で涼む母子を画いたもので、この絵自体は作者晩年の作かもしれませんが、母子の服装からして、題材となっているのは、作者の子供時代(明治末~大正初年)の思い出ではないかと想像されます。

で、この絵をなぜそんなに印象深く思ったかといえば、その理由は短冊の描写にありました。


そこには「七夕、七夕、七夕…」「天の川、天の川、天の川…」とひたすら書かれています。その時は戦前の短冊事情を何も知らなかったので、一見して「え?これって作者の手抜きじゃないの?」と思いました。

「いや、しかし待てよ…」と考え直したところから、今回の短冊調べは始まっているので、この絵は今回の連載の有難い生みの親です。そして調べてみると、この絵は確かに戦前の実景に違いないことが見えてきたわけです。

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蛇足めきますが、近代以降の絵で、他にも往時の短冊事情がうかがえるものを見てみます。


ここでは手っ取り早く、2012年に静岡市美術館で開催された「七夕の美術―日本近世・近代の美術工芸にみる」展の図録から、関連部分を見ることにします。

まずは大御所・竹久夢二(1884~1934)の「七夕」(大正11年/1922)。屏風仕立ての二曲一隻の作品です。


(部分拡大)

ルーペを使って読んでいくと、向かって右から「天の川」「(牽)牛(おり)ひめ」「ふた星」「七夕天の川」「(?)星」「天の川」「星の…(和歌一首)」「ふた(ほ)し」「(七?)夕」といった文字を読み取ることができます。

続いて、図録の表紙にもなっている橋本花乃(1897~1983)の「七夕」(昭和5~6年/1930~31頃)。こちらも屏風仕立ての二曲一双の作品です。


(右隻拡大)

(左隻拡大。下も同じ)


読み取れる文字は左隻の「七夕」と、左右に共通する「を(り)ひめさま」、「天の川」の3種。

続いて林司馬(はやししめ、1906~1985)の「七夕」(昭和13年/1938)から。


(部分拡大)

はなはだ読み取りにくいですが、無理して読むと「(?)女」「(?)の織女」「天の川」「七夕」といった文字が見えます。

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ごく限られた例ではありますが、大正~昭和戦前にかけて、七夕の折に短冊に書く文字といえば、「天の川」と「七夕」の二つが両横綱で、あとは七夕の主役である「織姫/織女」「牽牛」「ふた星」の名を記したり、ちょっと気取って和歌を書きつけたり…というのが通例だったことが、ここでも推測できます。

(この項まだまだ続く)