「耳をすませば」に目をこらせば2022年08月27日 09時38分06秒

ちょっと話題が寄り道します。
昨夜の金曜ロードショーで、ジブリの「耳をすませば」(1995年公開)を見ていました。
純粋な中学生カップルの恋と成長を描いた、一種のビルドゥングスロマンです。

その作品中、重要な場所として、「地球屋」というアンティークショップが登場します。
バイオリン職人を目指す少年、天沢聖司の祖父が営む店で、ヒロイン月島雫はここで聖司と語らい、聖司の祖父に励まされながら、内面的成長を遂げていきます。聖司の祖父(西老人)の人物造形もなかなかいいし、店内もいかにも夢のある雰囲気なのですが、今回気になったのは、その建物の正面(ファサード)です。

下はネット上から引っ張ってきた画像。


私が気になったのは、建物の2階、窓の左右に描かれた白線です。
これってどう見ても日時計、いわゆる「垂直式日時計」というやつですよね?

(垂直式日時計の例。出典:https://www.davidharber.com/sundials/vertical-sundials.htm

作画上、若干の歪みはありますが、時刻の目盛線(=時刻線)をそれぞれ延長すると、どうやら軒先のてっぺんから放射状に線が引かれているようです(下図)。


時刻線の数を見ると、窓の向かって左に2本、右に4本で、線の間隔もあきらかに左が広く、右が狭く、全体として左右非対称になっているのが気になります。でも、これは特に問題ありません。たしかに壁面が真南を向いていれば、時刻線は左右対称になるはずですが、真南からずれていると、必然的にこんな具合になるので、これはむしろリアルな描写です。

手っ取り早く、英語版Wikipediaの「Sundial」の項に示された図を掲げておきます。


図のキャプションも適当訳しておきます。

 「日時計の時刻線に及ぼす傾き(declining)の影響。 左端は北緯 51 度で真南を向くように設計された垂直式日時計。午前 6 時から午後 6 時までのすべての時刻を表示し、かつ正午を中心に左右対称に収束する時刻線を持つ。一方、右端は極地用の西向き日時計で、前者とは対照的に、平行な時刻線を持ち、午後の時刻だけを表示する。両者の間に描かれているのは、それぞれ南南西、南西、西南西に向いた日時計。時刻線は正午を中心に非対称であり、午前の時刻線はより広い間隔を持つ。」

…というわけで、地球屋のファサードも南南西ないし南西を向いているのでしょう。

   ★

でも、これが日時計だとすると、いちばん利用頻度が高いはずの、正午前後の数時間分の時刻線がないので、実用性に大きな問題を抱えることになります。それに肝心のノーモン(影を示す指針)はどこにあるのか?

(上部中央から斜めに突き出ているのがノーモン)

ここから先は推測になります。

最初、「この2階の壁面には、かつて完備した日時計があったのだが、改築で窓を設けた際に、それが失われたのではないか?」と考えました。でも、この建物でこの位置に窓を設けないことはちょっと考えにくいです。窓も日時計も最初からあった…と考える方が自然です。

となると、この不完全な日時計の設置意図が問題になります。

結論からいうと、西老人にとっては朝方と夕方の時刻のみ分かれば十分であった、あるいは、彼は朝方と夕方のみに価値を認めていた…ということではないでしょうか。西老人は立派な人格者ですが、世間の物差しでいうと、いささか偏屈なところがあるので、これは十分ありうることです。彼は夜に生きる人であり、「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」(江戸川乱歩)という価値観を持っていたのかもしれません。

ノーモンについては、確かにいくら目を凝らしても画面上に見えません。
でも構造上、それは時刻線の収束点である軒下から、斜め下に突き出していたはずです。たぶんですが、かつては軒下から窓庇をこえて手すり中央まで、下図の黄線のように鋼線等が張られ、それがノーモンの役割を果たしていたのだと想像します。それがいつしか失われて、そのままになってしまったのでしょう。


この日時計自体、最初から実用目的というよりは、多分にシンボリックな存在だったので、それでも一向に構わないわけです。

   ★

そして、(我ながらにぶいですが)最後の最後に気づいたこと。
それは「地球屋だから日時計があり、日時計があるから地球屋なんだ」ということです。

(安野光雅(著) 『地球は日時計』。元記事はこちら

すでに指摘された方もいるかもしれませんが、これは私としては一大発見なので、「オッホン」と、咳ばらいをしながらご披露したい気分です。